第13話

「おもしろかったわね!」


 シアターを出た水戸先輩は拳をぐっと握って大きな声を上げた。


「そうですね」


 俺は愛想笑いをしながら頷いた。すみません、寝てましたとは到底言えない。先輩はあのキャラがどうとかあのシーンが良かったとか楽しそうに喋っているが残念ながら心当たりすらない。水戸先輩の話からシナリオを推測するが、出てくる単語が特殊すぎてわからない。

 単なるB級パニック映画だったらもうちょっと楽しめたんだろうけど、まさかそれすら下回るとは……。このご時世にこんな作品を見られたこと、一周回って感動してしまった。

 お粗末な役者の演技。

 ご都合主義で退屈な脚本。

 無駄に綺麗で浮いているCG。

 初めてモンスターが出てきたシーンでは少しビクッとなったが、それ以降は慣れもあってすやすやしてしまった。日和子はどうだったのかと視線を向けると、彼女は神妙な顔をして水戸先輩の言葉に頷いた。


「怖かったですね……」


 嘘つけ。お前も絶対寝てただろ。

 だが水戸先輩は日和子の言葉を疑いもしていないようで、「そうでしょう!」と日和子の手を握った。


「わかってもらえて嬉しいわ、この監督の作品は人間の根源的な恐怖を表現していて……」

「そうなんですね、えへ……」


 日和子が目を泳がせ助けを求めたが、俺は顔をそらして逃げた。そのまま話を聞いていてくれ。水戸先輩はよっぽど喋りたかったのか目を輝かせている。きゃっきゃうふふとした様子は女子的やりとりと言えなくもない。

 内容に「内臓」「死体」などの単語が漏れ聞こえてくるのは不穏だけれど。スプラッターもあまり得意ではない日和子はへらへらと苦笑している。

 映画館を出たところで先輩が俺の肩を叩いた。


「ごめんなさい、少しお手洗いに……」

「ああ、はい、待ってますね」


 水戸先輩が人の流れをすいと抜けて向こうの方へ行く。俺と日和子は近くの本屋のショーウィンドウの前で二人並んで先輩を待つことにした。

 二人だけで並んで、同じタイミングでほっと息をついた。


「よーくん、映画見てた?」

「寝てた」

「悪いんだ」

「お前もだろ」

「あたしはうとうとしてただけだもん」


 日和子が拗ねたように視線をそらした。それからふっと笑いを零す。


「先輩は随分楽しそうだったけど」

「……お前、先輩のこと苦手だと思ってた」

「んー、あんま得意なタイプじゃなかったんだけどね」


 日和子が脚をぶらぶらさせながら言う。


「でもあの人、ちいちゃい子みたいじゃない? けっこうほっとけない感じ」

「そうか?」


 自分の爪先を見ながら零された言葉に、俺は首を傾げた。

 水戸先輩は見た目もそうだけれど、普段の立ち振る舞いとかは随分と上品に見える。確かにオカルト関連の話をしている時はかなり付いていけないけれど、趣味に関してテンションがあがるのは自然なことだろう。例え周囲がどれだけ放っておいても、一人で自由になんでもこなしそうだし。、

 言動でいえばよっぽど子供っぽい人間がいる。それもすぐ近くに。


「……お前の方が子供だろ」

「あたしは大人っぽい担当だけど?」


 小声で苦言を呈すと、わかってないなぁ、と言いたげに日和子が首を振った。ハの字眉でこっちを小馬鹿にした表情は小学生みたいだ。頬をつねると「みゅっ」と鳴き声が上がった。


「よーくんひどい、DVだ、ドメスティックバイオレンスだ」

「ドメスティックじゃないだろ」

「じゃーただのバイオレンスじゃん!」


 一通りふにふにしたところで満足したので手を離すと、すねのあたりを鋭く蹴られた。不機嫌そうに日和子が頬を膨らませているので、いなすために軽く謝る。

 すると、日和子が怪訝な声をあげた。一体何事かと思っていると、日和子が手で目の上にひさしを作り、通路の向こう側に視線をやる。それから小さく舌打ちをした。


「よーくん、ここにいて、出来れば背中向けて」

「は? なんだよ……」


 疑問を呈したところで俺も向こうからこちらへ歩いてくる人の姿に気がついた。といっても俺の知り合いというわけではない。単なるクラスメイト、名を高杉さんという。

 明るい茶髪にパーマを当てた見るからに派手な、俺とは一生縁のなさそうな女子。隣には見たことのない、恐らく他校なのだろうこれまた派手な男子がいる。

 俺はくるりと彼らに背を向けて、ショーウィンドウの方を見た。全然興味もない最新のビジネス書ランキングを一位から視線で辿る。本屋で良かった。これが女性向けの服屋だったら変態だった。


