第41話 決着

「実はその……澄香を家に……橘花家に返していただきたいのです」

「――なんだ、と……?」


 流唯の瞳が再び赤色を帯び始めたのに気付いた父親は、一瞬うろたえるも言葉を続けた。


「――あ、あなたと澄香はまだ籍を入れていない。澄香はまだ未成年だ。両親が反対すれば、婚約は成立しない!」


(……な、何ですって!)


 澄香は両手を口に当て、絶句する。


(鬼に喰われても構わないと、面白がって嫁に出したくせに、何を今更……!)


 澄香は俯き、ブルブルと震えだした身体を両腕で必死に押さえる。


「――なぜ急に澄香を取り戻したくなった……?」


 流唯は明莉の父親をまっすぐに見据えると、低い声で尋ねた。


「……そ、それはだな……べ、別にいいじゃないか! 親が婚約に反対するのに理由なんて必要ない!」


 しどろもどろの男に助け舟を出そうと、今度は妻の明美が口を挟む。


「そ、そうよ! 大切な娘がいなくなってしまって、私たち寂しかったのよ。考えてみれば、嫁にやるのはまだ早いわ。だから、ね……娘を返してちょうだい」


 明美は身体をくねらせると、媚びた眼差しを流唯へ向けた。


「――では、橘花明莉、おまえが説明しろ。なぜ両親は澄香を取り戻そうとしている?」

「そ、それは……」

 

 明莉が目を左右に揺らし口ごもったそのとき、大広間の両扉がバーン! と派手な音を立てて開け放たれた。


「――では、僕が代わりに説明しましょう!」


 そこに立っていたのは、白河進一だった。


「……し、白河さんッ! 西洋に行かれたのではなかったの……?!」


 明莉は大きな瞳をさらに見開き、呆然としたまま口をパクパクと動かしている。


「ハハッ! 明莉さん……あなたのことだ、澄香さんたちの婚約パーティーを邪魔しに行くだろうと踏んで、出張の日程をずらしたのですよ」


 白河はロイド眼鏡の縁をクイッと指で持ち上げると、メインテーブルの方に身体を向けた。


「鬼京流唯殿、そして橘花澄香様、この度はご婚約おめでとうございます。……僕の方から、明莉さんのご両親がなぜ今になって澄香さんを取り戻そうとしているか、説明させてもらってもいいでしょうか。ただ澄香さん、あなたが持っている“力”について触れざるを得ませんが……それでもよろしいですか」


 澄香が黙って首肯するのを隣で見ていた流唯は、本当にいいのか、と少女に尋ねる。


「はい。わたしもあの人たちの真意が知りたいので……」

 

 澄香の同意を得た白河は、招待客たちに向かって一礼すると、語り始めた。

 

「医師の白河と申します。僕と明莉さんは結婚を前提にお付き合いしていました。明莉さんは老舗呉服店のご令嬢で、この通り見目麗しい方だ。男性であれば、このような縁談を断る道理はないでしょう……。ある日、明莉さんと食事をしていたとき、偶然澄香さんと出逢いました。明莉さんはお姉さんに向かって『無能のくせに!』とののしり続けていました。ところがおかしいのです。澄香さんは、どう考えても無能ではない。これは、職業柄察知できることだとご理解ください……。その後も、事あるごとに明莉さんは『無能のお姉様があんな名家に嫁ぐのはおかしい!』と怒っていました。そのうちに『この人は、僕よりも鬼京家に嫁ぎたがっているのでは』という疑念が僕の中に湧いてきた。僕は何だかいらついてしまって、『澄香さんは無能なんかではない! 彼女には人の心を読む霊力があるはずだ。だから鬼京家の嫁に相応しい!』と言ってしまったのです……。それと同時に、僕は明莉さんと結婚するのがほとほとイヤになってしまった。だって、実の姉に向かって暴言を吐くわ、いじめ倒すわ……。みなさんも、先程ご覧になったでしょう?」


 そう言って白河が会場をぐるりと見回すと、招待客たちは一斉に頷いた。

 会場の隅で小さくなっていた明莉は、招待客たちの反応を目の当たりにすると、その煤だらけの顔を両手で覆った。


「それで僕たちは破談となったわけなのですが――まぁ、これは本題ではないですね。話を戻します。明莉さんは、僕が話した澄香さんの霊力について、ご両親に話したのだと思います。澄香さんの母君は生前、人の心が読めたそうです。これは明莉さんから聞きました。だから明莉さんのご両親は、母親と同じ霊力が実は澄香さんに潜在的に遺伝しており、それが何らかのきっかけで発現したのだと思ったのでしょう」


「――それで……優れた霊力を発現させた娘を商売に使おうと、のこのこ現れたっていうわけか……。人の心が読めたならば、商売は容易たやすいからな……」


 流唯は地の底から響くような低い声でそう呟くと、ゆっくりと立ち上がり、部屋の隅でガタガタと震えている3人の方へ歩みを進める。

 

「……な、なによっ! 子供が親の商売に協力するのは当然のことでしょっ!」


 明美は血走ったまなこを見開き、口からつばきを飛び散らせながら叫ぶ。


「それに、私たちは別に澄香に無理強いしようとしているわけじゃないわっ! あの子は私たちの言う事をよく聞く本当にいい子だから、自ら協力したいと言ってくれるはずよっ! ――ねぇ、澄香……?」


 そう言うと、明美はおもねるような眼差しを澄香に向けた。


――ゾクッッ……!


 視線を交えてしまった澄香の脳に、継母の本心がどろどろと流れ込んできた。


(どうせこのは私たちに逆らえやしないわ。いつだってヘコヘコして本当にみっともない子! 一生私たちの奴隷でいればいいのよ)


――澄香はギュッと拳を握りしめると、一歩、また一歩、3人の方へと近付いていき、流唯の隣に立った。そして、継母とその夫の目をまっすぐに見据えてこう言った。


「――わたしは、あなたたちに今後一切、協力はしません! それに、わたしはもう、あなたたちの娘ではありません!」


 次に異母妹に視線を移すと、目を逸らすことなく一息に告げた。


「――それから、明莉。わたしはもうあなたの姉でもなんでもない。今後一切、わたしの大切な旦那様や鬼京家の人たちに関わらないでちょうだい!」


 目を合わせている明莉から、反発の感情が伝わってくると思いきや、何も伝わってこない。

 どうやら明莉は驚きのあまり、思考が停止しているようだった。

 澄香はスッと視線を逸らすと、ふぅっと深く嘆息する。

 と、その瞬間、澄香は自分の左手が、大きくて温かな手に包まれるのを感じた。


「澄香……よく言った。カッコよかったぞ」


 顔を上げると、そこには流唯の優しい瞳があった。


「――旦那様っ……!」


 澄香は流唯の胸に飛び込む。


「澄香……これからは俺がおまえの家族だ。おまえのことは俺が一生守る。だから、何も心配するな」

「はい、旦那様……」


ふたりはこれ以上くっつけないのではないかというくらい、強く、強く抱き締め合った。


 ――パチパチ……。


 どこからともなく拍手が沸き起こったかと思うと、会場はあっという間に盛大な拍手で包まれた。


 一方、煤だらけの顔をした橘花家の3人は、先程の警備員にずるずると引きずられるようにして、会場から放り出されたのだった――。

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