第2話『婦人とラグ』




「この子──ラグを壊してください。今すぐに。ここに住んでるジニアって技師、壊し屋なんて呼ばれてるんでしょう?」


 その日。家を訪ねてきた婦人は開口一番に、そう言い放った。

 婦人の後ろからエリスのことをちらちらと覗いているのは、背の低い童顔の機巧人形。中性的な顔立ちのため分かりにくいが、おそらく、モデルは男だろう。


「ジニアさまが壊し屋、というのはどこで呼ばれていたのでしょうか」

 淡々と聞き返すエリスの声は、どこか不機嫌そうであった。


 しかし婦人はそんなエリスを気にも留めず、

「もしかして留守なの? 困ったわねえ。あなたに任せるのも気がかりだし」


「……なんだ、朝から騒々しい。客が来たのか?」


 そんなくぐもった声が背後から聞こえてきて、エリスはさっと振り返った。


「はい。それが、あの子を」

「あら? あなたがジニアって機巧技師ね。丁度良かったわ。今すぐ、この子を壊してちょうだい。お金はこの場で払うわ。現金かしら、それとも小切手かしら」


 急かすようにして捲し立ててくる婦人に、ジニアは眉を顰める。

 初対面の時点で、はっきりと気に入らないタイプの人間だと分かったからだ。


 エリスの前に出て腰を落とし、おどおどと視線を彷徨わせる人形の少年を見る。目の奥、ボディのくすみ具合。そしてパーツの換装が行われていないことを示す、まっさらな首。おおよそガタがきているようには見えない。


「一目見た限りでは、寿命が来ているとは思えないが。理由はなんだ?」


「ちょっと都合ができて、引っ越し先にこの子を連れて行けなくなったのよ」

 婦人は然程、残念でもなさそうな様子で息を吐く。


「……それなら、どなたかに譲渡すればいいのでは? 機巧人形は寿命が五年以上残っていれば、別の方に譲渡することも可能なはずです。……何も壊さなくても」


 エリスが言うと、婦人は気を悪くしたのか鼻筋に皴を寄せた。


「あなたねぇ……最近、また『再動』絡みの事件があったでしょう? その機巧人形に家族として関わっていた人のほとんどが殺されたって話よ。だから、間違ってもそうならないように、今のうちに壊して欲しいの。分かってくれたかしら?」


「……再動、って」


 僅かに声の調子を落とすエリスの前で、ジニアがふん、と鼻を鳴らした。


「分かった。ただし、二つ条件がある」


「ジニアさま」


 微かに感情の乗った、訴えかけてくるような声。袖口が軽く引っ張られるのを感じながらも、ジニアは振り返ることはなかった。


「何かしら? 壊してくれるのなら、ある程度は飲むけれど」


「一つ、料金は割増しだ。そしてもう一つ、ここにいる間は私の言うことに全面的に従うよう、命令しておくことだ。その二つを飲めば、こちらで引き取ろう」




     ◇




 暖炉前の椅子に掛けながら、ジニアは説明する。


「……寿命を超えて安置された機巧人形は、再度心臓部が動き出すことがある。『再動』と呼ばれる、原因不明の現象だ」


 エリスは真面目な表情で、ジニアの説明をじっと聞いていた。

 その隣では、ラグと呼ばれた機巧人形が俯き気味にジニアを見ている。


「一度、心臓部が止まった人形は、思考、肉体のどちらにおいてもリミッターが外れた状態になる。そうなってしまえば、何をしでかすか分からん。現に、最近あった事件もそうだった。寿命が来た機巧人形を隠れて放置していた一家が、再動した人形に皆殺しにされた」


 エリスの碧い瞳に、ぱちぱちと燃える暖炉の火が映り、幻想的に煌めく。

 ジニアが喋り終わったことを確認してから小さな唇が動き、言葉が紡がれる。


「……。ジニアさま、その場合──機巧人形に非はあるのでしょうか」


 その問いに、ジニアは眉をぴくりと動かし鼻筋に皴を寄せた。


「確かに、リミッターが外れたと言ってもある程度の記憶は残っている。皆殺しにされた家族とやらが、機巧人形にどういった扱いをしていたのか。猿でもなければ想像できるだろうな。だが──……私がしているのは非の在り処の話ではない」


