C1-6 よく何かが切れる日
「訳あり? 家出とかですか?」
「ふふ。まぁそんなところさ」
「・・・・・・」
そんなところ、じゃない。さっきまで危機的状況だったのに、何の冗談を言っているんだ。冷静になった進の心中は、不安や恐怖よりも怒りの方が大きくなっていた。徐々に額に皺ができ、目を細める。
「あんた、時間がないから要点だけ言うわ」
そんな進の心情などお構いなく、赤髪の少女は淡々と話す。一応冷静を装ってはいたが、進の表情は険しい。だが、彼女は一才物おじしない。
「本当にただの一般人ならここから離れないこと。暴れてる奴らはあんたの手を切った男の仲間よ。遭遇したら死ぬわ」
そんな馬鹿な、と言いたかったが、そうとも言い切れない。つい先程まで意識していなかったが、切られた左手が警鐘を鳴らすかのようにズキリと痛み出す。この二人も危険な匂いがするが、会話が可能なだけ先ほどの男よりは遥かにマシだ。あの男の仲間たちならば、理屈も通じない暴力的な人間であることは容易に想像がつく。
「そして少なくともニホンなんて国はここの近くにはないし、村の外は野盗だらけの無法地帯。どこに逃げても無事では済まないわ。信じるか自由だけど、酷い目に会いたくなければここで待ってなさい」
「そういうこと。じゃあまたね、進」
無表情で立ち去る赤髪の少女とは対照的に、金髪の女性はバイバイと笑顔で手を振って駆けていった。数十分ほど前からうって変わって友人と接するかのような態度だった。正直その豹変ぶりには腹が立つが、ここに残る人たちへ自分が危ない人間ではないというアピールをしてくれたのだろうか。単に正気ではないだけかもしれないが。
「ほほ、あなたも大変ですな。まぁ皆若い頃は無茶をするもんです」
そう言いながら村長は誰も座っていない長椅子まで案内してくれた。綺麗に掃除がしてある椅子だ。建物自体は古くとも、手入れがされていることが分かる。この教会は日々人々が通っている場所なのだろう。白い絨毯の先の、奥に飾ってある高さ3、4mはある十字架が神々しい光沢を放っている。進はゆっくりと腰掛け、隣に村長も座る。
「あの、日本って国を知ってます? 」
二人が立ち去ったからといって、下手に助けてだの、脅されただの言えば、敵として扱われるかもしれない。当たり障りのない質問を投げて、徐々に助かる道を模索する。安心はできず、表情は硬いままだった。
「いや、知りませんな。この大陸は十年ほど前からミルグとエディティアの二つの国しか存在しないはず」
「・・・・・・」
進は村長のスムーズな回答に困惑していた。やはりあの二人が言っていることは事実なのか。 それともここにいる人間全員が同じ世界観を持った狂った集団なのか。
——一旦、状況を整理しよう
なぜここにいるのかは検討がつかないが、どうやら自分の知らない場所に来てしまったらしい。だが、言葉は通じているため、自国である可能性は高い。しかし、言葉が通じるのも腕を斬られたのも本当に魔法のせいなら、自分はまったくの未知の世界にきてしまったということになる。
——本当に魔法が存在するのだとすれば
それなら夢を見ているというのが最初に浮かぶ説だが、夢にしては痛みがリアル過ぎる。それに、これだけの苦痛を味わってなお、夢から覚めないというのは非現実的ではないか。とすれば仮想現実のような最先端技術だろうか。だが、手を切るほどの痛みを与えてくる技術など、常識的に許可されるはずもない。少なくとも自分はそんな人体実験など許可しない。となるとここは現実で、カルト教団のようなものに絡まれていると考えるのが一番しっくりくる。正直どの説も正否を断定できる証拠などないが。
——さて、逃げるか
相手が正気でないなら逃げる他ない。何が死にたくなければ出ないこと、だ。冗談ではない。指を切るだの、魔法がどうだの言っている連中よりも、外の人間に助けを求めたほうがいいに決まっている。隙を見て逃げ出さなければ。周囲を見渡し、逃げ方を探る。出入り口は近くの裏側に以外にもいくつかあるようだ。どこから逃げ出すか考えていると、村長が口を開く。
「あなたは辺境の国の方なのですかな? だとすればその見たことのない服装も理解できますな。おっと、辺境というのは失礼でしたな」
「確かにそんなに大きな国ではないけど」
見たことのない服装とはどういう意味だ? 自国どころか世界中でごくごく当たり前の格好だ。辺境の出身よばわりされたが、むしろこの村こそ辺境だろう。話を合わせている自分が情けなくて怒りすら覚える。ただ、今はじっと歯を噛み、耐えて機会を伺うしかない。命がかかっているのだから。
「その左手、今襲ってきている連中に切られたのですか? おいたわしい」
「はい・・・・・・」
改めて左手を見る。進の利き手は右だが、それでも大きく不便になってしまった。これから自分はこの不自由な体のまま生きなければならないのだろうか。この短い間でも体を支えたり、普段できることができなくなっていることを痛感した。つまりは人生が一変したのだ。帰ったら義手をつけてもらえるだろうか。
「ねえ、村長。あの人見たことある?」
突如、エプロン姿の若い女性が村長に話しかける。彼女も普段の生活をしている中、慌てて逃げてきたのだろう。あちこち泥や砂の汚れが衣服に付着している。女性が指しているのは進のことではないらしい。教会の端で座っている硬い表情の男性二人を指さしている。彼らはここの村人ではないのだろうか。
「いや、ないな。ちょっと話を聞いてこよう」
村長が数m離れた長椅子に座っている二人組の前に立つ。一人は大柄でもじゃもじゃの髪と髭を生やした男、もう一人は細身で小柄な男で髪型はベリーショート。二人ともここの人々と同じ絹や綿でできた服を着ている。遠目で見れば、同じ村の人間だといってもおかしくない。しかし、よく見れば体のあちこちに細かい傷がある。進はその姿に不安を抱かざるをえなかった。
「失礼ですが、あなたたちはどこから来られたのですかな?」
「・・・・・・面倒くさいな、殺すか」
大柄の男が何もない手から長い刀身の曲刀を生み出した。何かで見たことがある。あれはシャムシールという武器だろうか。そして、この現象には見覚えがある、魔法というやつだ。そして男は躊躇いなく、不機嫌そうに村長の首を刎ねた。
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