有害。

首領・アリマジュタローネ

害鳥駆除。


 一匹のアゲハ蝶が道端に落ちていた。

 粉のついていない羽をひくつかせ、それ以上身動きなんて取れるわけもないのに、それでもなんとか生き延びてやろう、迫り来る「死」から逃げ仰せてやろう、というその勇ましい姿に、私は感動すらも覚えてしまっていた。


 ゆっくり靴の裏で生物を踏み躙る。

 敬意を払いながら、明確にトドメをさす。


 骨が折れてゆく。

 ぶちょぶちょとした静かな音を立てて、命の灯火が消えてゆく。

 私の脚力により、想像よりも早い終焉を迎えさせる。


 誰かがそうしなければ、と思った。

 苦しみ続けるなんて、そんなのは酷だろう。


 ※ ※ ※


 歩きスマホをしている人間は平和ボケしている。

 だってそうだろう。自分が死ぬなんて微塵も考えていないから、すぐ側で鉄の機械兵器が縦横無尽に走り回っているのに、呑気にSNSやインターネットに夢中になっている。


 考えてみれば異常な光景だ。

 電車に乗れば誰もが手元の小さな機械を覗き込んでいる。私のように読書をしている人間なんて一人もいない。皆、もっと本を読めよ。本でしか得られない有益な情報があるということを知れよ。どいつもこいつも愚かだ。どこの誰が書いたかもわからないブログの記事やインフルエンサーの言葉に惑わされて、余りある自分の貴重な時間を無駄にしてゆく。


 もはや赤信号の待ち時間すら耐えきれない。

 私が赤信号のまま渡ろうとしたら、隣の人も歩きスマホをしながら歩き出した。

 視野が狭くなっているので、隣しか見えていない。右横から車が飛び出してきた場合、どう対処するんだろうか。


 驚くべきことに、スマホを触りながら自転車を漕いでいる輩もいた。眼前に子供がいたらどうするんだ。避け切れるのか。そんなに運転技術に自信があるのか。そうまでして見たいものはなんだ。返信したいメッセージとはなんだ。曲をシャッフルでもさせているのか。


 私のような古い人間には理解しがたい。


 誰もが思っていることではあるが、スマホは毒だ。国民総依存症を招く大敵だ。ネットがこれほどまでに発達していなければ、周囲との比較や自己肯定感の欠如や無駄な炎上を誘う必要だってなくなるのに。余計なマウントの取り合いもなくなり、人々の精神が健康でいられるのに。


 歩きスマホをしている人間を撥ねた運転手も過失を負うのだろうか。負うだろうな。鉄の塊を操作している責任を問われて、避けきれなかったことを嘆き、安月給の中、死なせてしまったバカの遺族に金を払う。人を殺めてしまった、という罪の意識を持ちながら、生き続けなくてはならない。


 詰まるところ、歩きスマホをしている人間は調子に乗っている。「あっちが避けてくれるだろう」という過信と思い上がりがある。私は運転免許を持ってはいないが、もし車を運転していたとき、歩きスマホをしている若者が赤信号を無視して飛び出してきたのなら、堂々と轢き逃げしてやろうと思う。


 罪悪感など一切抱かない。

 ルールを無視した、秩序を無視した、人間への裁きはあって然るべきであるからだ。


 殺して当然の人間を殺して、何故罪を被る必要がある。平和ボケした、自らの人生を自らの手で台無しにしようとしている若者に死刑宣告を告げるのは、彼らより倍近く生き永らえた我々の責任でもあるのだから。


 スマホを開発したスティーブ・ジョブズは死んで当然だった。世界を発展させたと同時に世界を終わらせた。酒やタバコやドラックなどと一緒。規制を掛けなくてはならない。


 歩きスマホによって引き起こされる事故を防ぐために。

 罪のない運転手を救済するために。


 私はルールを破る人間が、嫌いだ。


 ※ ※ ※


 人間は「死」を思考することができる生き物である。動物たちは違う。危機を感じるとすぐに「死」から逃げる。しかしだ。最近調子に乗っている生き物がいることを皆さんはご存知だろうか。


 それは【ハト】だ。

 コイツらは何故、こんなにも調子に乗れるのだ?


