恋愛書店

国樹田 樹

第1話 日常

「恋愛なんて」


 そんな風に口にすれば、大抵の人は眉を潜めるか、哀れむかのどちらかだ。


 別にそういったものを嫌っているわけでもないし、悲観しているわけでもない。

 ただ雑然と、自分が誰かに好まれるとは到底思えないだけだった。


 これほど多くの人間がいる世界で、どうしてわざわざ私などを選ぼうとするだろうか。

 私自身ですらそう考えるのだから。


 世界に魅力的な人はたくさんいる。そこに私が入れるはずもない。


 人は選択肢が多ければ多いほど、選びやすくするために『ふるい』にかけていく。

 一番最初に落とされるのが私だ。


 だから私にっては『恋愛なんて、縁遠い』ものだった。


***


由月ゆづきちゃーん! このダンボール、ここ置いていいー?」


 まだ有線放送を流す前の朝日が差す店内に、同じ仕事仲間である宝田たからださんの声が木霊した。


 見れば今年五十を迎える彼女が大きなダンボールを両手に抱えて、おぼつかない足取りでレジ前へと歩いてくる。


 まだ仕事を始めてから十分しか経っていないのに、額に汗してふうふう息を吐いているあたり、かなり重たいのだろう。


 よく見ればそれは単行本の新刊が入っている箱だった。十キロ以上はゆうに超えてるはずだ。


「っはい! そこ置いておいてください! 今日発売の新刊なので、コーナーに並べておきます!」


 私は書籍の検品作業を進めながら首だけ向けて返事した。周囲では同僚達がバタバタとせわしなく店内を行き交っている。


 私、広瀬由月ひろせゆづきもその中の一人だ。


 開店前の本屋がする仕事は品出しにレジ準備、そして清掃が主になるが、なかでも一番大変なのがこの品出しである。


 これはほとんど時間との闘いで、みんなひたすら手と足を動かし必死になって段ボールから本を出し、検品して、ビニールをかけ、各コーナーに作っておいたスペースに並べて回りに寄せた本を整頓するのだ。


 普段お客さんとして見る本屋さんは静かなイメージだけれど、実際は割と戦場なのだ。


「ああ腰が痛い。ほーんと、重労働多すぎだわねぇ」


 私の横に来た宝田さんがそう言いながら腰を抑えて伸びをした。


 年齢的に段ボールを持ち運びするのが辛いのだと、この前も口にしていた。私もなるべく替わるようにしているけれど、十月一日である今日は月初めの新刊が一斉に発売される日なので、そうも言っていられなかった。


 レジの横にはまだ大量の段ボールが山のように積まれている。しかもこれは全部午前中に出し終えないといけないので、正直いって今日は死ぬほど忙しい日だった。


 「本に囲まれて仕事がしたい」なんて言って入ってきたパートさんやバイトの人が大抵後悔するのがこの品出しである。


 ちなみに私もそうだった。でも今はこの職場がとても気に入っている。


 立ち並ぶ本の表紙は色とりどりで、独特の紙の匂いが落ち着くし、活字も漫画も、絵本もみんな大好きな私にとっては、慣れればまさに天国のような職場だった。


 ……まあ、ひとつをのぞいては、だけれど。


「墨川文庫はこれで終わりっと」


 書籍の検品が六箱目に差し掛かった時、ふうっと一つ息を吐いて額の汗をぬぐった。

 肩より少し下まである髪はシュシュでまとめているけれど、それでもやっぱり作業を続けていると首回りが熱い。十月になったとはいえ日が昇るにつれて気温もまだ高くなる日が多いし、今日は特に朝日の白さからして熱くなりそうだと思った。


 そんな時。


「あら工藤店長! おはようございますー!」


 宝田さんが嬉しそうな声で名前を呼んだ。私は咄嗟に上げていた顔を伏せ、再び作業に戻った。


 するとバックヤードの方から控えめな足音と穏やかな低音が聞こえて、つい身を固くする。


「宝田さん、広瀬さん。お二人ともおはようございます」


「おはようございます……」


 流石に挨拶を返さないわけにもいかないので仕方なく顔を上げて軽く会釈しつつ言えば、近所の奥様方にも評判の優しい笑顔を浮かべる男性と目が合った。それはもうばっちりと。なのでさっと視線を逸らした。


