第6話 王国暦270年5月8日 決戦の一太刀 

 遠くから響く木霊のようにゴブリンの悲鳴が上がった。

 切り裂かれた体の破片がばらばらと空中に舞い上がってドス黒い血が舞う。

 大剣が一振りされるごとにゴブリンが次々と切り裂かれて倒れ、ゴブリンの群れが露骨に浮足立ち始めた。


「……あれ……何だ?」

「見てる場合じゃないぞ、弓兵!援護!」

 

 ガーランドが慌てて声を上げる。

 我に返ったように弓兵が長弓を引き絞った。弦の音が立て続けに響いて何本もの矢が空中に舞い上がる。


 矢がゴブリンの群れに降り注いでゴブリンが次々と倒れた。

 隊列の足並みが更に乱れる。

 エドガーが足を止めることなくゴブリンを切り裂きながら突進した。


「弓兵!射続けるんだ!」

「歩兵は槍をとれ。いつでも突撃し彼を援護できるように備えよ!」


 下士官たちが口々に命令を飛ばす。重苦しく沈んでいた兵士たちの雰囲気が一変した。

 命令に応える強い声がそこかしこで上がる。

 

 絶え間なく浴びせかけられる矢と、光が舞うようなエドガーの剣で次々とゴブリンたちが倒れていく。

 戦列が崩れて本陣ともいうべきゴブリンの集団が見えた。


 ひときわ大きいゴブリンロード、それに黒魔法を操るシャーマン。

 そしてその周りを精鋭といもいうべきホブゴブリンが固めている。


 僅かな魔力の流れを感じた。

 恐らくゴブリンシャーマンが魔法を使おうとしている。

  

 セシルが詠唱を始める。魔法には魔法だ。


「bouclier de protection sacré pour combattant courageux!!」


 ゴブリンシャーマンの周りに黒い刃のようなものが浮かぶ。

 だが、セシルの防御の方が速かった。


 黒い刃が本陣の向けて疾走するエドガーに向かって飛ぶ。空中に浮かんだセシルの魔法の盾がそれを止めた。

 王妃によって幼いころから訓練を強いられたため、セシルの魔法使いとしての能力は高い。

 詠唱の時間さえあれば攻撃系も支援系も思いのままなのだ。


 白い光を纏ったエドガーが勢いそのままに本陣に切り込んだ。

 周りのゴブリンを抑えこむように丘を降りながら弓兵が絶え間なく矢を放つ。


 セシルも即座に次の魔法の詠唱に入った。

 本陣にロードの護衛であるホブゴブリンやシャーマンがいる。エドガーの強さは人間離れしているが、それでも流石に一人では勝つのは難しい。


「姫様!」


 ガーランドがセシルに促す。

 これほどに間を与えてもらえばセシルも十分に落ち着いて魔法を使うことが出来る。


「forte pluie de feu cramoisi et arc brûlant!!」


 詠唱が終わると同時に赤い魔法陣が浮かんで、炎の矢がセシルの周りに現れた。

 この【炎の矢】はセシルが良く使う魔法だが、無理やり詠唱を短縮していた時とは違う。

 時間をかけて魔力を練り上げた完全詠唱の炎の矢だ。


 何十本もの炎の矢が空中高く舞い上がって、ゴブリンの本陣に降り注いだ。炎の矢が正確にホブゴブリンやシャーマンに突き刺さる。 

 立て続けに巨大な火柱が上がって、火に巻かれたシャーマンやホブゴブリンが転げまわる。

 肉が焼ける嫌な臭い、巻き上がる炎があちこちに燃え移る。戦意を失ったゴブリンたちが四散した。


 もののついでとばかりにゴブリンを切り倒しながらエドガーがロードに向けて駆ける。

 本陣の真ん中に陣取っていたロードがエドガーを迎え撃つように進み出た。

 

 エドガーに向けて巨大な斧をロードが振り回す。

 しかしロードとエドガー、その速度は鶏と鷹のように圧倒的に違った。


 大きく振りかぶった斧が振り下ろされるより早く、光を纏った大剣が一閃する。

 切られた首が重たげな音を立てて地面に落ちた。



 巨体の首から血が噴き出す。首を切り落とされたロードの体ががばたりと倒れた。

 ゴブリンロードは一般的な兵士30人以上に匹敵する。2メートルをゆうに超える長身と人間離れした筋力を持つ。

 しかも力任せなだけではない、独自の技を持つ難敵だ。


 一人でロードを倒す剣士などフォンテーヌ王国全てを探しても稀だろう。

 それをまるで練習用の人形を切り倒すように容易くエドガーは倒した。

 周りのゴブリンが何が起きたか分からない、という風に顔を見合わせる。


「追撃!一匹たりとも逃がすな!」


 誰かが号令する。弓を槍に持ち替えた兵士たちが突進した。

 ゴブリンは優位な時、戦意が高いときは高い戦闘力を発揮するが、一度劣勢に陥るとすぐさま戦意を失い総崩れになる。


 ロードを討たれて戦列を保つことなどできるはずもない。

 そして、ロードがいる限りゴブリンは群れを作り害をなすのだ。


 逃げ惑うゴブリンの背中を投げ槍ジャベリンが貫き、兵士たちの槍が突き刺さる。

 一刻もかからずゴブリンのほとんどは倒され、残りの僅かな残党は森に四散した。



 戦いが終わった。

 緑の草原はドス黒いゴブリンの血で染められ、そこら中に切り裂かれ、魔法で焼かれた死体が転がっている。

 むせ返るような血と肉の匂いに思わずセシルが口元を押さえる。


 兵士たちが緊張した面持ちで武器を構えて周囲を見張っていた。

 息があるゴブリンがいるかもしれないし、そいつが最後の力を振り絞って道ずれを狙ってくるということは戦場ではよくある話だ。 


 しかし動く姿はなにもない。

 暫くして兵士たちが武器を下ろして、今起きたことが信じられないという顔で何か言葉を交わす。


「犠牲者はいませんか?」

「はい、姫様」


「一人も……ですか?」

「ええ」


 ガーランドが信じられないという顔で言う。

 あれほどの群れと対峙して犠牲者が一人もいないというのは奇跡的だ。


「どうだい、姫様」


 ゴブリンロードの首を提げたエドガーが悠然と歩いてくる。兵士たちが歓声を上げてエドガーに駆け寄った。

 何か所かに傷を受けているようだが、ほぼ無傷だ。


「素晴らしい働きでした」

「失礼を許してくれ」

「どこの傭兵なんですか、アンタは」


「いや、待て。まずは礼を言わせてくれ。皆の弓の援護は完璧だった。助かったよ」


 そういうと、兵士たちが大歓声を上げた。

 

「そして姫様。魔法の援護に感謝します」


 エドガーがセシルに向けて頭を下げる。

 なんというか気まずいというか所在が無い気分だ。明らかに助けられたのは自分達なのだから。


「おいおい、景気悪いな、俺達は勝ったんだぜ?じゃあやることあるだろ?」


 エドガーがおどけたような口調で言う。


「勝鬨を上げよ!」


 ガーランドが剣を掲げて叫んだ


「セシル姫万歳!」

「勝利に万歳!」


 周りの兵達がそれぞれに武器を振り上げて歓声を上げる。

 勝鬨なんて聞くのは本当に久しぶりだ……今までは戦のあとは犠牲者が多すぎて陰鬱になるだけだったから。

 セシルはようやく戦いの終わりを実感した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る