第20話 黒羽参戦

聖皇歴708年、1月。


黒羽の里には雪が積もっている。

山寺の境内、その縁側にウィリアムの姿があった。

ゼクウにより瀕死の重傷を負わされて1年と数か月、未だに彼は完全な復調に至っていない。

座る彼の傍らにはいつも使っている愛用の杖がある。

未だにこれなしではふら付いて危ない事があるのだ。

それほどの後遺症が彼には残っていた。


ウィリアムと優陽ゆうひ……刻久ときひさは結局あれ以来2度ほど顔を合わせただけである。

すぐに里に戻され療養生活に入ったウィリアムを刻久が見舞ったのだ。

相変わらず東州中を忙しく転戦し続けている最中のこと……落ち着いて長く話す事もできなかったが。

自分のせいだと気に病む刻久にウィリアムはそうではないと、気にしなくていいのだと励ましたのだがどこまでそれが通じたかはわからない。

通常の負傷であればどれほどの深手であっても魔人である彼はここまで回復に時間がかかる事はない。

やはりこれは妖気なる妖怪特有のエネルギーの悪影響なのではないかとウィリアムは自分では推測していた。


「…………………………」


雪の境内を眺めながら愛弟子を想うウィリアム。


最後に会ってから数ヶ月。

その時の事を思い出す。

刻久は別人のようであった。

まるで歴戦の武人のような雰囲気を纏い隙が無く研ぎ澄まされていた。


それは自分と離れたせいもあるのではないかとウィリアムは思った。

精神的な支柱となっていた自分が戦線離脱した事で刻久には「甘え」が許されなくなった。

その状況が彼をより鋭く磨き上げたのではないかと……。


「センセ、冷えますよ」


物思いに耽る彼にエトワールが声を掛ける。

彼女の手を借りてウィリアムはゆっくりと立ち上がると最後にもう1度雪の庭を振り返る。


(優陽……無事で帰ってきてくれよ)


声には出さずにそう祈り彼は襖を閉めた。


────────────────────


2月になり相も変わらず雪の降るある日に里に来客があった。

将軍、嘉神征崇かがみまさたかであった。

僅かな護衛のみを連れて今や大陸全土の支配権を得た男が小さな里を訪れる。


「爺や、今日わしが参った要件は言わずともわかるであろう」

「上様。我らに……黒羽に幕府に従えと申されますか」


幻柳斎げんりゅうさいの言葉に征崇が頷く。

前回と同じく山寺の本堂で2人は余人を交えず向かい合っている。


「そうだ。わしらと共に百鬼夜行と戦って欲しい。黒羽の力が必要なのだ」


征崇の言葉は強いが決して高圧的ではない。

彼は黒羽の者に対して威圧で事を進めようとはしない。


「妖怪である黒羽一族われらに妖怪である百鬼夜行と戦えと申されますか」

「そうだ」


征崇は肯いた。

それがどれほどこの老人と一族に苦痛を強いるのか、それを知って尚征崇ははっきりと言う。


「その事で我らは多くの同胞たちから恨まれ、石を投げられる事となるでしょう。それでもですか」

「それでもだ」


征崇は一瞬目を閉じて沈黙し、はっきりとした声で肯定して肯いた。


「爺や、誰かが妖怪王を討たねばならぬ。あれは妖怪たちにとっても害為す存在ものだ。爺やもわかっておるであろう」


幻柳斎は目を閉じしばしの間何事か思案している様子であった。


「なれば、この黒羽幻柳斎……上様にお伺いしたき儀がございます」

「申してみよ」


頭を下げる幻柳斎。


「幕府が勝利した暁には、人妖平等の世は訪れますでしょうか?」

「………………………………」


幻柳斎の問いに征崇は沈黙した。

それは数分の事であったが2人にとってはずっと長く感じられた。


「……わしは、そなたには嘘やごまかしを申したくない。故にはっきりと申しておく。幕府が勝利した暁には、爺やの望んでいた人妖平等の世は……来ない」


揺ぎ無き王者、統治者である征崇もその事を告げるのには流石に逡巡があった。


「できぬのだ。此度の大乱は妖怪王と百鬼夜行による未曽有の大虐殺より始まったもの。戦に我らが勝利した暁に妖怪を人と同等に扱えば命を懸けて戦った者にも、大切な者を亡くした者たちにも申し訳が立たぬ。妖怪たちには長く辛い冬の時代を送ってもらう事となろう」