 やや明るい、柔らかそうな髪に大きな奥二重の瞳を持つこの人は、このお店「K―BOOKS」の店長、工藤孝弘くどうたかひろさんだ。この店のオーナーかつ経営者でもある。つまり雇い主。


 お店の名前であるK-BOOKSのKは、工藤のKなのだと一番古株の宝田さんが言っていた。


「大変でしょう。重いものは僕が運びますので、遠慮なく言ってくださいね」


「まあまあ! 気を遣っていただいちゃって! ほんとに工藤店長ってば気が優しいんだからっ。顔も綺麗なのにもったいないわぁ。これで独身なんて!」


 宝田さんが工藤店長を見ながらまくし立てるように喋りだすのを横目に見ながら、私はまずいなぁ、と心で苦笑いを浮かべていた。


私、広瀬由月の住むこの街は、静かでのんびりしているけれど、どちらかというと「田舎」と言われるところ。


そんな街で唯一、大き目の書店であるこの「K-BOOKS」は、工藤店長のお祖父さんが始めたそうだ。


身長174センチ、31歳独身。柔らかそうだけど少しハネ気味の髪は、茶色がかっているけど染めていない。ってこれは全て宝田さんに聞かされた「店長情報」だったりする。

格好良い、というよりどちらかというと可愛い感じのする人。私と違って、人に与える第一印象はすこぶる良い人なのだ。



いつもの「早く結婚しろ」トークに入りだしたら厄介なのに。


私は隣に立つ工藤店長の顔色を伺った。案の定、彼も少し苦笑気味に、宝田さんの話を聞いている。


長い睫毛は綺麗なアーチを描いていて、すっと通った鼻筋にシャープな顎。

本当に、綺麗な顔立ちをしているなぁと思う。常連さんに女性が多いのも頷ける。人気の秘密はその外見だけでなく、彼の纏う柔らかな空気や、こうやって誰にでも優しい所にもあるんだろう。


ぼうっとそんな事を考えていると、ふと、工藤店長がこちらを向いて、視線が合った。


「広瀬さん?」


先ほどと同じキラキラスマイルを浮かべた彼が、伺うように名前を呼ぶ。


…………。


一瞬の間を空けて、私は慌ててその視線から逃げ出した。


「なんでもないです……。あ、宝田さんもう10分前ですよ。急がないと」


「あらほんと!もうお店開けなきゃ!さあさあ!じゃあ工藤店長もこれ運ぶのお願いしますね!」


言うが早いか、宝田さんは傍にあったダンボールをどさっと店長に渡し、バタバタと走って行った。

お店の自動ドアのロックを解除するためだ。


私も広げていた本をまとめ、レジを開ける準備にカウンターへと移動する。


ダンボールを抱えたままの彼の視線を背中に感じたけれど、それは気にしないことにした。


原因は先ほどのやり取りだろう。


どうしてか、私は彼の事が苦手だった。


ただニコニコと人当たりが良い人というのが、なんだか胡散臭い気がして。


正直に言うと、笑顔が「嘘くさく」感じるのだ。

笑っているのに、どこか掴めないところが少し恐くて。


彼の事をそんな風に思っているのは、私だけかもしれないけど。

でも私がそう思っている事は、彼自身にも伝わっている様だった。


「それじゃあ、開店しまーす!」


宝田さんのいつもの一声が聞こえ、奥に居たスタッフ達と私、そして工藤店長が「お願いします!」と返事を返す。


開店コールは、工藤店長ではなく、もう十年以上勤めている宝田さんの役目。


彼女の声で、K-BOOKSはオープンする。


「いらっしゃいませ!」


店内放送の音楽にのせて、皆の元気な声が響いた。


これが、私の日常。


誰かに恋してなくても、恋人がいなくても、好きな仕事、好きな職場で。

店長は少し苦手だけど、仕事仲間は皆良い人で。


平和で落ち着いた毎日の繰り返し。


それで幸せだと思っていた。

それで満足していた。


けれど、この時の私はその日常に変化が訪れてしまう事など、予想だにしていなかった―――

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