「りっぴ!」

「日和子じゃん、奇遇~!」


 偶然であった女子同士特有の声高な会話は少し離れていても耳に入ってくる。そうでなくとも、見知った声だけは喧噪の中でもよく拾えた。


「なになに、デート? ……はじめまして~。え、すっごいカッコいい、葵じゃないよね? 岡校? ……じゃあ頭もいいじゃん、すごーい」


 日和子以外の声は喧噪に紛れてしまい、会話の全部が聞き取れるわけではないが、想像でその隙間は埋めた。彼氏がどうとか、彼女がどうとか、残念ながら俺からは縁遠い話だ。

 さっきまでワガママ三昧だった少女が、今は随分遠く感じる。といっても、今の日和子が無理をしているとかそういうことは一切ないのだ。俺と喋っている姿も、クラスメイトと喋っている姿も、どっちも素で当然そこに優劣はない。


「そうですかぁ? ええ、どうしよっかなー、あたし実はけっこう面食いですよ。……いやいや、冗談ですって、え、ほんとー?」


 なんの話をしているんだろうな。相手の男に褒められたらしい日和子の浮かれた声にイライラした。盛り上がってるのか明るい笑い声が聞こえる。

とん、とんと爪先が床を叩く。ガラスに反射した彼らの姿を見ようと試みたが、ショッピングモールの明かりの下では難しかった。

 何やってんだよ。水戸先輩戻ってきちゃうぞ。


「え? 今から? それは難しいなー、あたし今日お姉ちゃんと来てて」


 俺とだろ。


「うん……そうそう、じゃあ、またね」


 ようやっと会話が終わったらしい。俺は妙に気疲れして、大きくため息を吐いた。

 しばらく後ろを向いたままでいると、どんっと背中に衝撃が走った。振り返ると手を合わせた日和子が上目遣いで俺を見ている。


「ほっといてごめんね?」


 俺は軽く小首を傾げた彼女の額にデコピンをして、それから何事もなかったふりをして「奇遇だったな」と言った。額を押さえた日和子は一瞬俺を涙目で睨んだが、すぐにけろりとした様子で頷いた。


「よかったぁ、よーくんと一緒にいるとこ見られてなくて」

「そうだな」

「拗ねないでよ」

「なんの話だよ」


 指で頬をつつかれたので俺は思わず顔をそらした。日和子はにやにやと俺を見て、それから少し困ったように眉の端を下げた。


「別に、あたし、よーくんを恥ずかしく思ってるとかじゃないからね? ただ、よーくんは、ほら、別だから」

「別ってなんだよ」

「それは……あ、先輩戻ってきた」


 日和子は俺の背後を指さして、会話を中断した。俺はそちらを振り返る。


「お待たせしてごめんなさいね」


 到底こちらをお待たせしているとは思えない、思わせない優雅な足取りで水戸先輩がこちらに歩み寄る。それで俺たちの会話は終わりだ。方向性を見失いかけていた感情も収束させた。


「これからどうしましょう、映画以外の予定を決めていなかったのよね」


 水戸先輩が頬に手を当てて首を傾げた。俺はちらと腕時計に視線を落とした。時刻は十二時半だ。


「昼飯にします?」

「あたしポップコーンでおなかいっぱーい」

「嘘つくな」

「私もすぐにご飯を食べるのは少し厳しいかも……」

「あー、じゃあ適当に店を見て回ってから行きますか。今は混んでるでしょうし」

「おい、あつかいの違い。まあ、それでいいけど……」


 いや、だってお前昨日カレーおかわりしてたじゃんか……。ほそっこい身体の割に日和子は食べる。一方の水戸先輩はどう考えてもがつがつご飯を食べるタイプじゃないだろう。お弁当もちーっちゃかったし、そこまでの生命力は感じない。

 とりあえず行動の指針が定まったので、それでいいかと水戸先輩を見ると、先輩はきょとんとしていた。それから我に返ったように水戸先輩は笑顔を作った。


「ええ、そうしましょう」

「……? そうですか」


 なんとなく彼女の様子を不審に思ったが、わざわざツッコむほどの確証もない。

 とりあえずエスカレーターを降りる。モールに来るのは久々でどこになんの店があったかあんまり覚えていない。ここは日和子に先導させるべきだろうか。

 下の階を降りてすぐのところにはゲームセンターがあった。とはいえ、所詮はモール内の一コーナーなのでさして大きなものではない。店先におかれた音楽ゲームからは最近はやりの曲が聞こえてくる。懐かしいなぁ、と思いながらエスカレーターを折り返し更に降りようとしたところで、


「ま、待って!」


 呼び止められた。

 こちらに手を伸ばしかけた水戸先輩は、おずおずといった風にゲームセンターの方を指さした。


「少し見ていってもいいかしら……?」

「いいですね」


 どうせ何を見るかも決めてないのだ。暇を潰すにはちょうどいいかもしれない。そういえば昔は日和子とよくゲームセンターに行って、なけなしのお小遣いで遊んだもんだ。日和子がそれを覚えているのか定かではないが、ゲーセンにむかう足取りは軽い。

 水戸先輩が興味を示したのは端っこに置いてあるUFOキャッチャーだった。ガラスケースの中、鮮やかな色のぬいぐるみが並べられている。ゾンビを模したうさぎのキャラクターのようだ、デフォルメされているがなかなかに趣味が悪い。なんか、内臓出てるし。


「ゲーセンとか、好きなんですか?」

「いえ、来るのは初めてかも」


 先輩がゲームセンター好きだというのも違和感があるが、初めてとなると相当な箱入りだ。いや、女子ってそういうもんなんだろうか。

 水戸先輩はしばしぬいぐるみと俺の顔を交互に見ていたが、やがて覚悟を決めたように息を吸った。上品な唇が必死に言葉を紡ぐ。


「こ、このぬいぐるみの取り方、教えてくれませんか?」


 控えめで可愛らしい頼みに、俺は思わずふっと笑いを漏らした。その反応に水戸先輩ははらはらしたように視線を日和子に向ける。日和子が水戸先輩の肩に腕を回した。


「よーくんに取ってもらったらどうです? 上手ですよぉ?」

「いや、ハードル上げるなって」


 先輩が俺のことを期待に満ちた目で見た。本当に得意というわけではないのだ。ただ経験があるというだけ……ぬいぐるみを取るように駄々をこねられた記憶がよみがえる。

 そして、それを取ってやったときの嬉しそうな反応も。

 俺は、あー、と意味もなく悩んだふりをして頬を掻いた。


「まあ……やるだけやってみましょうか」

「本当に? いくらあればいいかしら、お金ならいくらでも出すわ」

「そんないらないですよ。千円もあればいけるかな……」


 そんなに難しい機体でもなさそうだし。ちょっと挑戦して無理そうなら店員さんを呼ぼう。

 とりあえず五百円玉を投入する。じっくりとアームを動かして……一回目、位置は悪くなかったが、持ち上げる途中で落ちてしまった。アームの力が弱いな、持ち上げるよりも押す感じで、と脳内でシミュレートしていると、隣に立つ水戸先輩がガラスに額を押し当ててぶつぶつと何か呟きはじめた。

 久々の変な行動に少しびっくりする。集中も出来ないので「あの……」と声をかけると先輩は真面目な顔でこちらを振り向いた。


「今、念力であのぬいぐるみを動かしやすくしたわ」

「はあ……」


 俺の見た限りだと何一つ変わっているようには見えないんだけどな。けれど景品を見つめて真剣な顔をしている横顔を見ていると、確かに少し不気味ではあるのだけれどもけして嫌な気分ではなかった。これが水戸先輩なりの応援の仕方なのだろう。

 日和子が放っておけないというのもなんとなくわかるような気がした。こうも真剣だと、こちらもそれを無視できなくなってしまう。


 俺は先ほどよりも注意深くアームを動かした。持ち上げることは諦めて、少しでも穴の方に近づくように押し出す。幸いぬいぐるみは軽いのか、アームの力で十分に動いた。

「このキャラ、好きなんですか?」

「ええ、昔から。あまり有名なキャラクターではないのだけどね」

「俺も初めて見ました」

「元は外国のカートゥーンアニメのキャラなの。到底子供向けとは思えない作風に惹かれるマニアも多くて……まさかこんなところで見かけるとは思っていなかったから、つい、ね」


 ガラスに顔を近づけすぎて吐息で曇っている、その様子は誰かを彷彿とさせる。俺はズボンの尻で手汗を拭いた。レバーを握る手にも力が入る。

 七回目のチャレンジで、ぬいぐるみが、ぽろりと穴に落ちた。宣言通りに千円以内で取ることが出来てほっと一安心だ。景品取り出し口からぬいぐるみを取り出して先輩に渡す。

 少女のようにぎゅっとぬいぐるみを抱き締め、無邪気な笑顔を浮かべた。


「ありがとう、堤くん!」


 ああ、と思った。

 彼女は普通の女の子じゃないか。俺は何を疑っていたのだろう。

 ただ、好きなものが純粋に好きなだけの女の子。その対象が人から少しずれていただけで嫌疑の目を向けるなんて、紳士的じゃない。むしろ可愛らしいくらいじゃないか。

 思わずくすりと笑いを零すと水戸先輩が恥ずかしそうに咳払いをした。白い肌がわずかに血色良く染まり、その下の血潮を透かしている。


「……昼飯にしましょうか、日和子も」


 振り返ったところで日和子がいないことに気付いた。周囲を見回しても彼女の姿はない。心配がさっと俺の背筋を駆け上ると同時、尻ポケットの携帯が震えた。

『屋上なう』

 どっと脱力する。

 シンプルな通知に既読だけつけて水戸先輩の方に向き直った。


「日和子、屋上にいるみたいなんで行きましょう」

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