第8話 人語を介する家畜
『どきっ!お背中お流し致しますイベント』から数日が経った。
相変わらずというか、俺の生活は地獄一色だ。
どうやらユズハに膝枕してもらったあの日は手を抜いてくれていたらしく、それ以降は朝から晩までしごかれている。
「基礎訓練よりも、まずは体力作りをしましょう」
こう言ったのはエステル姫。
俺の見事な木刀捌きを見て呆れてしまったようである。
なのでここ数日は木刀を握っていない。
朝起きて、ストレッチからのランニング。
ランニングと言っても中庭をぐるぐる走るだけなので、景色に飽きてしまった。
そこから朝食タイムを挟んで、筋トレ、走り込み。
昼食を挟んでまた筋トレ、走り込み、筋トレ・・・。
教会の鐘が鳴ってしばらくすると、中庭から城門に続いている階段をひたすら往復させられる。
上にエステル、下にユズハの監視付き。
軍隊だってもう少し緩いんじゃなかろうか。
こんな地獄がいつまで続くのだろうかとも思うが、不思議と倒れずにやれている。
俺が勇者だからではなく、ユズハの管理が余りにも完璧なのだろう。
ご飯、休憩、間食などなど、全てメイド様が管理している。
ちなみに訓練メニューは姫様が作っているらしい。
どうりで・・・いや、やめておこう。
担当的には、朝から夕までユズハ、それ以降がエステルと言ったところ。
そして、現在は夜の階段ダッシュ中。
「ぜぇぜぇ・・・もうむり・・・じぬ」
この弱音ももう何度目だろう。
実際死にそうなのだ。
「おかえりなさい、カケル様。ほら、頑張ってください」
「ちょっと・・・ちょっとだけ・・・ぜはぁ・・・」
「うふふ・・・だぁめ。ですわ」
情緒がおかしい姫様。現在は俺を子どもを見るような目で見ている。
未だにどこにスイッチがあるか全く分からないが、基本的に頑張っていると黒モードには入らない傾向がある。
あくまで傾向。
「お、おねがい・・・ぜぇぜぇ」
「お願いします、でしょう?」
「お、おねがいします」
「・・・っ。ふふっ・・・顔をよく見せてください」
大人しく顔を上げてエステルを見る。
その手にはハンカチが握られており、そのまま俺の汗を拭ってくれる。
「あぁおかわいそうに。勇者様なのに、わたくしの言いなり・・・うふふ」
「・・・」
「感謝はどうしたのですか」
「あ、ありがとうございます。エステル」
どうやら機嫌が良いらしい。
顔はニマァと笑っているのに、ハンカチを操る手は優しい動きだ。
彼女の今の格好は、黒の短めのドレスに黒いリボン。そして黒のソックス。
ネグリジェと同系色で、内面をよく現わしている。
普段の彼女は白いドレスだから、正反対である。
俺はここ数日で分かったことがある。
エステルは、なんだかんだ言っても休ませてくれる。
これを甘いと捉えるかは大いに疑問が残るが、俺がお願いすると意外と聞いてくれるのだ。
そもそもこのお姫様は俺のことを鍛えるよりも、疲れた姿や辛そうな姿を見る方に重点がある気がしてならない。
ただ、姫様相手にやってはいけないこともある。
俺は一度階段の途中でストップしたことがあった。
あの時は酷かった。
簡単に言うと、途中で止まれば死ぬほど痛い目に遭う。
「ほんとうに犬みたいで・・・はぁ、虐めたくなりますわ」
「あの、エステル?」
「どうしました?」
「そろそろ行こうかな!」
命の危険を感じたので離脱することにした。
手を添えられているので、余計に背筋がゾクッとしてしまう。
「・・・うふふ、偉いですわ」
「では!」
一気に下まで駆け降りると、下にいるのはユズハ。
このメイドさんはある意味では姫様より厳しい。
「上がってください」
「ちょっと待って・・・」
途中で止めれないし、上にはまた姫様。
気合を一回一回入れないと気が持たない。
しかし、
「いけません」
ユズハにあっさり拒否された。
彼女は定期的に休憩を入れてくれるのだが、なにかルールがあるらしく、俺が言ってもほとんど聞き入れられない。
ちなみに休もうとすると、
「ごめんなさい。勇者様」
「いででで!」
俺になにかしらダメージを与えてくる。
今回はつねられた。
「い、いくから!」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ」
彼女も本当はやりたくないのだろう。
必ず先に謝罪が入るようになった。
多分、姫様とは違うはず。
こんな感じで、姫様が終わりと言うまで続く日常。
エステルの言う通り、着実に調教されている気がする。
(まぁ、こんな日常も悪くは・・・悪いわ)
ここに来てから、初日以外は勇者邸(命名俺)の周辺以外どこにも行けていない。
何か打開策を考えないといけない。
モンスター退治、いやせめて城下町くらいは行ってみたい。
