Dive into moon

ファレン2th

玉屑は月を目指した

H-IIBの祈り・墜落衛星

『H-IIBの祈り・墜落衛星』その①

 小学校時代の初恋相手にデートに誘われたことが、延々と続く灰色のような私の毎日を変えることになった。

 再会はそれこそ小学校振りで、流れた十数年の間に身長は軽く抜かれてしまった。

 休日のアウトレットにしては人は少ないのだろうが、今までほとんど家の中で一日を過ごしていた私にとって、突然人の集まる場所に出かけるのはなかなか馴れなれない。

「ほら音夢っ、次はあのお店見に行こうよ。面白そう」

 呼ばれるがしかし、身体は重い。

 洒落たワンピースで休日のアウトレットを闊歩する彼女は、私の後ろに隠れてばかりだったあの頃が嘘のように輝いていて、しかし変わらず可愛く、愛らしい。

 挙げ句こうして妹にリードされ私の、姉としての尊厳はぐちゃぐちゃだった。

 名前は珠火、当たり前だが名字は氷室。

 初恋は色褪せなかった。

 あれから一晩経つが、混乱未だ止まず。

 現実感はまったくなかった。神経回路だけがぷかぷか浮遊しているようだ。

 話は昨日の夜から始まる。

 夕飯代わりだったカップ麺を片付けて歯磨きをしていたところ、静かな家にチャイムの音が響いた。

 一軒家だから、チャイムの主の用は私にあるということになる。

 通販で買ったものは既に届いているし、手紙やプレゼントを送りつけてきそうな友人もいるにはいるが、さっきメールをしたばかりだしおそらく違う。話題に出すと思う。

 恋人だったが、随分前に別れた。初恋じゃないから胸が苦しくなるようなことはない。

 お互いにあまり気にしない性格だからか、なんだかんだ交流は続いていた。

 ちなみに要件は「アフリカにキリン見に行こうぜ!」という絶妙に興味をそそられるが別に、といった内容である。

 丁重にお断りしておいた。

 なにはともあれ来客。私は昔の服をそのままパジャマや部屋着として着回すタイプの人間で、流石にそのまま出るのは憚られたので適当に上着を羽織って玄関に向かう。

 サンダルを引っ掛けて、ドアスコープを覗いた。

「はて」

 その時は見慣れない女の子が立っていると思った。不思議に思いつつも扉を開いて、その第一声に衝撃を受ける。

「久しぶり、お姉ちゃん。ーー今は、『音夢』って呼んだほうがいいかな」

 妹に再会して、妹がめちゃ成長していて、そして妹に見下され呼び捨てにされる。

 イレギュラーの連続が私を襲った。

「珠火ちゃん、だよね。おっきくなったね」

 私より頭一つ分は背が高い。私が伸びていないだけかも知れないが。

 珠火ちゃんはそれなりの大荷物で、とにかく家の中に招き入れる。

「どうしたのそれ。私持つよ」

「ありがと。リュックお願い」

 私に手渡して地べたに伏せた。派手に揺れた彼女を横目に、私はフラフラしながらとりあえずリビングの隅に荷物を整地。

 一応客人なのでお茶、と思ったがなかったのでコーヒーを入れて、珠火の前に座った。

 ニットセーターと長いズボンといった出で立ちで、なるほど印象は変わっているが纏っている雰囲気は確かに珠火ちゃんのそれだった。

「えとそれで、ご用件は」

 私の問いに珠火ちゃんはしばし悩んで、ポロリと呟いた。

「えーっと。家の水道管を工事するのでしばらくここに住んでもいいですか」

 一応、年賀状は毎年送っていた。形式的なものだったが、それで住所がわかったらしい。

「ホテルも手配してもらえたんだけど、家からの距離同じくらいだったから」

 駄目ならそっち行きます、と。

 それは。

 それは、願ってもないことだ。

 私は小学校卒業と同時に知り合いの持ち家、つまりここで一人暮らしを始めたわけだが、それは珠火との間にあった気まずさからの逃げでもある。

 初恋は実らないというのは普遍的なものらしく、私の場合それは小学校最後の文化祭で初恋相手に、胃酸と血をぶちまけるというアクシデントによって達成された。

 だから逃げた。

 逃げて逃げて、しかしずっと後悔してきたことも事実だ。

 一人で過ごすには寒すぎる夜というのは私にもあって、そういうときに思う。

 もう少し、珠火と向き合っていれば隣に居れたんじゃないか、一緒に泣けたんじゃないかと。

 だから、私はその相談に首肯した。

 それから二人で(主に珠火の)積もる話を肴に晩酌して、だらしないがソファで眠り、翌朝。

 新生活の買い出しに行こうということになり、今に至る。

「我ながら怒涛の一晩だった」

 私の、少し遅い秋はこうして始まった。

 不思議と疲れは出てこない。

 それが珠火の力かもしれなかった。

 ぐぅーと伸びをする。

「待って待って」

 私を先導する珠火は昼間の素直な日光に照らされて、淡いオレンジ色の髪が点滅する。

 昔は短くしていた髪は今は綺麗なポニーテールになっていて、スキップする度にゆらゆらと漂う。私は下ろしているが、同じくらいの長さはあるだろうか。

 「待って珠火、置いてかないで」

 気がついたら距離が離れていて、置いていかれないように小走りになる。

 こっちは結構必死だ。

 入ったお店は落ち着いた雰囲気の服屋さん。界隈の事はよくわからないが、珠火曰く比較的癖がなくて着やすい服が多いとのこと。

 実際今日珠火が着ているような、ひらひらした感じのスカートとか、袖が膨らんだ形のシャツなんかが並んでいる。

 こういうおしゃれ服屋と私が括っている店は、全身大量生産品のモラトリアム的ファッションの人間には若干居づらい場所だと思っていたが珠火と二人ならそうでもない。

 値段もびっくりするほどではないし。

「音夢はどういうのが好きかな」

 珠火はと言うと、慣れた様子で服を吟味していた。

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