征崇の言葉に老人は沈痛な表情で俯いた。


────────────────────────


嘉神征崇が引き上げていった後、幻柳斎は一族の主だった者を本堂へ集めた。

その中にはウィリアムとエトワールの姿もあった。


座る一同を前にして幻柳斎は目を閉じたまま微動だにしない。

それがもう5分以上も続いている。

……誰も何も言わない。

僅かな身じろぎの衣擦れの音さえ聞こえてくる静まり返った本堂で、一同は長の言葉を待つ。


そして、幻柳斎が瞼を上げた。

一同を真っすぐに見据えて老人が口を開く。


「……我らは、黒羽一族は嘉神征崇様に味方し百鬼夜行と戦う」


その言葉は無音の衝撃となって本堂を駆け巡ったが1人も声を出す者はいなかった。

真意を問いただす者はいない。

それが何を意味するのか、それを口にするまでにこの老人にどれ程の葛藤と覚悟があったのか……。

それを皆、わかっていた。


自分たちが長い時を掛けて少しずつ積み上げてきたもの。

それを今、自らの手で崩そうとしている。

人と妖怪が等しく暮らせる世を夢に見て歩んできた者たちの指導者が、人の勢力に味方し妖怪たちを討つ戦争に参加するのだ。

大陸中には百鬼夜行に参加せずに暮らしている妖怪も数多くいる。

その中には黒羽の一族と懇意の者たちも多い。

この決定は彼らの多くを失望させ、関係を悪化……或いは断絶させるだろう。


……それでも尚やらなくてはならない。


妖怪王が、百鬼夜行が勝利すれば大陸は地獄になる。

それは人のみならず多くの妖怪たちにとっても同じことだ。


故に皆、声には出さずただ涙した。

長の悲壮な決意を思ってただ涙を流した。


こうして聖皇歴708年、2月。

黒羽一族は火倶楽幕府の傘下となり大戦へと参戦することとなった。


────────────────────────


黒羽の『武器』とは何か……?


それは大陸中に巡らされた情報網である。

黒羽はあらゆる国に、あらゆる地域に一族と協力者たちによる支部を置き北方大陸全土を網羅するネットワークを形成しているのだ。


そのネットワークがもたらす数多の情報こそが征崇が最も欲した黒羽の武器なのである。


人類勢力火倶楽幕府に組し百鬼夜行と敵対関係となった黒羽一族は早速この情報網を駆使して百鬼夜行の動向を仔細に調べ上げ調査結果を火倶楽の幕府首脳陣へと届けた。


幕府軍は各地で情報戦の勝利により戦況を有利に進め百鬼夜行の撃退を続ける。


業を煮やした百鬼夜行軍は四天王が遂に4匹全員ゼクウの下を離れて出撃するようになっていた。


聖皇歴708年、4月。

大陸中央部某国にある峡谷、『雨月うげつの谷』にて遂に四天王の一軍と嘉神刻久の軍が激突した。

敵陣最深部へ単騎突入した刻久。

そこで待ち受けていたのは……。


「ギギギ、お前が嘉神刻久か。聞いてはいたが随分小柄だな? オマケに腕も細い……」


ゆらりと長身の痩せた大将妖怪が立ち上がる。

その手には三日月のように湾曲した大刀が握られている。


「四天王、骸岩がいがん

「おう、その骸岩サマよ。よおく覚えておくんだな。これからお前を地獄送りにする男の名だ、ギギギ」


骸岩と対峙する刻久。

刻久は人の女性としてはむしろ長身の部類なのだが、身長230以上もある骸岩からすれば小柄なのだろう。


「嘉神刻久だ。天命によりお前を討つ!!」


嘉神の家に伝わる神器『日輪の太刀』を構えて刻久は骸岩を迎え撃つ。


「どぉら……うちの妖怪王サマ相手に一晩持ちこたえたってその腕見せて貰おうか!!!!」


湾曲大刀で無造作で大振りに打ちかかる骸岩。


(……速い!!!)


刻久が横に飛んでその一撃を回避する。

轟音と共に地面に炸裂したその一撃は岩場を大きく長く断ち割った。


そしてその振り終わりの隙を刻久は見逃さない。


「ハァッッ!!!!」


反撃の横薙ぎが一閃する。


ガキィィィン!!!!


だがその鋭い一撃を刻久の予想を遥かに上回る反応速度で骸岩が自分の得物で受けた。


「その刀はなぁ……よな? わかるぜオレにはよぅ、ギギギッ!!」


そして再びの四天王の猛撃。

息を付く間も与えぬ怒涛の攻撃が雨霰と刻久に降り注ぐ。


「くっ……!!」


内何発かを捌きそこね刻久は傷を負った。


「……!!!」


連撃の終わりに前蹴りが来た。

辛うじて身を引いて威力を削いだが刻久は後方へ吹き飛ばされた。

必死に跳ね起きて構えを取る。

見れば胴鎧の腹部が無残に凹んでいる。


「もう一度言うぜ、オレは四天王、骸岩。嘉神刻久、今お前は地獄の淵に立ってるぞ……オレがほんの少し小突けば真っ逆さまだ……ギギギギッ!!」


長い指で刻久を指差し、尖った歯を見せて裂けた大きな口で骸岩は耳障りな笑い声を上げるのだった。

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