どうしたものか。
せめてもう少しスキルがあれば多少は楽になる気がするのだが、徳とやらを貯める機会も今のところ無い。
「ぜぇ・・・ぜぇ・・・」
汗と涙と鼻水と、身体中から液体が漏れ出る。
こんなことをして、果たしていつ強くなれるのか。
まともに剣を振れるのに数か月は掛かるだろうか。
エステルは俺を理想の勇者にすると言っていた。
それまでほぼ軟禁状態にされたらたまらない。
(これは、直談判しかないか・・・)
強行突破はまず不可能。つまり脱城は無理。
相談するなら女神様かユズハだが、二人は話は聞いてくれたとしても実際に動くのは俺だし、結局はエステルが許可しない限りは何もできない。
つまり、鞭を覚悟で姫と話すしかない。
気持ち的には、昔の農民が殿様に訴えに行く感じ。
つまり待っているのは処刑か拷問か。
それくらいの気構えで行かないと圧力に屈するだろう。
悲壮感満載ではあるものの、勇者カケルはここに決心をした。
モンスター退治、もしくは城下町散策、あるいはせめて城内の他の場所に行きたい。
行動の自由を勝ち取るのは非常に難しい。
それでもやるしかないのだ。
いつかハーレムを作るために。
♦♦♦♦
ぽわぽわと光が俺を包み、身体の痛みが消えていく。
治癒魔法は何度体験しても不思議なものだ。
「ありがとうエステル。もう痛くないよ」
「どういたしまして、今日も頑張りましたね」
鍛錬終了後、俺は毎日エステルの治癒魔法を受けている。
普段通りなら彼女はこのまま城の方に引き上げるのだが、今日は大人しく帰すわけにはいかないのだ。
こう書くと俺の方が立場が上に見えるが、実際は遥か下の家畜のような存在。
「わたくしはこれで失礼しますわ」
「ちょっと待って」
そう、俺は彼女に外に出る交渉をしなくてはならない。
真面目な顔を作る。表情は大事だ。
「エステル、大事な話があるんだ」
「・・・それは、まだ早いですわ」
両手を顔に当てて、恥ずかしそうにしている姫様。
変なことを言っただろうか。
しかしこれはチャンスだ。今の彼女はなんか機嫌が良さそうだ。
「あの・・・実は・・・」
「は、はい」
「・・・外に出たいんだ!」
「・・・・・・」
言った。俺は言ったぞ。
許しを請うこと以外にお願いをしたのは初めてかも知れない。
心なしか胸の鼓動が早くなっていのを感じる。
(これは・・・子どもが親にプレゼントをねだる感覚・・・!)
ダメって言われるだろうなと思っていても、もしかしたらを期待してしまう。
そんな感情。
姫様はというと、まだ黙っている。
考えてくれているのだろうか。思ったより感触が良い。
二言目には拒否だと思っていたのに。
「か、カケル様・・・?」
「どうしたのエステル」
「も、もも、もう一度言ってくださるかしら?よく、聞こえませんでしたの」
「・・・えっと、外に出たいって言いました」
エステルの声が震えている。それどころか身体も震わせている。
これは、怒られるのか。
まだ早いと言われるのか。
それでも今日は引き下がれない。でも怖い。
「あ、あのやっぱり・・・」
「・・・わたくしの心を弄びましたわね」
「え、それは・・・どういう・・・?」
「だ、大事な話があるからと真面目な顔をして。わたくしてっきり・・・ざ、ざこ勇者の癖に・・・よわよわの分際で・・・」
あ、終わった。この後の流れは鞭からの気絶。
やってしまった。
『思わせぶりな態度』
これは俺が前回の異世界で習得した技だ。
鈍感系主人公はあまり好きではないが、俺はあえてこの手を使うことがあった。
それが無意識で出てしまったのだ。
鈍感系否定派が鈍感系になってしまっていたのか。
ミイラ取りがミイラに、とは少し違うか。
しかし、姫様は俺のことが実はまだ好きなんじゃなかろうか。
さっきの反応も今の激おこ状態も、俺のことが好きなら合点がいく。
なんだ可愛いところもあるじゃないか。
「許さない、許さない、許さない・・・」
やっぱり怖いです。
俺の辛そうな顔を嬉しそうに見るし、すぐ目の色が消えるし。
鞭で気絶するまで叩くし、それに今もブツブツ怖いこと呟いてるし。
確かに姫様は美人だ。それに通常の彼女は優しいところも、多少はある。
しかしそんなことは些細に感じるほど彼女は恐ろしい。
この世にSAN値なんてものがあったら、とっくにキャラロストしている。
「女の敵・・・他の女性のためにわたくしがなんとかしなければ・・・」
「え、エステル!これは!」
「そうですわ。地下牢に入れて、わたくし以外近づけないようにしましょう」
良いこと思い付いたみたいな顔をされても、言ってることが狂気そのものですよ。
「わたくしが毎日ご飯を持って行って、お世話をして・・・そうすればわたくしの・・・わたくしだけの・・・うふふっ」
