十三 皆様、噂話がお好きなようで 弐

 流麗が最初に手に取ったのは、舜の異母弟妹いぼきょうだいの資料だった。生まれた日時や、普段の様子に、僅かな発熱まで。男児であれば殊更事細かに明記されていた。しかし、そのどれもが最後に死亡で締めくくられている。死亡理由の殆どが衰弱死とされ、断定的な答えが何も明示されてはいない。

 どの御子みこの死も大体が生まれて数日から三歳程度。育ったとしても、六つ、七つの頃にもなると、衰弱が突如始まり死に至ったと記録されていた。  

 段々と食事を摂る事もできなくなり、栄養不良に、筋力の低下による身体機能の低下、次第に呼吸すらもなまらなくなり、眠るように息を引き取ったとされている。結果として、根本的な原因は不明とされていたが、流麗にはこの症状に覚えがあったが、同時に矛盾が生まれる。

  

 ――穢れの衰弱ともとれるし、禍蟲が入り込んだ症状にも似ている。けれど、陛下の言葉通りであるのなら当時は禍蟲はいなかった。これほどの数の人を殺せる穢れがあって、禍蟲がいなかったなどあり得ない。しかも人が減った後に禍蟲が増えてという事になるし……存在を気づいてないにしても、これ程の御子の死を招くほどの数が視鬼の目から隠れていたとは思えない。ならばやはり毒の線が濃いという事?


 穢れでも、人は弱る。肉体的にも精神的にも、だ。だがしかし、ここまでの大多数を殺傷するとなると要素としては弱い。流麗は思案巡らせるが、どうにも腹に収まらない。

  

 ――そもそも、何を持ってして毒と言う噂が……?


 流麗は食い入るように資料を何度と見渡すが、舜が口にしていた毒なる要素が見当たらないのだ。二件を除き殆どの御子が同じ症状で亡くなったとされ、当時は死を不確定と判断していたのだと窺い知れる。

  

 火のないところに煙は立たぬ。皇后が妃嬪を疎み、御子の存在を第一皇子の脅威として考えた、というところまでは理解が出来る。だが、『その殆どが趙皇后による毒殺とも考えられている』と、確信的ではないものの、皇后への嫌疑がかけられる何かがあった、とは考えられる。


 ――不審死だったから、一番怪しいのは皇后という事? 全ての死において皇后が関わっていると思われる程の人柄だった?


 しかしそれでは、子供同士のいさかいにも等しい言い掛かりにも聞こえる。怪しきは罰せよ、とならなかったのは皇后という地位にいたからだろうか。どちらにせよ、流麗はどこか腑に落ちない様子だった。

 

 残りの二件も、どう考えても乳幼児に起こる事故と思しき物で、うつ伏せによる呼吸停止と、二階の欄干からの落下。どちらも乳幼児の不慮の事故ではままある事で、そこまで大きな不審点は無い。もしかしたら、の可能性も無くはないが、この二件のみ別が手段を取ったとは考え難く、紐付けて考える必要は無いだろう。

 となると、今度は同じ頃合いに亡くなったとされる妃嬪達の死が流麗の脳裏に浮かんだ。


「……隋徳様、此処に当時後宮で亡くなられた方々の死亡記録はありますか?」

「御子様方以外で、三妃以外や侍女・女官・下女は皇族の方々とは別の記録保管庫だ。必要ならば、こちらに運ぼう」

「ありがとうございます」


 言うが早いか、流麗の隣に腰掛けていた隋徳は丸い腰を気遣うように膝に手をつき、のそりと動く。丸まった背が、隋徳の年齢そのものであったが、立ち上がると颯爽と保管庫を退室していった。


 ――……私一人だけど、良いのかしら


 切れ長の目を細めて、丸まった背を見送る。 

 皇宮の歴代記録保管庫ともなれば、それこそ厳重管理だ。本殿の一角ではあるが、此処は書庫と言えど皇族専用とされる入り口には厳重に施錠がされて、その先は更にそれぞれ細分化された書庫の扉も施錠。皇族以外は皇帝直下の管理者だけがその鍵の使用を許可されているという徹底ぶり。

 皇帝の許可と隋徳の随伴として入れただけで、流麗は完全に異物だ。その状況で、隋徳が流麗を一人残していくというのは、緊張感に欠けているようにも思えた。


 多少は信用されたのだろうか。それとも隙を窺われているのだろか。隋徳の読みきれない真意をぼんやりと浮かべるも、意味がいないと取り払った。

 流麗は今一度資料に目を落とす。御子の記録に見落としがないか確認していると、そう間を置かずして再び隣にどさりと怏々おうおうとした物音と共に老人は二冊の書籍を差し出していた。


「ありがとうございます」

「構わん」


 無愛想な物言いを聞き流し、流麗は早速と女官の死亡記録を開く。が、流麗は一葉開いたその先に目を丸くする。御子に比べて、内容はあまりに簡素だった。

 名前、年齢、死亡日。死亡理由も『不明』程度の明記。情報としては不完全だ。流麗は表紙に戻り、記入者の名前を確認するもどうやら今はいない後宮医官のようだった。


 ――死亡数は、儒帝陛下の崩御の二月から目減りしてる。剋帝陛下の即位のあたりはもう殆ど居ない……


 とは言え、女官達や下女の管理は杜撰だったと言えた。それが、粗末な記録に結果として今流麗の手中にある程度しか残されなかった結果。人の死が、流れるように書かれた文字の掠れのように儚い。


