お披露目式

第13話

 お披露目式は、朝から雲ひとつない晴れの日となった。


 チャリンド家は二頭立ての馬車二台に分乗して王宮へ向かっていた。

 一台目には本日の主役アニエと母親のジゼ、介添え役のミュリエラで合計三人。二台目には男性陣、一家の主人であるクロードと息子のコリノが乗っている。

 馬車はどちらも磨き上げられており、馬を操る御者の他に、家中から厳選された美男子のエルフの従僕が二人ずつ後ろに取りついている。

 彼らは馬車の揺れをものともせず、微動だにしない。髪や衣装すら揺らさぬ驚くべきバランス感覚で、主家の威風を保っているのだ。

 エルフの身軽さがこんなことで役に立つ日が来るとは、ミュリエラは想像もしていなかった。


 やがて、同じ道を行く馬車がぼちぼち増えてくる。


「あれらも式に臨む方々ですかのう」

「さようでございますね」と、チャリンド夫人は答える。

「四頭立ての馬車ばかりですから、十中八九、王宮でしょう。あら、六頭立てもあるわ。公爵家の方々ね。わが家は爵位がないので二頭立てでございますけども」


 どうやら、身分によって馬の頭数に制限があるらしい。


「うちみたいに二台使ってる家はないみたい」

 と、アニエが言う。華麗に着つけたドレスの上から地味な外套を羽織るという、いささか奇妙ないでたちをしている。

「ふつうは一台で充分なのよ」

 母親のジゼが答える。こちらは普通のドレスである。

 といっても、白絹に輝くそれは、ミュリエラの目には、王妃のドレスにしか見えないのだが。

「最低でも、娘と母親。それから父親に、介添え役。せいぜい多くても四、五人なのですからね」


 必要がないにもかかわらず、チャリンド家の面々がわざわざ二台の馬車に分乗している理由をミュリエラは察する。主人のクロードは、二頭立ての馬車を二台使うことで、実質的な四頭立てを演出しているのだろう。しかもそれでいて、見目麗しい従僕の数は二倍。チャリンド家の強みである裕福さが活用されている。


「(あの御仁、なかなかやるのかもしれぬ)」


 やがて、王宮の門前に到着する。

 見ればすでに無数の馬車で前庭はひしめき、その乗客たる貴族と、御者や従僕たちでごった返していた。

 お披露目式に出るとおぼしき令嬢たちが母親にエスコートされ、列をなす。彼女たちもアニエと同様、雨の日のようにフード付きの外套を羽織っていた。


 前夜の晩餐にて、ミュリエラは令嬢たちの外套の役割を知った。

「うっかり先にドレスを晒してしまうと、肝心の陛下へのお目見えのさい、裏をかかれることがありますの」と、チャリンド夫人。

「たとえば近年では、レースが多めのデザインのドレスを用いて、それを早めに晒してしまいますと、“今年は令嬢たちの中に、もこもこの羊が一匹紛れ込んでいる”なんて会話を広められて、それが陛下のお耳に入ってしまう恐れもあるのです」

