第6話 楽しみのその日

「――ッ! ……ふぅ」


「では、朝のトレーニングもこれで終了となります。お疲れ様でした」


「ああ。今日もいい汗掻けたぜ。……で、そっちから見てどうよ? ちょっとは鈍りもとれたか」


「忌憚無き意見を申し上げますと――始めた頃よりも大分良く動かれるようになったかと」


 ここは屋敷裏にある演習場。ここで朝早くから運動するのが日課になっている。

 あの頃は少し走っただけで息も上がるような貧弱な肉体だったが、今ではそこそこ思い通りに動かせるようになったって自負がある。


 以前の俺程じゃないにしろ、やっぱ満足に体を動かすと気分がいい。何より健康にいい。

 ストレッチやら筋トレやら有酸素運動やら、それに騎士様相手にチャンバラごっこまで付き合ってもらっちまって。コセルア様様ってところだな。


 無論、この二ヶ月モノホンの剣なんて握ってない。顔色の読めねえ女っていっても流石にそれはいらない気を遣わせちまうしな。

 正式な訓練を受けた訳でもない屋敷の主人のドラ息子に、剣を抜かせる訳にはいかねぇって良識ぐらい俺にもある。


 だから専ら、訓練用の木の棒を握ってるのが今の俺だ。

 木剣相手に棒なのも理由がある。


 前世じゃロクでもねぇ理由で喧嘩吹っ掛けてくるヤンキー共相手に木刀でノして回った俺でも、今は全く体型が違う。あの頃の手足のリーチも無けりゃ、筋肉も無い。

 それに何より現役の騎士相手に同じ土俵じゃどんなに手加減してもらったって。


 だからスタイルを変える事にした。


 身の丈大の棒でリーチを稼ぐ。背も筋肉もコセルア相手にボロ負けしてる俺が、そこそこに喰いつけるやり方はこれしかない。

 前世の喧嘩の経験とこの二ヶ月の鍛錬のお陰で、ちったぁ見栄えのある打ち合いが出来るようになった。


 ま、それもこれもコセルアや他の騎士達が付きっ切りで付き合ってくれたからだが。


 この二ヶ月で変わった事は他にもある。


「ひぃ……ぁ……ぅぅ。あっもうだめ……」


 汗だくになりながら地面にぶっ倒れたライベル。

 朝早く起きる俺に合わせて、毎日のように運動に付き合って貰ってる。


『ええ!? ぼく、今起きたんですが。コセルア卿とトレーニングしてたって……。あ、あのぅやっぱり朝はギリギリまで寝た方がいいんじゃないでしょうか? ほら眠るって気持ちいいじゃないですか。……え? ぼくも付き合うんですか!? そんなぁ……』


 俺以上にヒョロヒョロした体なんだ。せめて体力ぐらい付けろってんだ。


 そういう訳で強引に連れ出して早二ヶ月。

 俺みたいに棒とか持って訓練する訳じゃないが、バテるのが少し伸びる程度には成果があった。

 別にそれでもいい、あいつが運動オンチなのは承知の上だしな。


「ライベル君が倒れちゃった……。じゃ、じゃあ僕が介抱に行って」


「ちょっと待ち! 貴女この前したばかりじゃない。今日は私がタオルを渡す番よ」


「お前こそ何言ってるんだ! 騎士たる者、ジェントルの前での不毛な言い争いなどはマナー違反だ。ここは間を取ってオレが……」


「行かせるわけないでしょうが!」


 誰がライベルの面倒を見るかで言い合いになる女共。これもすっかり見慣れた光景だ。

 どうにも前から密かに人気があったらしく、あいつが朝からトレーニングするってを聞きつけた連中も朝練に参加するようになって行った。


 ただ、早朝からの大人数で訓練するのは他の屋敷の人間に迷惑が掛かると、コセルア以外は毎日入れ替わっている。風の噂じゃ権利の争奪戦が起きたとかなんとか……ま、どうでもいいかそんなん。


「おら起きな、ったく毎日ひいこら言いやがって。シャワー浴びに行くぞ」


 ライベルに近づいて腕を引っ張って起こす。

 息も荒いが、これでもマシになった方なんだよな。


「これじゃどっちが世話焼いてんのか分かんねえな」


「ご、ごめんさい坊ちゃま。でも体が熱くて……だけど少しは長く走れるようになったって思いませんか?」


「調子乗ってんじゃねぇよ。ほら水筒。……じゃあ先に上がるぜ、今日も世話になったな」


「……ぐぐ。ふう……あ、みなさん! 本日もお世話になりました! こほっ」


「何やってんだよもう」


 飲んだ後に大声を出したせいかむせたライベルの背中をさすりながら、俺達はシャワーを浴びに屋敷の戻るのだった。



「やっぱり坊ちゃまって大分変わったわよね。ああしろこうしろって無理言って来たのが遠い昔みたい。それにお肌も健康的になって来たし。実家の弟もあのくらい運動が好きになってくれたらいいのに」