 誰がどう見ても怒っているかのような表情。ラグは怯えて視線を外している。

 しかし声の調子は変わらず淡々として、ジニアは説明を続ける。


 エリスもしばらく一緒にジニアと暮らして、彼がそこまで怒っていないことを悟っていた。だからすぐに謝ることもなく、ただ続きの言葉を待った。


「お前も一緒だ。逆らえぬようプログラムされておいて、心中では私のことを恨んでいるかもしれない。だから私は機巧人形を壊す。……それだけだ」


「私は、ジニアさまを恨んでなんか」


「『恨めない』ようにプログラムされているのだとしたらどうだ?」


 ジニアはそれだけ吐き捨て、椅子から立ち上がった。

「さて──ラグとやら。これからお前を壊すが、言い残すことはないか」


「っ……ジニアさま」

「お前には聞いていない。口を噤め」


 主人の命令に、見えない手に口を塞がれたかのようにエリスは黙る。

 機巧人形は主人のした命令に逆らえない。何があっても。


 そして、人形は主人がした最後の命令を守り続ける。


 心優しい機巧人形──かつてそう発表された、孤独死した主人に毎日のようにスープを作り続けた人形も、人間の命令に従っていただけに他ならない。

 心を擦り減らしてなお命令に従い続けた点は心優しいと言えなくもないが。

 その事件のことを、ジニアは全く快く思っていなかった。


「な……何も、ありません」

 ラグは一瞬、気圧されたように吃ったが、そう言い切った。


「お前は良いのか。……このまま壊されることに何の疑問も抱かないのか?」


「……『壊されてこい』。それがご主人さまの、最後の命令ですから」


 ラグは少年らしくにへっと笑って、覚悟を決めるように両目を閉じた。


「そうか」

 ジニアは不愉快そうに鼻を鳴らし、手を伸ばすとラグの顎を持ち上げた。


「だが、残念ながら。お前に出された最後の命令は別のものだ」

「え……」


 きょとんとした表情を作り、ラグは目を見開く。


「ふん……。まさか、主人の最後の命令を覚えていないのか? お前に課せられたのは『ここにいる間は私の言うことに全面的に従え』だ」


「あ──……!」


 最後に婦人と交わした会話を思い出したのか、ラグは口元に手を当てた。

 ジニアはラグの顎の下──首筋を眺めると、目を細める。


「……ここに偽造の番号を刻む。お前は今から私の手によって顔を変えられるが、首に刻まれる番号は、腕部パーツの交換だ。その嘘を抱えて生きていけ」


「あ、え……でも」

「でも? 私の言うことに逆らうのは主人の命令違反ではないのか?」


「…………っ! は、い……」


「その後のことは私が勝手にやる。丁度、助手に少年型の機巧人形を欲しがっている技師がいるんでな。お前はそこで働くことになる」


 ジニアの言葉の全てが信じられなさそうに、ラグは微妙な表情を作る。


「不服か?」

「い、え……そんなことは」


「なら、処置室へ向かうぞ。お前は痛覚はあるタイプか?」

「……少し、傷の位置が分かる程度には」

「そうか。処置はかなり痛むぞ。今のうちに覚悟しておくことだな」


 ぐるりと首を回し、ジニアは今度はエリスの方を見やった。「おい」と呼ばれ、束縛から解かれたようにエリスは口を動かせるようになる。


「はい」

「こいつを処置室に連れて行け。私もすぐに向かう」

 暖炉の火を消すためのシャベルを取りに行きながらエリスに命じる。


「分かりました。ジニアさま」


「……なんだ」

 ジニアは今度は振り向くことなく短く返す。


「ありがとうございます」


「……。礼を言われるようなことをした覚えはない。それよりさっさと行け」

「はい。ラグさん、行きましょうか」


 エリスはラグの手を取り、処置室へと向かった。

 その足取りは軽やかで、何故だか嬉しそうにも思えた。




 数日後。顏を造り変えられたラグは、町の技師に引き取られていった。


「ありがとうございます、ジニアさま!」

 別れ際、心底感謝しているのが伝わってくるくらい大声でラグはお礼を叫んだ。

 草原の上を駆けていく姿は、この家に訪ねてきた時の少年とは別物だった。


「……良かったですね、ジニアさま」

 隣に立っていたエリスがそんなことを言ってくる。


「良かった? どうだろうな」

「……そう言えば、私。一つラグさんに聞き忘れていました」


「なんだ」

「……ジニアさまを壊し屋、なんて呼んでいた人のことです」

「間違ってはいないだろう」


「ですが、今回。ジニアさまはラグさんの命を救いました。──いえ、新しく生まれ変わらせた、と言っても過言ではないと思います」


「生まれ変わらせた? 随分と気に入らん言い回しだ」

「お気に障ったのであれば、申し訳ございません」


 頭を下げるエリスに、数秒間、ジニアは思考を巡らせて。

 それから吐き捨てるように告げた。


「……命を生まれ変わらせるなど、神のすることだ。作り出すこともな。だから、私は機巧人形というものが嫌いなんだ。……全くもって、忌々しい」




     ◆




 それからも。ジニアはやってくる寿命切れの機巧人形を壊し続けた。

 

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