「なんと。権謀術数の世界じゃのう」

「ほんとうに。わたくしのデビューの頃より過激化しておりますわ」


 門前の渋滞が解消され、ようやくチャリンド家の人々は王宮の前庭に降りることができた。

 まずは白系統でシックな装いの母親のジゼ・チャリンド。

 続いて、外套を羽織り、フードをかぶったアニエ。

 そして──


 まるで傘のように大きなとんがり帽子を被ったミュリエラが馬車から降り立つ。

 その装いの色は、上から下まで、海のような青。

 この帽子こそ、ミュリエラがルドラルフ夫人の店で譲り受けたものだった。

 つばの上のリボンに当たる部分には、金鎖の輪で繋いだビブリオティカが掛けられて、ちょっと風変わりな装飾になっている。

 前庭に集う人々の視線がいっせいにミュリエラに集まった。


「注目を浴びておるのう」

『魔王討伐のパレードを思い出しますね』と、ビブリオティカ。


 男性たちの間でひそひそ話が始まっている。


「あのご婦人は誰だ?」

「チャリンド家の馬車ですよ。ほら、最近売り出し中の」

「ずいぶんとバラまいて今日の招待状を手に入れたそうじゃないか。成り上がりはこれだから困る」

「それに、お披露目式のドレスはご婦人なら白を基調とするのがしきたりでは?」

「いや……ご令嬢がたはともかく、介添え役の貴婦人に関しては、そうとも言い切れないかと……」

「十年以上も前の流行のドレスじゃないですか、あれは。うちの細君が着飽きて衣裳部屋に放り込んでるやつと一緒だ」

「しかし……反対に、あの帽子ときたら」

「斬新と言えば、斬新」

「面白い。これであの形のドレスがまた流行ってくれれば、娘たちの衣装代も母親のお下がりで安く済むかもしれませんな」

「だが、あれではまるで……」

「魔女、とでもおっしゃりたいのですかな?」


 男たちが驚いて振り向く。そこには司教服を身にまとった聖職者が立っていた。

 司教の口にした「魔女」という言葉に、男たちはややたじろぐ。


「これは、司教様」

「魔女の判定は教会の専権事項です。ま、ご冗談ではございましょうが、あまりめったな事はおっしゃらぬよう、お願いいたしますよ。晴れの日ですからね」


 聖職者から釘を刺され、男たちは苦笑いで退散していく。

 そして、その場に残った司教は、男たちによる私的な魔女裁判の芽を摘んでおきながら、ミュリエラに注意を向け続けるのだった。


 広大な王宮は、いつになく人々で賑わっている。


 ミュリエラたちはある大部屋に案内されて待機するよう命じられたが、そこには何人かの令嬢がすでに付き添いと共に待機しており、母親に化粧を直されたり、女王へのお辞儀や挨拶の最後の練習をさせられたりしていた。

 目を輝かせて興奮している娘もいるし、緊張で口もきけなくなっている娘、ぐったりして椅子に座りこんでいる娘までいる。


 このような「控え室」が、あとひとつあるという。


 聞くところによれば、控え室は爵位の上下によって分けられており、公爵から子爵までの家の娘と、それより下で数の多い男爵家の娘とで区別されているそうだ。

 そしてクロード・チャリンドは、あらゆる手を尽くして娘を男爵家の部屋に送り込んだというわけである。


 そのチャリンド家のアニエはというと、興奮と緊張とで半々といったところ。その横でどっしりと構えて動かない母親のおかげで、爵位のない肩身の狭さをものともせず、家の威厳を保っている。

 かたやミュリエラは、部屋の装飾や調度品が華麗かつ豪奢で、見たこともない技術で作られているのにとにかく興味を引かれ、田舎者まるだしのおのぼりさんになるのを大変に苦労して抑えていた。


「女王へのお目見えには、まだ時間がありますかの」

「順番にお目見えすることになっておりますので。この部屋の娘たちの出番は、少々先でございましょう」

「あたりを見て回ってきてよろしいか。わらわも、メーノンの王宮へ足を踏み入れるのは初めてゆえ」

「ミュ、ミュリエラ様。行っちゃうんですか」アニエが落ち着かなげに言う。

「安心めされ。遠くにはゆかぬ」


 銀とガラスで彩られた回廊を進むと、部屋のドアが開き、外套を脱いで衣装をあらわにした令嬢たちが、母親に付き添われて一斉にどっと出てきた。もう一つの「控え室」だったようだ。

 みな、きらびやかな白絹のドレスだ。しかもとびきり意匠を凝らしている。

「(聞いた話によると、子爵以上の家柄の娘たちじゃな)」

 子爵、伯爵、侯爵、公爵。

 領地から得る収入は相当なものなのだろう。彼女たちの装いを見ればわかる。

 ミュリエラは回廊の側に寄って花の津波をやり過ごすと、空になった部屋ならばゆっくり見物できるかもしれないと考え、部屋へ足を踏み入れた。


 無人ではなかった。

 白絹のドレスに身を包んだ少女が床に這いつくばり、豪華で大きなキャビネットの下に必死で手をねじ込もうとしていた。

 その傍らには、同じく白絹のドレスを着た老婦人が立っている。


「ソヴリネ、もうおよしなさい。お披露目式が始まってしまうわ」

「あともうちょっと……あともうちょっとだから!」

「諦めなさい! ほら、立つのです! ドレスが汚れるでしょう!」


 ミュリエラは歩み寄り、声をかけた。「何かお困りですかや」


 少女がこちらに顔を向ける。

 美しかった。

 結い上げられた艶のある黒髪に、小さく控えめなティアラがよく映えている。

 アニエが太陽だとすれば、こちらは月だろう。

 髪も瞳も、黒曜石のように黒く、深い輝きを秘めている。

 反面、顔立ちは幼く感じる。だが、お披露目式に出るということは、アニエと同い年のはずだった。身長はだいぶ低いが細くしなやかな体つきで、耳を長くすればエルフと言っても通るだろう。