「そうだね。前は機嫌を損ねないように怯えてたくらいなんだけど、今はむしろこっちの事気にかけてくれてるようになって下さって」


「それに……ライベルと一緒に汗を流す姿。普段女だらけでむさ苦しい演習場に花の咲いた気分だ。やっぱり男の子との触れ合いはそれだけで心が潤うな」


「ねえ。でもトレーニングとはいえ男子があんな軽装、特にライベル君なんて太ももを露出して。私はともかく他の人間には目の毒よね。連中が手を出さないようにきっちり責任持って監督しないと」


「そういって抜け駆けを狙うなんて騎士らしくない、ここはちゃんと規則を定めるべきだよ。ぼ、僕はお二人と仲も深まったと思うし、近くで見守る役にふさわしいと思うけど」


「お前こそ狡猾な事を言うな。……だが、いっその事二人の触れ合いを遠くから観察するに留まるのも、それはそれで乙だとは思わないか?」


「わかる」


「…………はぁ。どうして」



 何だろう? 今コセルアが深い溜息を吐いた気がした。


 ◇◇◇


 ここしばらくは記憶の無い俺の代わりに、ライベルが教師役としてあれこれと教えてくれた。

 ちゃんとした家庭教師をつける話もあったが、子供でも知ってる最低限の知識すらない俺には荷が重いと判断されての事、らしい。


 実際そうだ。俺には地球の常識しか知らんし、教師をつけられても授業なんか分からない。

 高校じゃバイトで出席もあまり出来てなかったしな。あの時点で同年代よりも馬鹿の自覚はあった。今は精神的にもキツイ。


 その点ライベルと話すだけの時間はいい気晴らしにもなる。

 幼稚園児レベルの疑問を口に出したって何とも思われないしな。


「そういや、男よか女の方がみんなデカいんだな。この屋敷とあの村しか知らねえが」


「? …………あ、確かにそうです。なんというか当たり前過ぎて、疑問に思った事もありませんでしたが。女性の方が平均身長が高いんですよ。男性としてはお坊ちゃまくらいがちょうど平均的だそうです」


「ふぅん。じゃあお前は男から見てもチビなんだな」


「そ、そんなハッキリ言わなくても……。でも、ぼくより小さい子だってそんなに珍しくは」


 こんな風にライベルは俺の質問を怪しむ事も無く応えてくれる。常識の引き出し先としてこれ程利用しやすい奴もいねえな。


 今の俺になって気づいた事のいくつかの内の一つが男と女の身長差だ。

 例外なんて料理長のシーレルくらいなもんで、この屋敷の男は背が低い。こうなると地球と逆になってると考えるべきか。


 今の俺が精々一六〇半ばなのに対して、コセルアなんかは一八〇を確実に超えている。前の俺と同じくらいか?

 身長に差がある上に力も女の方がある。騎士にしてもそうだが、この屋敷で働いてる女は力仕事をしてる場合が多い。


 で、男は何をしてるかと言えば……。


「お前って最初から俺の侍従だったのか?」


「いえ、ぼくは元々メイドとしてこの屋敷に連れてこられたんです。ただ坊ちゃまとお歳が近い事もあり、割とすぐに身の回りのお世話兼遊び相手として侍従を任されたんです」


「へぇ。メイド、ねぇ……」


「そうですよ。いや侍従に選ばれた時は苦労しました。他の貴族様の前に坊ちゃまと出ても恥をかかせないように貴族式のマナーを教えられて。侍従長ってとっても厳しいんですよ? あの頃は一日が終わるとほっとしてました」


「その上わがままなお坊ちゃまに色んな意味で遊ばれてたって事か」


「ええそうです! そうなんですよ! ただでさえ仕事を覚えるのも大変なのに毎日意地悪されて、元同僚の子達に愚痴を聞いてもらわないと身が持たないというか。何でお坊ちゃまってこんなにわがままなんだろうって……あ、今は違いますからね!? そんな事思ってないですから!」


「遅ぇよ馬鹿。……お前がドジなのはきっとこの先も変わんないだろうから諦めろ」


「ひどぃ……」


 基本的に使用人として働いているらしい。それ以外には厨房だとか。

 メイドの恰好はズボンとスカートの選択式らしいが、こいつはどっちだったんだろう?



 そんなやり取りを二ヶ月程繰り返して、こっちの知識を子供程度には手に入れた。と思う。


 シャワーと朝飯を済ませ、実のところ今日の俺は気分が良かった。

 相変わらずの頭痛に悩まされているが、それでもあのクソ不味い薬を飲んでなお機嫌がいいのには訳がある。


『お前だからさ、薬は液体じゃなくて錠剤で持って来いって言ってんだろ』


『ご、ごめんなさい! ほら、以前のお坊ちゃまは錠剤を嫌ってらしたのでつい』


『もう二ヶ月目だろうがお前』


 ……そんなやり取りがありはしたが機嫌がいいのには訳がある。



「さ、行きましょう坊ちゃま! ぼくこの日を楽しみにしてたんですよ?」


(なんで侍従のお前の方が身支度長いんだよ?)


 外行きの恰好に着替えて部屋に入ってきたライベルを伴い、俺は玄関へと向かう。



 俺達が今日を楽しみにしていた理由――町への外出許可が下りたからだ。

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