小話集:結婚式当日に婚約破棄を告げられた公爵令嬢、即日チートな旦那様と契約結婚させていただきました。

二辻

ベアトリスはまだ気付いていない。

 この国には、年を越す瞬間に口づけを交わした恋人たちはそれから一年仲睦まじく過ごせる、というおまじないのようなものがある。

 その昔は、一年なんてなんてケチな、と思ったものだけど、今になればその一年間の御縁ですら大変なものなのだとわかる。

 エミリオ様とは、ダンスの時に体が密着することはあれど、それ以上のことはなにもなかった。エスコートされる時に手が触れたことはあるけれど、手を繋いだというわけではない。肩や腰を、夜会の場などで抱かれたことはあっても、そこに恋人同士のような甘いものはなかった。

 口づけなど当然したことはない。


 それで言うのなら、マクス様のほうが私を抱き上げたり、抱き寄せたり、膝に乗せたり、背後から抱き締めたり、手を繋いだり……と、されたことだけで言うのならばよほど恋人らしいことをされている。

 ――いいえ、マクス様は私の旦那様なのだから、それくらいは当然のこと……なのよね……

 ちらりとソファで隣に腰掛け、グラスを揺らしているマクス様を見る。すぐに自然に気付かれて「なんだい?」と問われてしまう。


「いえ、なにも」

「なにか言いたげな顔をしていたようだが?」  


 そう言うと、彼はぐっと顔を寄せてくる。普段、異性にここまで近付かれる機会などない。慣れなくてどぎまぎしてしまう。


「おや、どうした? 顔が赤い」


 ふふっとわらったマクス様に輪郭を撫でられる。ぶわっと汗が吹き出そうになって、慌てて自分の手で顔を扇ぐ。


「す、少し暑いですね」

「そうかい?」


 マクス様がパチンと指を鳴らせば、部屋に少しだけ涼しい風が吹いてくる。

 ――これも魔法。

 すべての属性を難なく使いこなしている姿に感嘆する。さすがは魔導師の塔のマスターと言うべきだろうか。

 しかし、感心しているのも束の間、暑かったのは顔だけなので、すぐに寒くなってくる。無意識に腕を擦れば、マクス様に抱き寄せられた。


「マッ、マクス様?!」

「なんだ。こうしてほしくて肌寒くしたのかと思ったのだが」


 彼は少し酔っているのだろうか。機嫌良さそうに言って、鼻先を擦り寄せてくる。

 ほんのりと香るアルコールの匂い。マクス様の香りと混ざって、大人の男性だと感じてしまって、またドキドキしてきてしまう。

 ぽつりと彼はなにか呟く。でも、あまりに小さくて聞こえない。


「なんですか?」


 尋ねれば、また小さく彼は言って。


「聞こえません」


 聞き取ろうと彼の口元に耳を寄せた私を、そっとソファに押し倒した。

 驚いて硬直する私を見下ろしたマクス様はゆるりと笑って、額にひとつ、ゆっくりとキスを落とした。


「あなたのこの先一年が、幸せなものになりますように……」


 そう言って、もう一度。

 そっと目を閉じた私に、小さく笑う彼の声が聞こえた。

 続いてキスされたのは、頬。愛でるように、優しく触れるだけのそれは、やっぱり保護対象を慈しむものにしか思えなかった。

 唇が離れると同時に新年を告げる鐘が鳴る。

 ――彼にとっての妻というのは、なんなのかしら。

 なにも求められないことに、やはり少しだけ不安と不満がつのる。


「まあ、ビーには私がついているからな。なにをどうしようと、幸せにしかならないのだが」

「その自信、どこから来るのですか?」


 ――私が不安を感じるのは、マクス様にどう思われているのかわからない時ばかりなのに。

 堪えきれなくなって疑問を口にすれば、私の失礼な質問にも彼は怒らず「私を誰だと思っているんだ」と自信に満ち溢れた笑みを返してきたのだった。

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