 これがこの時代で理想とされる体型か……とミュリエラは思った。

 だが、高貴な生まれと分かる顔立ちは絶望にゆがみ、今にも泣き出しそうだ。


「イヤリングが……イヤリングが片方、この下に転がってしまって」


 見れば、少女の耳の片側だけにダイヤモンドと銀のイヤリングがついている。

 先ほどの令嬢たちの「出陣」に揉まれて、外れて転がってしまったのだろう。


「もう、諦めなさい! イヤリングがなくてもあなたは大丈夫よ」

 付き添いとおぼしき老婦人が言う。年齢からして、母親ではないだろう。

「でも……でも、これは、お母様の形見なのよ!」


 ミュリエラは即座に「お願いするのじゃ」と帽子を外し、老婦人に預け、少女に替わって床に這いつくばった。

 床に頬をつけ、キャビネットの下をのぞき込む。

 奥に、なにか小さく輝くものが見える。

 少女の細腕をもってしても入りそうにない隙間だった。試しにミュリエラも手を伸ばしてみたが、手首のところでつっかえて入らない。


 ミュリエラは静かに意識を集中する。

「(この距離なら、できるやも)」


 昨日、ミュリエラは自室で坐を組み、時間のほとんどを錬気して過ごした。

 それで生成できた魔力はやはり微々たるものであったが、何かの役に立つかもしれないと考えたのだ。それが早速、功を奏すとは。


「≪念動≫」


 聞こえないくらい小さく、力ある言葉をささやく。

 かつては巨石を持ち上げ、魔物の首を締め上げて殺すほど強かったこの魔法も、今では小指一本ほどの力しかない。だが、今はそれで充分だ。

 体内に錬気した魔力が費やされ、魔法が発動する。

 イヤリングはするすると引き寄せられ、ミュリエラの手に収まった。


「そーら、取れましたぞよ」


 途方に暮れていた少女の顔がぱっと明るくなる。


「どうやって!?」

「わらわは、魔法使いなのじゃよ」

「まあ、どこのどなたかは存じ上げませんが、本当にありがとうございます」

 老婦人が感謝の言葉を述べた。

「わたくし、イゼシュラ・ローム・ノールドルストムでございます。先代ノールドルストム子爵ヴァルグラフ・ノールドルストムの未亡人です。この娘は、孫のソヴリネ」

 ソヴリネと紹介された娘は、イヤリングを手早く着けながら一礼した。

「ソヴリネ・ローム・ノールドルストムです、ご婦人様。心から感謝いたします。これ、母の形見で、今日どうしても着けたくて」

 ソヴリネのドレスは、この時代のファッションにまだ疎いミュリエラから見ても「やや地味」だった。見れば、貴金属のアクセサリーも控えめだ。このイヤリングがなければもっと見すぼらしく映っていただろう。


「わらわはグリューデン女伯爵グラフリン、ミュリエラ・ウル・グリューデンと申す者」

「まあ、伯爵アルムの奥方様とは知らず、失礼を」


 女伯爵グラフリンと名乗って伯爵の夫人と誤解されるのにはもう慣れたが、今さら訂正するつもりもなかった。先日、コリノがその謎を解き明かしてくれたが、説明するには面倒すぎる。それに嘘は言っていないのだから、不都合が生じるまではこのままでよいとミュリエラは開き直った。


「さあ、そんなことはよい。陛下のお目見えに遅れたら一大事じゃろう」


 少女と老婦人は小走りに部屋を出る。

 そして、戸口のところで少女が振り返り、叫んだ。

「ほんとうにありがとうございます、ミュリエラ様!」


 ミュリエラは少女の窮地を救ったことで晴れ晴れと気を良くしながら、アニエ達の部屋に戻った。

 ちょうど、城の召使いが令嬢たちにお目見えの準備をするよう告げていたところだ。それを合図に、娘たちがいっせいに外套を脱ぐ。

 衣擦れの音は静かだが、ここまで多いとちょっとした騒音になる。

 そしてその音が静まった時──


 一同の視線はアニエ・チャリンドと、威風あたりを払うような、ルドラルフ夫人の新モードのドレスに釘付けとなった。


 ミュリエラは、一国の姫君を迎えるかのごとく一礼をアニエに送った。

「アニエ嬢。いざ、出陣と参ろうか」

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