#16. 雪の舞 (Snow Dance)

「彼女はまずまずよくやってくれました」


 膝を屈して怯えるロップとシエリの頭上から、激しい吹雪が舞い込んでくる。


「もう充分ですので解放してあげましょう……」動きを止める女の化け物の前に突如、小さな雪女、ユキマイが現れる。吹雪がさらに唸りを上げ部屋中を吹き荒れる。彼女は紺色の髪を放射状に逆立て、白い歯を剥き出して笑った。

「さ、寒い!」シエリがぶるぶると震えながらロップの影に隠れる「ユキマイだ!」彼女は少し頼もしそうに言った。

「あなた方もいずれはこうなるかもしれません」ユキマイはロップとシエリに振り返って言う「GDNで自分を見失うとREMになってしまいますよってによ」彼女は狐のように目を細めて笑みを浮かべた。

「おやすみなさい」ユキマイが呟くと部屋中を旋回していた猛吹雪がゆっくりと女の身体を覆い尽くす。女は呻き声を上げてユキマイに長い腕を伸ばそうとするが、すぐに跪き、真っ白な雪の中で目を閉じる。ロップとシエリが呆気に取られる中、女の姿は吹雪と共に一瞬で吹き消えてしまった。残った粉雪がちらちらとした輝きを放ってと水面に落ちていく。


「あなた方は人助けをしにここにきたのですか?」ユキマイが暗い表情でロップとシエリに向き直る「ここはGNNの一歩手前です。だから切断もできないのです。死にますよ」

「あれよあれよと連れてこられたの」シエリがうんざりしながら返す「ありがとう、助かったわ……」

 ユキマイは背中を丸くしてせせら笑った「あなた方の使命を伝えに来ました」彼女の冷え切った言葉に、ロップとシエリはとうとうこの時が来たとばかりに、ぎこちない視線を交わした。


「GNNに幽閉されている私の姉、ルシールを救い出してほしいのです」

 ユキマイが紫色の瞳を光らせる。


「姉……?」ロップが呟いた。

「はい。姉はGDNの過去のマスコットキャラクターで、GDNで初の人工知能です」ユキマイは切なげに続ける「過去に問題を起こし、マスタークロックによってGNNに幽閉されました」

「問題って何?」シエリが食いつくとユキマイは視線を落としてフッと笑う「恋愛沙汰です。詳しくは本人に聞いてください」

「気になる……」シエリはうずうずとしてロップを見た「え、だって人工知能の恋愛でしょ?」

「GNNの最深部はDAN通信ではなく光学通信、ナイトメア・オプティカルの世界です」ユキマイが言う「ナイトメア・オプティカルへの変換は192キロヘルツを持つ者にしか成し遂げられません。アデレードは私の手先としてGNNに潜入し、最深部への手がかりを見つけてくれました」

「アデレードって誰?」シエリが再び質問する。

「さっきまでいた大型のREMです。元々はあなた方のような病んだ大人の人間でした。彼女もまた192キロヘルツを獲得しGDNにログインをしに来たので、私が子供の姿に偽装しました。ですが長い眠りの中で彼女は死亡し、自我を失ってGDNを彷徨うREMとなったのです」ユキマイは目を細めて歯を見せる「あなた方もそうなるかもしれません」

 ロップとシエリは顎を突き出して横目で目を見合わせた。

「今のあなた方は96キロヘルツです、GNNの最深部にたどり着いたら、192キロヘルツにレートを戻します。そうすることでナイトメア・オプティカルに対応し、姉のもとへ向かうことができます」ユキマイはそう言うと二人の前に歩み寄る「ただ、流動的です。姉がどこから現れるかは正直分りかねます。とにかくGNNに行くとだけ頭に入れておいてください。今すぐにでも向かって欲しいところですが……、まだあなた方の魂がGDNに定着していません。このような場所にいるのも相まって、ドロップアウト寸前です」

