第10話

 その日の授業がすべて終わると蓮は大空先生に呼び出された。

 おそらく授業をサボったことだろう。


 高校生になって初めての生徒指導室。


 中学生の頃の生徒指導室と同様に畳張りの教室で、小さな机が一つだけおいてあり、落ち着く気分になれた。


 生徒指導室は畳でなくてはいけないというルールでもあるのだろうか?


「おう。来たか……。」


 生徒指導室に入ると大空先生が先にあぐらをかいて座っていた。

 長髪気味である蓮に人の事は言えないが、相変わらずのぼさぼさの髪だ。


 自分がストレートヘアなのに対して、大空は癖っ毛であるから余計にぼさぼさに見えるのだろう。


「先生……。抜け出した件ですか?その説は……」


 蓮は恐る恐る先生に尋ねる。

 そして尋ねている間、言葉を遮るように大空は答えた。


「いや、そうじゃない。生徒は青春してくれればそれでいい!ただ俺もこれでお咎めなしだと怒られてしまう!だから少し話をしよう……!この教室借りて一時間も話せば周りの先生も許してくれるだろう。」


 そう言って先生は蓮に笑って見せた。


「何を話すんです?」

「うーんそうだなー。そういえば最近小岩井と何かあったのか?あんまり話してないよな。喧嘩でもしたのか?別れたとか?」

「付き合ってないですし喧嘩もしてません。」


 蓮は何となくわかりきっていた話題をため息交じりに答える。


「付き合ってなかったのか!?えぇ!?」

「な、なにそんなに驚いてるんですか……?」

「いや、だってアイツ!『最近植田と話せてなくて寂しい』みたいなこと言ってたぞ!?」


 目を点にする大空先生。

 蓮はそれを聞いて一瞬心臓が引っこ抜かれたかというくらいに驚いたが、すぐにもう諦めたことを思い出して冷静を保つ。


「はは、嬉しい話ですね。」

「ほんとに思ってんのか?その言い方……。」

「思ってますよ。」


 先生の下唇の中心を釣り上げて軽くうなずく様子を見るに、疑念を抱いている様だ。


「んで?何で最近小岩井の事避けてんだ?」

「避けてるようにみえます?」

「避けてるだろ。」

「そうですよね~……。」


 蓮はそうやって後頭部の髪をワシワシと掻きながら返事をする。


「んでなんだ。そのー。単純に小岩井が可哀想だろ。」


 正直先生に話すのには気が引けたが、この先生なら大丈夫だと思うほどに蓮は大空を信頼していた。


「んや、まぁ、なんか最近色々疲れちゃって……。自分でもわかんないです。」

「わかんないで終わんなよ~。お前が分かんなきゃ俺も分かんないだろう……。」

「いや、わかんなかったんですけど、もう大丈夫です!気持ちの収めどころは分かったんで!」

「お?んじゃ小岩井と仲直りすんのか?」


「だから喧嘩してないですって……。」


 そう言って蓮笑って見せる。それに、仮に喧嘩をしてたとしてももう仲直りする必要はないのだ。


 独りでいることを選んだのだから。


「んじゃどうすんだよ?」

「どうもしないですよ。」

「小岩井はそれで許してくれると思ってんのか?」

「許されなくてもいいですよ……。」


 大空の目から見て蓮はあまりにも落ち着き過ぎていた。まるで人が変わったようで、大空は逆に自分が戸惑ってしまいそうになる。


「それじゃ仲直りできないぞ……。」

「いいんです。しなくて、」


 次は大空が頭を掻きむしる。


「そういえば江川とも最近話してなかったよな?」

「彼に関してはもともと自分から話しかけることなかったですよ?」

「あー、あいつはなんか後ろめたく感じてるみたいだったぞ?この間勝負してぼこぼこにし過ぎてへこましたって」


「なんかウザい奴ですねそいつ。」

「それに関しちゃ同感だ。」


 そう言ってあぐらをかきながら肩を揺らして笑う大空。


 大空は何を考えているのか分からない蓮に対して、ただ現状から逃げて独りになろうとしているのを感じた。そして自分自身同じように思って何かを諦めてしまったことがあった。