 ――流石にある程度の家柄である侍女達の扱いは違ったようだが、それでも殆どが似たような記録ね……


 流麗はそれ以上何も見えない資料を閉じると、おずおずと随徳へと目線を上げる。物言いたげな流麗の目に反して、隋徳は厳しくも女達を悼んでいるように仄暗さを映し出す。


「……隋徳様、その」

「私は後宮医官の立場として勤務をしていたわけでは無いからな。全ての事案に関わっているわけではない。当時病と判断された女達は、侍女を除きほとんどがひとつ所に集められた。衰弱する女達を診ていたのも、ただの下女だ。当時のその状況では女官の死亡記録など、後宮医官がざっと診ただけの可能性が高い。侍女すら後回しにされて――まあ、碌な仕事はしていないかもしれんな。私は他の事案と、儒帝陛下の命令で御子様方につきっきりで一人も診てはいない。妃嬪にしてみてもそうだ。位の高い家柄でもなければ正確に記録されているかは怪しい」


 後宮なぞ、そんなものだ。と、隋徳は吐き捨てるように言う。

 国の縮図のように位が全ての世界。平民は結局平民でしかなく、位が上がったとしても、元より高貴とされる血には勝てない。


「御子を産んで妃嬪の扱いを受けたが、結局は御子が亡くなり、一瞬で扱いが変わる。虚しさに取り残された女など、何人と見た。しかし、一度でも皇帝陛下に手をつけられたなら、もう後宮から出る事も出来ず、最後は家族にすら会えずに絶望のまま命を絶った妃嬪もいた程だ」


 死んでいった女達への同情を感じさせる語り口は、流麗の目に映った後宮の幽鬼達を思い起こさせるには十分だった。彷徨う幽鬼達は、嘆き、怒り、恐怖と、想いこそ様々だったが、等しく絶望の渦中に沈んでいたのだろう。

 当時の後宮の姿を記録だけでは、渦巻いていた憎悪は計り知れない。


「……陛下が当時は病が流行っていた、とおっしゃられていましたが、記憶にありますか?」

「当時、そういう噂があっただけだ。皆、同じ症状で死んでいくのでな。死亡理由もわからぬが故に、誰かが口走った言葉が広まっていた」

「では、皇后陛下の毒殺は?」

「……それも噂に過ぎん」

「では、そのような噂の立つ方だったのでしょうか。市井しせいでは、皇后陛下の悪虐非道な話は耳にした事が無かったもので」


 流麗の口調は滑らかだった。厚顔無恥を装ったようにぬけぬけと言い切る姿に、隋徳の眉間の皺が深くる。


「真面目なお方だった。故に儒帝陛下の寵愛から一番遠い方ではあったがな。だからこそ、第一皇子への愛は深かったのやもしれん。しかし、全てへ敵意を向けるほど、常軌を逸してはいなかった」


 当時の記憶が鮮明に語られる言葉に迷いはない。流麗は納得したように小さく頷くと、目線を書棚へと移して立ち上がった。


「次は何を探す」


 流麗が、書棚を端から覗くと、隋徳が訝しげな目を流麗に向けていた。


「趙皇后陛下の資料を」

「それならば、あちらだ」


 隋徳が指さしたのは、儒帝の資料が積まれた辺りだった。皇后、三妃は全て皇帝と共に括り付けられているのだと言う。


「趙皇后は関係があるのか」

「いえ、ちょっと気になって」

「何が知りたい」


 流麗は口にするかどうかも悩んだが、隋徳ならば知っている可能性も大きいとあって、あっさりと口を開いた。


「皇后陛下は確か、儒帝陛下と同時期に亡くなっていたような……と思いまして。陛下の御兄弟と同じ病だったのかな、と」


 再び隋徳の顔が歪んだ。後悔にも似た、悔やんだ表情を浮かべて目線が下がる。


「皇后陛下は自害だ」


 これには流麗も驚く。趙皇后の資料を手に取り目的の項まで辿り着くと、真実を辿るように文字を指でなぞらえた。

  

「あとは、けい殿下……陛下の異母兄君あにぎみも同じく自害だ」


 流麗は、一瞬手が止まる。しかし、すぐさま目的を思い出したかのように、新たな資料を手に取った。次は、趙皇后の資料とともに、同じ区画にあった儒帝陛下。その一番最後。死に際の――


 記録を目にした瞬間、流麗は隋徳を双眸にとらえた。隋徳もまた、流麗に視線を向けたまま離さない。監視、牽制とはまた違った意味合いを込めた瞳は、どんよりとした薄暗い感情が垣間見える。


「……先帝陛下も、病死ではないのですね」


 隋徳は何も答えなかった。目を背けることもなく、流麗の言葉を否定することもない。ただ静かに、頷くだけだった。

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