第6話『村外れの剣豪』

太陽が地平線から顔を出したばかりの朝早い時間に、俺は目を覚ました。寝ぼけ眼であたりをキョロキョロと見渡す。少し離れた先で、ライラが全身布団に埋まって熟睡していた。


「あ、そうか……異世界に来てるんだった」

 

そう一人呟いた後、起き上がった。


旅行先のホテルなんかで、いつもより早く目が覚めた時に周辺を散策するのが好きだ。普段は休日など昼近くまで寝ていたい派ではあるが、いつもと違う場所の朝の空気には特別な魅力があると思う。


家の中は静かで、まだ誰も起きていない様子である。俺は音を立てないように外へ出る。爽やかで涼しげな風が俺の頬をくすぐった。


俺達が泊まったカザミの家は、周囲を森に囲まれたこの村の中でも特に外れに位置しており、家を出るとすぐに深い木々が生い茂る森の入り口が待っていた。


日が出ている今の時間でも全体的に薄暗い。それほどまでにたくさんの木々が枝葉を伸ばしている様には強い生命力を感じた。マイナスイオンというやつだろうか、空気も濃い気がする。俺は迷ったりしないよう注意を払いながら森の中へ足を踏み入れた。


鳥の鳴く声や、何か小動物や、虫のような物が動いて葉を揺らす音がする。ふと背後に気配を感じて振り返ると、小さなリスのような生き物がこちらを見ていた。


「こりゃ可愛らしい」


ゆっくりと近づいて、しゃがんで観察する。リスもどきは鼻をヒクヒクと動かして首を傾げてこちらを見ていたが、やがてぴくりと動きを止めて、耳を立てて、辺りをキョロキョロと見渡した後に俊敏な動きで近くの草むらの中へ逃げて行ってしまった。


「逃げちゃったか」


そう一人呟いた次の瞬間。轟音と共に、近くの木が吹き飛んだ。


リスもどきが逃げ去ったのとは逆の方向から現れたそれは、昨日のケルベロスであった。昨日は変身していたため気づいていなかったが、かなりの巨体だ。昔、博物館で見たヒグマの剥製の倍ぐらいはあろうか。額からはユニコーンのようなツノが生えており、爪は鋭く長く、ナイフのような牙が生えている。そして昨日俺が殴り飛ばした左端の首の位置には新たな小さな顔が生えていた。そこだけ幼い子猫のような風貌で、ミイミイと鳴いている。


ケルベロスは俺に向かって空気を震わす咆哮を上げた。左端だけがミャーとあざとく鳴く。


「うわあ」


俺の口からは、情けない声しか出なかった。そもそも俺程度に本意気の雄叫びを上げるケルベロスの方がおかしいのであって、俺は悪くないと思う。


「君、本気を出す場所を間違えているぞ。俺なんかの相手しなくて良いから引き返しなさい」


なんてことを言う余裕も無く、俺はその場に座り込んだ。足がすくんで動けない。スマートウォッチをカザミの家に置き忘れたため変身もできない。俺は無力だった。


ケルベロスは首を傾げつつ俺を睨む。どうやら、匂いで昨日のモフモフくまさんと同一人物であることは分かったらしいが、あまりにも弱いので疑問に思ってる風であった。それで良い。そのまま人違いと思って立ち去ってほしい。


 迷ってる様子の中央首と右端首が、揃って左端首を見た。左端が「ミャー」と愛らしい声をあげる。アフレコしてみるとこんな感じだ。


中央首(コワモテ)「え、ほんとにこいつで合ってる?」


右端首(スカーフェイス)「昨日とは覇気も見た目もまるで違うっすよ」


左端首(プリティー)「うるせえ!野郎ども、やっちまえ!」


他の二首はそれに呼応して俺に牙を向け、飛びかかった。


「いや、お前が指揮官かよ⁈」


という最期の言葉を叫んだ直後、俺の全身は真っ赤な血に塗れた。


しかしそれは俺の血では無かった。ばっさりと一文字の深傷を負ったケルベロスの体から溢れ出た血が、俺の体を濡らしたのだ。


ケルベロスは雄叫びを上げつつ、森の奥へと逃げ去って行った。後に残されたのは、血生臭い真っ赤な俺と、美しい刀を構えて立つ白髪の老人であった。


老人は刀身を払って血を落とすと、無駄のない動作で鞘へ収めた。そして鋭い視線をこちらへ向けて、言う。


「こんなところで何をしていた?魔物が活発化していることを知らんのか⁈」


その口調の厳しさに、俺の背筋が自然に伸びる。


「は、はいっ!すみません!」


「次は無いぞ。軽々しく森に立ち入るな」


無愛想に言う老人。そこへ、森の奥から彼を追ってきたらしい人影が現れた。


「お爺様、待ってくださ——あれ、ノヴァ?こんなところで何しているの!」


そう俺の名を呼ぶのは、カザミ・エトワールであった。


俺は頭を掻いて弁明する。


「いや、朝の散歩でも、と……」


「こんな危険な魔獣の森を⁈それは愚かすぎるわ!」


老人に続いてカザミにまで叱責され、俺はただ縮こまるしかできなかった。


カザミは深くため息をついて、独り言のように言う。


「でも、まあ、注意してなかった私に非があるわね……。お爺様、この責任は私にあります」


そう言って、老人に頭を下げた。老人は何も言わずに頷くと、「今日の修行は倍でやれ」とだけ言って去って行った。


俺はその背中を見ながら恐る恐るカザミに尋ねる。


「あの人が、君の……?」


「そう、お爺様」


カザミは誇らしげな顔で言う。


「この村で一番の、剣豪よ」

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