「独りは辛いぞ?」

「誰かがいるから孤独を感じるんですよ。一人の時は寂しくなかったです。」

「ませたこと言うんだな……。」


 嘘ではない。大切なものが傷つけられるのが怖ければ、大切なものが無ければいい。

 蓮は本気でそう思っていた。


 先生は一度スマホを取り出すと時間を確認して席を立ちだす。


「そろそろ出ても大丈夫だろ。コンビニ行くか?テスト期間も終わったし何かおごってやらんこともない。」

「もちろん行きます!」

「さっきまで増せてたのに、遠慮がねぇな……!?」


 都合のいいときだけ子供ぶる蓮についツッコミを入れて笑ってしまう。


「んじゃ帰りの準備してこい!」


 そう言って蓮を一度送り出すのだった。


 一度教室に戻ろうとした蓮だったが、今日は火曜日。


 先々週の火曜日に小岩井が学校に残っていたことから、もしかしたら小岩井がまだ教室にいるかもしれないと考え気まずさから何も持たずに再び大空の下へ向かった。


「ん?蓮?荷物は?」

「スマホも財布も定期も持ってるんでもういいかなって……。」


 教師用の昇降口前で合流した際に蓮を見て不思議に思った大空だったが、何となく事情を察して叱ることなくコンビニへ向かうことにした。


 放課後ということもあり外は夕方だった。

 蓮の嫌いなオレンジの世界もそろそろ終わりを告げようとしていた。


 信号を一つ渡った先にあるコンビニへ言葉を交わすこともなく歩く二人。


 コンビニの店内は無機質で季節感など関係なく、夕方であることを忘れさせるほどにまぶしい。


「あ、そのコーヒー……。いつも飲んでますね。」


 蓮は大空がブラックコーヒーの缶を手に取るのを見てそうつぶやいた。


「んあ、これ?俺の好きな漫画で出てくるコーヒーなんだよ。友情努力勝利系の……。主人公がこのコーヒー好きでさ?なんか飲んだら自分が主人公に近づけた感じするんだよな。」


 蓮は大空のブラックコーヒーを好むという大人な一面を見ていた。


「意外と子供っぽい理由なんですね。」

「当たり前だ。大人って大きくなった人なだけで意外と中身は皆子供だぞ?」

「へー。」


 蓮は遠慮することなく大空の選んだコーヒーの三倍の値段のする通常より大きめのエナジードリンクを選んだが、軽く頭を叩かれて通常サイズのエナジードリンクを手に取った。


「色々考えてそうな大人だって大体皆が想像しているほどモノを考えていたりしない。みんなから見て子供に見える先生はだいたい中身も餓鬼さ。」


 コンビニを出ると、店の前の鉄柵に腰を掛ける。

 カシュッと音を鳴らして缶を開くと苦そうな真っ黒いパッケージの飲料を先生はのどに流し込むように飲む。


「一つ自分語りしてもいいか?」

「え?いやですよ?」


「おごってやったんだから聞けよ……。」


 大空はヘラヘラと笑ってそういう。蓮には拒否権なんて無いようだ。


「俺、あと二年後?くらいに先生辞めるんだ。お前らが卒業するとき……。」


 股の間にコーヒーを持った手を挟んで空を仰ぐ先生は絵になっていて、清々しいといった印象を与えられた。


 大空の発言には少しばかり蓮も驚いたが、それほど仲が良い訳でもなければ、一緒に卒業するわけで別に哀しさも感じなかった。

 けれど形式的には聞かなければいけない気がして、蓮は「どうしてです?」と尋ねてみる。


「夢が叶ったんだよ。」

「夢……。」


 自分には関係のない言葉。そんな気がした。


「実はさ、大学四年生の時にバカみたいな夢を見てさ、何者かになりたい!って思うようになったんだ。それまではほんとに無気力な奴で、夢も欲もなかったからただ生きてたうんこ製造機だった。友達もいらないって思ってたし、恋人は作るものじゃなくって出来るものだと思ってた。」


 ――僕と同じだ……。


 蓮も同様に友達は要らない、恋人も今は必要がないと、必要以上に誰かを避けていた。

 夢を持たない蓮だったがそこは先生にひどく共感できた。


「そんで音楽だったり、絵を描いてみたり、むかしは動画とか作ってみたりしてたんだぜ?」


「子供みたいですね。」

「そう。趣味をやってる時間は子供のままでいられたんだ……。でも、社会人になったらそうは言ってられない。趣味にかまけてろくに就活をしてなかった俺はブラック企業に入っちゃってさ、夢から遠ざかっちまったんだ。」


「……。」


 大空は「あの時は相当病んだね~」といって相変わらずヘラヘラと笑っていたが、相当つらい過去だったのだろう。いつも笑顔しか見かけない先生の顔が少しだけ曇っていた。


「それでその時思ったんだよ。夢なんて持つから辛くなるんだって……。」


 蓮はその言葉に胸を刺された。図星だ。小岩井とかかわるようになってから、どこかでヒーローになれたと思っていた。


 そして偶々持っていた足が速いという武器をまるで自分だけのものだと思い込んで大切にしていた。


 しかし、自分がいなきゃいけないと思っていた小岩井は江川という友達ができ、自分だけと思っていた武器は井の中の蛙でいくらでも凄い奴はいた。


 なら昔のように誰とも接することをしなければ、誰かを失う悲しみも知らずに済む。


 昔のように戦うことをしなければ、負けることもない。


「先生はどうやって克服っていうか……立ち直ったんですか……?」


 蓮はこの答えを聞かなければならなかった。

 しかし、大空は「うーん。」と唸ってなかなか答えを導き出せない様子。


「…………。」

「…………。」


「…………。わからん。」


「なんでやねん!分かるから話し始めたんちゃうんかい!」

「んなっはっは!違うぞ!ただ自慢したかっただけだ!」


 腕を組んで仁王立ちで自慢げにする大空をみて、蓮は大きくため息が出てしまう。


 ――思わず関西弁で突っ込んじゃったじゃないか!


