博多到着! ミニヨンとカメラ
博多駅は、サラリーマンを迎え入れるような空気感とテンション感で、旅行客である唯月たちを迎えているように思えた。唯月にとってはゆかりのある場所であり、何度か仕事や観光で来たことがあるが、町並みは変わってもこの緩さは変わらないようだ。改札から出ると、バターと小麦の香りが漂ってくる。
「いっくん」
「あいよ」
「とりあえず疲れたので、この匂いの元を辿ろう」
「ええ……あれ結構並ぶしな」
唯月が言うと、愛華は彼の胸に拳を入れる。ドスッと低い音が鳴り響き、衝撃が体の内部にまで伝わるような気がした。ちょっと気分が悪くなりながらも、うめき声を漏らさず耐える。
「食べようよー」
「わかったから、拳を構えるな」
「いえーい愛してるぜー」
「ほんまキャラ変わったよなあ、君」
博多駅でいい匂いを漂わせている正体は、ミニヨンというミニクロワッサンの店だ。毎日のように博多に通うサラリーマンやOLは慣れているだろうが、観光客はまずこの匂いにやられてしまう。実際、唯月は博多に来る度にミニヨンのクロワッサンを食べていた。小さいため、パクパクと食べられるのが彼にとってはお気に入りだった。
ミニヨンは幸い、並んでいるようには見えない。平日のもうすぐ夕方になろうという時間に、観光客が来ることは少ないのだろう。
唯月らはプレーンを二百グラム購入した。二百グラムあたりだいたい、二、三個入っている。博多駅を出て、ホテルまでの道のりでクロワッサンをつまむ。サクッとした食感と共にバターの豊かな風味が口中に広がり、爽やかな気分だった。
愛華をちらりと見やると、彼女は笑顔でバクバクとクロワッサンを次々に食べている。
(あ、まずい。僕の分が――ま、いっか)
そうして、二百グラムのミニクロワッサンが一瞬で無くなった。
「並ばなかったやん」
博多駅筑紫口から出て、ロータリーを右手に見ながら日が傾きはじめた道を歩く。もうじきホテルに到着するというところで、愛華が唇を尖らせた。
「平日なん忘れてたわ」
「いつも忘れてない? 大丈夫? まだ若いのに」
「うるせー」
「うるせー」
「ほらもう着くでもう」
ホテルは立派とも質素とも言い難い、普通のビジネスホテル。ビジネスホテルはどの街にあっても、ビジネスホテルらしい外観と内観としか形容できないようなところが唯月は好きだった。チェックインし、部屋に入る。
ダブルベッドがあり、小さい丸いテーブルがあり、横長のデスクがあるだけの簡素なビジネスホテルらしい部屋だった。部屋に入るや否や、カバンを放りだし、愛華がくるくると回る。
「いい部屋ネットやーん」
全く同じことを言いそうになった自分に顔を赤らめながら、唯月はベッドに腰かけた。
「そういえば、初めて会ったときもこういう部屋やったね」
「んー、ビジホなんてどこもベースは同じや」
「せっかくいい雰囲気にしようっとしてたのに!」
「なるわけないやろ」
「言ったな? 覚えとけよ?」
「どうせ酒飲んで馬鹿話するだけやぞ」
唯月の脳裏に浮かぶのは、愛華と初めて会ったときの記憶。酔っ払いに絡まれてホテルの部屋にあげて、一緒に飲んで寝た。特にいい雰囲気になるということもなく、ただ酒を飲んで雑談して寝ただけだった。
唯月はため息をつきながら、ふふっと笑う。
「あのときは大変やったなあ」
「そんなこと言ってー、楽しかったくせにー」
「楽しかったけどさ、第一印象がな」
「どんな印象? ねえねえどんな印象?」
愛華がベッドに寝そべる唯月の体を揺さぶる。
「これまで出会ってきた酔っぱらいの中で、ぶっちぎりでヤバそうな奴」
「んー……正しい!」
「せやろ」
「せやなあ」
さてと、と唯月がベッドから立ち上がり、荷物から財布とスマホだけを取り出して上着のポケットに入れた。到着したばかりで本当はまだベッドに寝そべっていたい気持ちもあったが、彼にはやることがあった。どうしても、やらなければならないことが。