「よく分からないけど」シエリが肩をすくめて言う「あなたを手伝うしか選択肢が無いんでしょ?」ロップも不安げに小さく頷いた。

「その時になったら迎えに来ます」ユキマイは微笑を浮かべて言う「今の状態でこれ以上ここにいるとあなた方の身体に非可逆的な変化が起きます。立ち去りなさい」彼女はロップとシエリに真っ白な両手を差し出した「手を」

 言われるがまま、恐る恐る二人が彼女の手を取る。凍ってしまいそうなほどの冷気が彼女の手から身体に流れ込み、二人は眠るようにその場に倒れ込んだ。


「GNN、グローバル・ナイトメア・ネットワーク。それはGDNのすぐ裏にある、世界中の子供の悪夢の集合住宅です。GDNで問題を起こした子供はマスタークロックによってそこへ閉じ込められる、言わばお仕置き部屋です」


「継続的な悪夢の世界、GNNでは自ら切断することはできません」


「姉、ルシールは最深部にある悪夢の劇場に幽閉されています」


「私は彼女の願いを叶えたいのです」


 ユキマイの声が闇の中に溶けた。


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 SERVER : MOUNTAINY

 Layer : 1.25ERROR


 Not Found.


 OFFLINE.




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 SERVER : MOUNTAINY

 Layer : 01


 GDN GOES ONLINE!!!


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 天井に吊るされた豆電球が見える。


 子供たちの騒ぐ声が聞こえる。


 ぼんやりとしたまどろみの中、ロップは目を覚ました。物が乱雑に散らかった、窓の無い狭く汚い部屋。壁にはハゲかけたダーツボードや映画のポスター、下手くそなスプレーの落書きが書き殴られている。どこからか焦げ臭い匂いがしていた。彼女は埃っぽい大きなソファーで身体を起こす。すぐ隣でシエリが眠っていた。


 状況が飲み込めず、ロップは怪訝な表情になる。誰かが眠る自分達に毛布をかけてくれていたようだ。隣の部屋からは馬鹿騒ぎとも取れるような男女の声が響いて聞こえる。どたばたと物音がし、部屋の天井からぱらぱらと砂が落ちた。

「シエリ」ロップは彼女を叩き揺さぶる「起きてよシエリ」彼女は苦悶の面持ちで目を開けた。

「おはようロップ」シエリは寝ぼけ顔で言う「ここはどこ?」

「分からない……」ロップが答えると、部屋のドアが開き、トレーに二つのマグカップを乗せた少女が入ってきた。長い黒髪に黒のパーカー、デビだった。

「バブちゃんたちが起きた!おはよう!」彼女は大喜びで二人に駆け寄り、近くのビリヤード台にトレーを置く「風邪ひいてない?」

「もしかしてここに連れてきてくれたの?」シエリが寝ぼけた頭でそう言うと、デビは何度も頷く「水に浸って消えかかってたから誘拐しちゃったんだ!」彼女はそう言うなり二つのマグカップを差し出す「ぶどうジュースあげる」

「あ、ありがとう……」ロップとシエリがヒビの入ったマグカップを受け取る。カップには得体のしれない濃い紫色の液体が入っている。

「まずは毒味を……」シエリがロップを制止してからカップを口に持っていく「大丈夫よ! 毒なんて入ってないから!」デビが笑いながら彼女のカップを押し上げて一気に流し込ませた。

「渋いっ!」シエリは咽せながら言う「なんだこれワインじゃん!」デビは無言で満足げにニマニマと彼女を見ている。ロップも続いてジュースを飲み、うんうんとシエリに頷いた。

「ほんとだ」ゴクゴク飲み干すロップを見てデビは感激して再び笑い始めた。

「こんなバブちゃんたちは見たことないわ!」彼女は興奮気味に手招きをする「こっちにみんないるよ! あっ、体調悪かったらまだ寝ててもいいからね!」そう言うと彼女はトレーを持って隣の部屋に出て行った。

「あの子はたしかサブウーファーズとか言ってたよね?」シエリが口を拭いながら言う「あぁ、クラクラする。ろくでもないわね、GDNは」

「デビって言ってたよ、名前」ロップが座った目で返す「もうちょっと飲みたいな」

「もう! この不良!」シエリは呆れた「馬鹿言ってないでここから脱出しようよ」


 二人は決心をしてソファーから降りる。軋む床板を歩き、一抹の不安と共に部屋のドアを開けると、バーのようなカウンターのある広い部屋に出た。派手な髪や奇抜な服装をした見た感じ柄の悪い子供たちが大勢集まっていて、各々カップを片手に話し込んだりふざけたりで騒いでいる。裏路地のような薄暗い雰囲気のあるその部屋では、二つの大きなスピーカーからドラムンベースのような忙しない音楽がひっきりなしに流れていた。

「なんだここ、クラブか何か?」シエリが落ち着かない様子でロップに耳打ちする「あそこにDJみたいな子がいるよ……」

「あっ!」カウンターの奥からデビが手を振っている「こっち!」彼女に手招きされロップとシエリは居心地悪そうに人混みをかき分ける「ああ、やれやれ」シエリは呟いた。

「よう!」カウンターにはアダムが待ち構えていた。ぶどうジュースを片手に彼は意気揚々と声をかけてくる「なんか飲む? いい場所だろ? ここ。二人とも名前は?」

「ああ、まあ、そうね」シエリがわざとらしく相槌を打つ「私はシエリ」

「私はロップ」ロップが言った。

「俺はアダム。ヨルダンの石油王さ」アダムは自信満々に言い、なんだこいつは、とロップとシエリが顔を見合わせる「ここはサブウーファーズのアジトなんだ、お前ら弟子にしてやるから。いつでもここに来ていいぜ」アダムが偉そうにそう続けると、シエリは眉を吊り上げた。

「ぶどうジュースをください」ロップが飄々と注文を通すと、デビがニッコリ笑ってカップに怪しい液体を注ぎ始める。シエリはまたもや呆れ顔になる「私も飲もうかな」

「忘れないうちに返しとくよ」アダムがごそごそと上着の内ポケットから二つのニューラル・レコーダーを取り出した。

「私たちの!」シエリはそれを受け取るなり、怪訝そうに言う「何も触ってないでしょうね?」

 アダムは笑みを浮かべたまま黙って頷いた。しかし姉妹は彼を信じなかった。

「ところであの雷はやっぱり超能力なのか? それともバグを利用してるとか?」彼は興味津々にシエリに尋ねる。

「超能力ですって?」シエリは眉間に皺を寄せる「あれくらい誰だってできるわよ、ね、ロップ。私たち普通の子供だよ」ロップは無言でカップを空にしてカウンターに突き出した。

「普通の子供はそんなにメラトニン飲まねえ……」アダムは少し引き攣った表情になる「まあ何にせよ助かったぜ。二人がティーチャーをボコしてくれたおかげで、楽に没収物を取り返せたよ」彼はにやりとほくそ笑んだ。

「私も夢想式チェキを取り戻したよ!」デビが満面の笑みで四角い機械を取り出す「記念にみんなで撮ろうよ!」彼女がそう言うと周りの連中がぞろぞろとロップとシエリの周りに集まり始める。

「じゃあ僕も写る」

「一期一会ってことで……」

「俺も入ります」

「みんな写真好きなんだね」ロップが言った。集まってきた子供たちの中にはライダースジャケットに黒いブーツを履いた、風紀賞罰委員の姿もあった。

「これって聞いていいことなのか分からないけど、あなたたち、不良と連んでて大丈夫なの?」シエリは隣に座ってきた委員の少女に尋ねる「風紀賞罰委員会の人だよね?」

「俺たち裏でズブズブなのさ」アダムが小悪党のような笑みを浮かべて答える「俺の双子の姉は風紀賞罰委員会の委員長だしな」ロップとシエリは特に気にかける様子もなくふーんと顔を見合った。

「はいチーズ! サブ・ウー!」

 デビが自分も写るように精一杯腕を伸ばしてシャッターを切った。

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