「まぁただきっかけはアレだな……。好きな人が夢に出てきたんだ。」

「なんですか?その中学生みたいな理由。そんなのでやる気が出たんですか?」


 仁王立ちをしたまま先生は声を出して小さく笑う。自分でもおかしなことを言っていることとは分かっているのだろう。


「その子がな?大学時代、夢にめがけて頑張っていたタイショーが好きだった。って言ってくれたから、『あの時夢を追ったのは間違いじゃなかったんだ!』ってそう思えたんだ。あ、タイショーって俺のあだ名な?ほら俺の名前大正だから……!」

「…………。」


「その時から、俺はいつか出会う誰かのためとか、自分を応援してくれる誰かとかじゃなくって、アイツの応援してくれる自分のために頑張った……。植田にも喜ばせたい相手いるんじゃないのか……?」


 ――喜ばせたい相手……。


 蓮は必死にいろんな人の顔を思い浮かべたが、小岩井と江川の顔しか出てこなかった。

 何度も何度も何度も違う人を探したが、二人の笑顔しか思い浮かばなかった。


「喜ばせたい奴。いました。でも、俺、あいつらのこと……。」

「大丈夫だ。アイツらは許してくれる。」


 そう言って先生は蓮の鉄柵に座る蓮の頭に大きな手を乗っけた。


 その手はやっぱり大人で、自分なんかの手にはない安心感と、寛大さが垣間見えた。


 ――許してくれるだろうか?アイツらの事勝手に避けて、勝手に傷ついて、それで勝手に被害者ぶって、勝手に傷つけた。


「僕の事……、許してくれますかね?」


 今日は泣きそうになるばかりでやっぱり自分はまだまだ子供であると思い知らされる。そんな蓮に「大丈夫だ。」と先生はそう一言。


 ――泣いてばかりいちゃいけない。


 蓮は持っていたエナジードリンクの蓋をカシュッと音を鳴らして開ける。

 炭酸飲料で泣きそうな弱い心を無理やり胸の内へと流し込む。


「先生……!」

「おう!なんだ……!」


 先生は微笑んでいた。空は雲一つなく。星が少しずつ見えてきた。

 蓮はこの紫から青黒くへ変わる空が好きだった。


 何かが始まるような気がする。


 肺いっぱいに少し暖かくなった空気を吸い込み走り出す。


「僕!行ってきます!」


 きっと小岩井は、まだ教室にいるはずだと信じ、夕方六時半の教室を駆け抜ける。

 階段をあがり自分の教室であるG組に向かい、勢いよく扉を開く。


「小岩井……!」


 予想通り小岩井はまだ教室におり、植田の席に座って驚いた様子で目を点にしている。

 小岩井は息が上がり肩を上下させる蓮を見て、思い出したかのようにわざとらしく冷たく答える。


「なに。」

「あの……。その……。」


 なんて言えばいいのか分からなくなり、左手で頭を搔く蓮。

 こうやって頭を掻くのは、困っている振りをしているようで誠実じゃない気がして、左手を咄嗟に下げる。


 そうすると次は目線が散らかってしまい、蓮は小岩井をじっと見つめることを意識する。


「今まで、避けてて……、本当に……本当にごめん!」


 その場で深々と頭を下げる蓮を見て、両手の指を絡ませて固く結ぶ小岩井は、ほんの少しの怒気と哀しさを孕んだ声で尋ねる。


「…………どうして、避けとったん……?」


 彼女の声は少し震えていた。


「僕には、何にもないから……。小岩井がいつか居なくなるのが怖くって……、傷つきたくないから、どうせ失うなら一人の方がいいって思って……。」


 彼女は窓辺に凛と佇んでいる。


「なら一人の方が良かったんちゃうん?」


 ――そうなのかもしれない……。きっとそれが一番傷つかなくて済む方法なのかもしれない。でもそうじゃないって知ったんだ。


「それじゃいつまで経っても失うのが怖いだけなんだ……!だから僕!小岩井を守れるように強くなるよ……!もう……逃げない。」

「……。」


 小岩井は俯いて話を聞いている。


 蓮が言い切ると、暫くの沈黙が訪れた。

 蓮は声をかけず、ただ彼女からの返事を待つ。


 小岩井は鼻をすするのと同時に顔を上げた。

 鼻は赤くなっていて、目も腫らして涙を貯めている。


 泣きそうな顔をしながら彼女はニッと歯を見せて笑ってくれた。

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