「さてと、どうする?」
「決まってるやろー!」
「だな」
「じゃあさんはい、せーの!」
「いや、さんはいかせーのか、どっちやねん」
「せーのに決まってるやん」
どっちかにしろよ――唯月はため息をつきながら、愛華と向かい合う。
「じゃあもっかい! さんはい、せーの!」
「ヨドバシ――」
「行くよー!」
同時に言うと思いきや、愛華は唯月の言葉にかぶせてきた。唯月が脇腹を小突くと、「ごめんて」と笑いながらリュックからポーチを取り出す。
ヨドバシカメラに行くというのは、唯月が都市部に行ったときには必ずしている習慣だった。ヨドバシカメラの歌は、地域ごとに歌詞が微妙に異なる。その違いを体感することによって、違う土地に来たのだと彼は強く実感するのだ。
愛華もどうやら同じらしいということは、この数ヶ月の付き合いでわかっていた。
二人はホテルを出て、ヨドバシカメラに向かう。唯月は何度も行ったことがあるため、愛華を案内することになった。ホテルから出て先ほど来た道を引き返し、駅を右手に見ながら進んでいると、愛華が右手をパタパタと動かしているのが見えた。
「子供か」
唯月はため息をつきながら、左手でその手を取る。夏の博多は暑い。唯月の地元である三田市も夏には非常に暑くなるが、博多は路面やビルの窓からの照り返しがある分、余計にひりつくような暑さに感じた。
「あちー」
「あちーね」
「手つないでるからや」
「じゃあもっと暑くなれ!」
文句を言いながらも手を離すことはなく、手を繋いでヨドバシカメラ博多に入る。お決まりのあの曲が流れていて、クーラーがしっかりときいている。ガジェットが整然と並ぶ店内の雰囲気も相まって、唯月にはより涼しく感じられた。
「やっぱヨドバシ来たら旅行来たなって気がするよね」
「そう思ってるん僕と君だけやろけどな」
「え、そうなん?」
「友達に話したら普通に引かれたわ」
「良かった、うちの店の客に話さんで。人柱ご苦労」
愛華が満面の笑みで言った。
「くそう」
言いながら歩いていると、ふとカメラが目に入る。一眼レフカメラとレンズ、ポラロイドが撮れるカメラなど多種多様な製品が並んでいる。唯月は仕事で取材をすることがあるが、写真はいつもクライアントが同行させるカメラマンに撮ってもらっていた。唯月は写真が下手だと、以前クライアントに怒られたのがきっかけだ。
だから一眼レフにはあまり興味がなかった。見ているのは、ポラロイドカメラだった。
「お、カメラに興味があるん?」
「無くはないけど、買っても絶対使わんしな」
「えー、私を撮ろうよ」
「えー」
「えーとはなんだ!」
愛華に肩を強めに叩かれながら、ポラロイドカメラの値段を見る。決して高くはないが、安いとも言えない絶妙な価格帯の製品が多かった。安いのはトイカメラの部類だろうと納得し、唯月は叩かれ続けていた肩を擦る。
「まあ、私写真撮られるの苦手だからいーんですけどね!」
「知ってた」
「ですよねー」
「なら肩叩くなよ」
「それはそれ、これはこれ」
愛華が「ごめんねー」と言いながら、肩を優しく叩く。肩に謝っているようだった。
「君は見たいもんある?」
「……特になし!」
「ほな出るかあ」
「歌も聞いたしねー。梅田とあんま変わらんかった」
そうして、また腕組みをしながら外に出た。外は日差しが弱くなりつつあり、空が茜色に染まろうとしている。ホテルに戻るには早いが、キャナルシティなどで買い物をするには少し遅い時間だった。
「どうする?」
「決まってるでしょー」
「焼き鳥でいいか?」
「焼き鳥! 最高!」
唯月は方向転換して信号を渡り、中洲方面へと歩いていく。愛華は「へへへ」と小さく笑いながら、特に口を挟むこともなく着いてきた。
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