わたくし連呼モード。つまりヤンデル姫。
どこか遠い目をして頬を赤く染めている彼女は、まるで白馬の王子様を夢見ている少女のようだ。
ただし言っていることは、監禁。
「待って!エステル!ごめんなさいでした!」
例え文化が無くても、俺にはこれしかない。
両膝を付き、勢いよく頭を地面に叩きつけるように土下座。
「・・・許さないと言ったでしょう?」
夢見る少女状態だったのに、俺への返答はとても冷たい声。
同じプリンセスでも今の彼女は氷姫。
「俺の言葉が悪かった!この通り!気を付けるから!」
「どうして豚が言葉を喋っているのかしら」
「・・・!いや、本当にこれは俺が悪い!でも、ほんの少しだけでいいから外が見てみたいんだ!お願いだ!」
「・・・そのまま帰ってこないおつもりでしょう?」
確かにこの手もあったか。姫様は頭が良いなぁ。
と、悠長に考えている暇はない。
「監視だって付けていい。それに俺はこの世界を知る必要があるんだ!真の勇者になるために(魔王を倒すつもりは無いけど)!」
なんとなく格好が良いことを言ったが、俺はただ外に出たいだけだった。
まぁレベルアップも徳を貯めるのも、外に出られないと始まらない。
それにそうしないと最強にもなれないのだから、あながち間違っていもいまい。
エステルは俺の顔を見ながら何かを考えている様子だ。
今回は嘘は言っていない。大分遠回りな思考でも嘘ではない。
「まぁ、一理ありますわね」
「じゃ、じゃあ!」
「考えておきますわ」
「ありがとうございます!」
勇者カケル、やり遂げる。
考えて貰えるだけでも大進歩だ。
そうは思わないか。
例え小さい希望でもそれを胸に生きていける。
(・・・保釈を期待する囚人・・・)
俺は忘れることにした。前向きに考えようじゃないか。
「・・・なんだか疲れてしまいましたわ」
「ご、ごめん・・・うぐっ!・・・エステル?」
「このまま部屋まで運んでください・・・ふふ」
なんと姫様が背中に騎乗。
要求は、運搬。
(せ、背中に柔らかい感触が・・・!)
俺はMでも無ければ、この姫様の内面が決して好きなわけではない。
しかし、今俺の背中にはエステルのあれが。
そう考えると鼓動がドラムのように叩かれる。
これは、ありかもしれない。
「あ、あのどちらまで・・・」
「カケル様の部屋に決まっているでしょう。それに・・・犬が人の言葉を話さないでください」
「・・・・・・」
黙って姫様の言うとおりにすることにした。
今の俺は気分が良い。なぜとは言わないが、とにかく良い気分。
「お返事は!?」
「わ、わん」
「あはっ、もっと鳴きなさい!」
「わ、わん!」
「あははっ、いいですわ。ゆ、勇者のくせに、犬のマネをして・・・!」
かつてこれほどまでに嬉しそうな姫を見たことがあるだろうか。
いや顔を見れるわけではないが、明らかに上機嫌である。
俺はゆっくり四つん這いになると、進み始めた。
階段とかどうするんだろう。
「あはっ、もうカケル様・・・はぁ・・・はぁ・・・」
「わ・・・わん」
息が上がるのは俺の方ではないだろうか。
病気だろうか。まぁ姫様は大病を患っておられるけれど。
「もっと鳴いてください!もっと媚びなさい!じゃないと外に出してあげませんわ!」
「わ、わん!わんわん!わおーん!」
「あはっ。はぁ・・・お可愛い・・・大事に飼ってあげますからね・・・一生」
「ひっ・・・わん!」
外に出れないと非常に困る俺は、必死に犬になった。
尊厳?なにそれ美味しいの?
しかしどんな特殊プレイだ。
世の中にはお金を払ってこんなことをしている男性もいるらしい。
俺はなんと無料だ。はぁ。
視線を感じて横を見ると、ユズハがいた。
完全に忘れていた。
目が合うと、サッと逸らされた。
よく見ると笑っている気がする。
「・・・くすっ・・・」
ちゃんと笑っていた。実はこの子も結構黒いんじゃなかろうか。
主がこんなだからきっと影響されたんだろう。
「ほら!わ、わたくしのワンちゃん!ちゃんと動きなさい!」
「わんわん!」
四つん這いの勇者と、その上でとても愉快そうな姫様。
これをもし城の人に見られたらどうするつもりだろうか。
きっと驚愕するだろうな。
俺なら二度見どころか三度見は軽くする。
ちなみにこの奇妙な旅は、勇者邸の階段前で終了した。
「こ、これ以上はもう・・・無理ですわ・・・はぁ」
そう言ってエステルは俺の背中から降りた。
息も上がってたし、口元は歪んでいるけどいつも以上に顔が真っ赤だった。
きっと疲れたんだろうな、と思っておこう。
勇者カケル
レベル1
スキル
・とくしゅ言語知覚(モンスターの声が聞こえる)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます