第14話 聖なる御山の護り

 聖皇歴706年、5月。

 嘉神征崇かがみまさたかによる百鬼夜行討伐軍の決起より2年が過ぎ、刻久ときひさは16歳になっていた。

 今や彼は一軍を任され各地を転戦し破竹の勢いで戦績を積み重ねている。

 打ち破った敵妖怪部隊の数は討伐軍でも並ぶ者がない。

 難敵とされてきた強豪妖怪の首級もいくつも挙げた。


 巷では『英雄・嘉神刻久』の名が人々の口に上る回数も日々増え続けていた。


 ────────────────────────


 東州某所の山深い廃村。

 そこに今木刀を打つ音が響き渡っている。


「……はあッッ!!!」


 カァン!と小気味の良い音を響かせてウィリアムの木刀が宙を舞った。

 同時に彼の額の斜め上には刻久の構えた木刀の切っ先がある。


「参った。1本だ」


 苦笑して負けを認めるウィリアムに輝く笑顔を見せる刻久。

 最近はもうウィリアムは手加減もしていない。それでも3本に1本は取られるようになってしまっていた。

 相変わらず刻久……優陽の武術の成長は目覚しく、特に実戦を経験するようになってからはめきめきと速度を上げて上達している。

 最近はめっきり容姿も大人びてきて見目麗しくも凛々しい若武者に彼女は成長していた。

 腕を上げているのは武術だけではない。

 幼少時からウィリアムが彼女の素養として見抜いてきた戦況を素早く正確に見極め適材適所に人を配置する才能……それもまた戦場で見事に花開き、今の彼女は指揮官としても突出した存在になりつつある。


「どうですか? 先生。弟子の成長ぶりは」

「舌を巻くばかりだ。大したものだよ……本当に」


 他意なく素直に賞賛するウィリアム。

 彼には予感があった。そう遠くない内に彼女の強さは自分の手の届かない高みに至るだろう。


「もう私が教えてあげられる事もほとんど残っていないな」

「!!」


 何気なく彼が言った一言に刻久の顔色が変わる。


「い、いやです……! 先生、ゆう……刻久はもっと先生に学びたいのです!!」


 縋り付くように自分の手を握る刻久にウィリアムはやや驚いた。

 向かうところ敵なしに見える若き英雄候補にもこちらの気付かない色々な不安や葛藤があるのかもしれないなと彼は思った。

 瞳に薄っすらと涙を浮かべている刻久の手を穏やかに優しく握り返す。


 ……別れはいつしか訪れるものだが、今それをあえて口にする事もあるまい、と。


 刻久が落ち着くまでウィリアムはそのまま手を握り続けるのだった。


 ────────────────────────


 その稽古の日の午後であった。

 刻久の部隊の駐留する廃村に突然征崇まさたかの来訪があった。


「兄上が!?」


 報せを聞いた刻久が驚く。

 ここで合流の予定などない。

 不測の事態が生じたかと全身を緊張させる刻久。


 百鬼夜行討伐軍の総大将、嘉神征崇は旅の行商人に扮し自身を含めたった6人で刻久の陣営に訪れた。

 一軒の廃屋の中で兄弟は向かい合って腰を下ろす。

 およそ半年振りの再会であった。


「兄上、何事でございましょうか?」

「うむ、此度の一件は慎重の上にも慎重を重ねねばならん大事であるのでな。それ故そなたにも知らせていなかった。この件を知るのはわしの側近ら数名のみじゃ。今わしの部隊は影武者が率いておる」


 征崇の様子は普段と変わりはなく刻久はやや安堵した。

 そうなると気になるのは今兄の斜め後ろに控えるもう1人の人物に付いてである。

 頭巾を目深に被った女性だ。

 まだ征崇からの紹介はない。


「刻久よ。そなたは『聖地』に付いてどれほどの事を知っておる?」

「は? 聖地……日輪にちりん様のでございましょうか?」


 唐突な兄の問いに戸惑いながら問い返した刻久。

 征崇は「そうだ」と肯定する。


 日輪様とは、北部大陸の人類の9割以上が信仰している女神エリスの事である。

 女神エリスは北方大陸以外でもほぼ世界の全ての人類に広く信仰されている最大宗教だ。

 正義と真実を司りその神性は太陽に象徴される。

 その為北部大陸では日輪様の呼称で呼ばれているのである。

 そして『聖地』とは北部大陸中央に位置する女神エリスの主神殿のある総本山『聖地サフィール』を意味している。

 サフィールには女神の地上における権能の代行者『聖女』がいる。


「確か、大戦の起こった初期のころに百鬼夜行に攻め込まれ聖女様もお坊様も皆殺されてしまったと……」

「その通りだ。聖地は滅ぼされ今は神殿の廃墟があるのみとなっておる。……しかし、刻久よ。おかしいとは思わぬか? 御山おやまには悪しき妖怪を寄せ付けぬ聖なるまもりがあるはずだろう」


 日輪経典にちりんきょうてんに曰く、聖地に聖女あらば御山には聖なる護りが張られる。

 この護りは目に見えぬ壁であり悪しき魔物や妖怪の侵入の一切を防ぐとされている。


「ですので……人々はやはり御山の護りとは迷信、御伽噺だったのではないかと話しておるのを耳にしたことがあります」

「それは違う」


 征崇は静かな声で、しかしはっきりと否定する。


「御山の護りは迷信でも御伽噺でもない。真実だ。その堅牢さはかつて『六大妖』の1匹すら退けたこともある」


『六大妖』とは古くから存在し強大な力を持つ6匹の大妖怪の呼称である。

 ちなみにこの6匹はそれぞれ大陸内に小規模な勢力圏を持ち、今回の大戦には中立を貫いて関わっていない。そして百鬼夜行側もこの6匹の勢力圏には踏み込もうとしない。


「? ならば、何故御山は侵され聖地は滅ぼされてしまったのでしょうか?」

「その答えは1つだけじゃ。百鬼夜行が攻め込んだ時、御山に護りはなかったのだ。それは即ち、御山に聖女様がおられなかったという事である」


 話の展開に付いていけずに言葉を差し挟むことができずにいる刻久。


「この事に兼ねてより疑念を持っておったのは我らが父君、清崇きよたか様じゃ」

「父上様が……」


 うむ、と征崇が肯く。


「父上は以前から御山に聖女様がおられぬのではないかと疑念を持っていた。いつの頃からか御山に悪行を働く妖怪が入り込んで人に害を為したという噂話が流れるようになってな。御山に悪行妖怪が入り込むのは護りがないからであり、護りがないのは聖女様がおられぬせいであろうと父上はお思いになったのだ」

「しかし……御山に聖女様はずっとおいでだったはずでは。毎年の国主様たちとの面会もありますし」


 聖女には外交行事が多い。

 頻繁に要人との面会があるのだ。

 いないとなればすぐに騒ぎになるのではと刻久は思った。


「それよ。つまり長く聖地におられる聖女様は偽物……替え玉だったという事だ。妖怪王が、百鬼夜行が世に現れるずっと以前より、聖地の護りは失われていたのだ」

「………………………………」


 事実であれば世を揺るがす大問題である。

 だがその後により大問題の百鬼夜行が現れてしまった訳であるが。


「刻久よ、此度の我らの作戦は御山に正しき聖女様にお戻り頂き聖なる護りを蘇らせることだ」

「しかし兄上、聖女様は……」


 言葉を発しかけた刻久を片手を上げて征崇が制する。


「父上は聖女様の件を探るために食客であった芭琉観ばるかん和尚の協力を仰いだ。和尚は父上の援助を受け聖地周辺で長年に渡って調べを進め、17年もの歳月を掛けてとうとう本物の聖女様を探し当てたのだ」


 胡坐をかいて座る征崇はそこで体の向きを斜めに変えて後方に座る人物を示す。

 それを受けて女性は頭巾を脱いだ。


 年若い成人女性だ。

 銀色の長髪で、ややたれ目気味の美人である。


「どもーっス! 聖女ちゃんだよーんだ!」


 ピースしてウィンクした聖女ちゃん。


「は、はあ……いつもありがとう……ございます?」


 聖女ちゃんのあまりのキャラにトンチンカンな返答をしてしまう刻久。


「……本物だぞ」


 そして弟の疑念を感じ取ったのか聞かれてないのに念押しする兄であった。





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