 ×××


 先月の話だ。私は休日の早朝は、大きな公園のベンチで読書をすることをルーティーンとしていた。(読書は最高だ。皆、読書をするべきだ)


 春には咲き誇る桜の下で、夏には暑さも少ない木陰の下で、冬には枯れた木々を眺め思考にふけながら読書に浸る。そうやって文学の世界の扉を開くことができる。文字を目で追っているうちに、頭が快活としてきて、どこか気分が高揚してくる。

 そうして、穏やかな休日が幕を開ける、というわけだ。


 しかし、その日。私の日常を阻害するものが現れた。

 そう、それが上記で語った【鳩】だ。


 冬が終わり暖かくなってきたからだろうか。鳥たちのさえずりが聞こえる。それは良いことだ。

 ベンチの上に腰掛けると、スズメが足元に寄ってきた。スズメは好きだ。小さくて可愛い。見ていて、とても愉快だ。たとえ鬱陶しくなったとしても、踏み潰せるくらいのサイズ感なとで、人間の邪魔をしたりもしない。足を上げただけで飛び去ってゆく、その警戒心の強さもまた好きだ。


 だが、訪問者はまだいた。

 私はスズメの来訪に関しては快く感じていた。なんだったら、餌でもやりたいと思ったほどにだ。


 しかし、鳩。お前は歓迎していない。なんだその焦点のあっていない目は。なんでそんなに太っているんだ。何故そんなに動きがとろいんだ。どうして、そんな不愉快な声で鳴くのだ。


 スズメのような可愛らしさもなければ、カラスのような知恵や格好良さも持っていない。

 体脂肪をたくさんつけた中年のように油ぎっていて汚らしい。

 そのクセ、人間に餌を与えてもらおうとするその乞食的精神も鼻につく。


 一匹ならまだ追い払えた。

 ただその日は運が悪く、お日柄も良かったせいか、20〜30匹の鳩が私のベンチを取り囲んでいた。これには驚いた。折角、文学の世界の扉を開き、なに三島由紀夫だの、ヘミングウェイだの、川端康成だの、ドストエフスキーだのと、一対一で話し合いをする機会を設けたというのに「ホーホー」だのと喚き散らされれば、集中力は途切れてしまうではないか。


 酷く頭にきた。追い払おうと足を振り上げると、ほんの少し後退りするだけで、まだその場にいる。数の暴力だ、と思った。集団でオラついていて、怖いものなし、と考えているのか。深夜にコンビニ前でたむろする田舎の大学生のようだ。一匹一匹は弱くとも、集団だと勝ったような振る舞いをする。


 やはり、頭にくる。


 そもそも、だ。この公園には明確に“ハトにエサをやるのはやめましょう”というルールがある。

 なのにこんなにも鳩が寄ってくるということは、暇なボケ老人が孫に会えない寂しさを埋めるために、ここでエサをばら撒いているのだ。社会に必要されず、年金で食わしてもらっておいて、それなのに同世代の政府のお偉いがたに文句を言って、することと言えば害鳥を育てることだけ。


 迷惑極まりない。


 まるで歩きスマホをしている若者のようだ。車や自転車や人の歩行を足止めして「ヴォーヴォー」と縄張りを主張するかのこどく胸を張り、堂々と道を横断する。

 お前らが避けろ、と。


 人間様を舐めているとしか思えない。


 私は腹が立ったので、わざとらしく音を立てて、本を閉じ、ベンチを後にした。

 歩き出す直前も鳩は私を避けようとはしなかった。

 餌をくれ、とねだるように逆に近づいてきた。

 蹴ってやろうと思ったが、我慢した。

 触れたくもなかった。


 ※ ※ ※


 次の日。私は同じようにベンチに腰掛けて、寄ってきた鳩たちに農薬入りの餌をばら撒いた。

 期待に応えてくれて喜んでいるのか、焦点の合わない害鳥どもは集まって食っていた。奪い合ってもいた。あまりにも可愛くなかった。バサバサと羽を震わせて、私はマジシャンにでもなった気がした。


 一つ残念だったことは、あの可愛いスズメもその毒を喰らっていたことだ。


 私は鳩をターゲットにしていた。スズメは目的じゃなかった。しかし、私が袋から餌をばら撒くと、スズメも「ちゅんちゅん」と可愛らしい声で鳴きながら、それを食べていた。止めることはできなかった。


 コイツらは私を善人だと思ったに違いない。

 自らの運命に気付かず、いつもと同じ流れで餌を貪る。

 食事もまたスマホと同じく、中毒に違いなかった。

 前もそうだったから今回もそうに決まっている。

 平和ボケした日本に相応しい害鳥の最後だ。


 私はスズメが苦しむ姿を見たくなくて、袋の餌を全てばら撒き、ベンチを後にした。


 いつの時代もそうだ。戦争によって死ぬのは相手の敵兵だけでない。関係のない一般市民たちも巻き添えになる。


 私はとても、悲しい気持ちになった。


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