第2話 肉

 ラケーレの屋敷で護衛と使用人頭を兼任する男に挨拶をして、玄関を出る。

 トーマは振り返り、屋敷の全貌を仰ぎ見た。部屋数はたぶん10以上ある。白っぽい石壁は傾きかけた陽光を反射し輝いていた。


(やっぱりどう考えても、筋が通らないだろ……)


 約半年ぶりの師匠との会談であったが、結局後半はあの話になってしまった。


 『書庫の賢者』には100年以上の歴史があるという。幹部である『七賢』が弟子をとり、次世代を育てて交代する。

 一門には全部で何人賢者が居るのかと、昔聞いたことがあるが、ラケーレは「書庫をきちんと使いこなせばわかることです」と言って教えてくれなかった。


 『七賢』のうち、ラケーレ以外の6人はデュオニア共和国に住んではいない。大陸西部の都市国家のどれかに住んでいたり、旅をしながら賢者の役割や、あるいは「書庫の賢者の役目」を果たしている、らしい。


 『七賢』の座を譲り受けるのに必要な条件は、3つだ。

 1つ目は、当然のことながら『魂の器』・【賢者】の持ち主であり、かつ階梯が40以上であること。


 2つ目は、師以外の『七賢』からも推薦を受ける事。


 『七賢』が後継者を決めることなく、不慮の事故などで死んだらどうするのか。誰かふさわしい人物を他の『七賢』に推薦してもらうなど、特例があるのか。などとトーマは考えたりしたが、そんなことはいい。

 問題は3つ目の条件。


 権力の座にあり≪書庫≫に混乱をもたらす【賢者】保有者の、首級を上げる事。


 つまり殺人である。それも賢者を。まして権力者、都市や国家の指導者を殺せ、というのが『七賢』の継承条件なのだ。



 トーマには意味が分からなかった。

 賢者には、人々に『魂の器』をもたらし魔物と戦う力を与え、人類復興のための希望の光となる。そういう使命があるのではないのか。


 デュオニア共和国より北西。文化も何もない小さな都市国家。少しばかり周囲の街道が安全になったことに目を付け、いかがわしい宿屋をはじめた男。その1人息子がトーマだ。

 いまいましい成金の子どもとして育った14歳のトーマが、ラケーレの『魂起たまおこしの』で【賢者】に目覚めたとき、街はひっくり返るほどの騒ぎになった。

 人さらいに狙われるだの、都市長の養子にとられそうになるだの、逆に都市長打倒の旗頭に祭り上げられそうになるだのした。

 いろいろあった末に、ラケーレが自分の弟子として連れて行くと主張した。その際、師匠が言った言葉をトーマは覚えている。


『個人の欲望や権力のために、この子を利用することは許されない。賢者は世界に300人ほどしか居ない貴重な存在。人類に希望をもたらす恵みの種子なのです』


 階梯を上げた賢者が一日に3回『魂起こしの儀』を施し、年に『魂の器』保有者を1000人生み出す。30年続ければ3万人だ。1人賢者が居れば最大で数万人、魔物と戦う者を生み出せる。そんな存在を殺していいのか。やはり筋が通らない。


(それに権力の座にある者ってのも、なんだか定義があいまいなんだよな)


 ラケーレの大きな白石造りの屋敷には、護衛兼使用人頭の中年男と家事手伝いの少女の他に、料理番の女と通いで勤める掃除・雑用係の者が複数いる。

 『魂起こしの儀』はラケーレもやっているはずだ。階梯はトーマよりもラケーレの方が高く、『魂起こし』もいくらか楽だろうが、一日に4回も5回も施すのは難しいはずだ。ならば収入はトーマとそう変わらないだろう。


 トーマももう28歳であり、少年のころから育ててくれた師匠に対して、曇りのない水晶のような憧憬だけを抱き続けてはいられない。


 あの屋敷はどうやって建てたのか。長年街で重要な役割をはたす【賢者】が、はたして権力と無関係でいられるものなのだろうか。




 帰りに寄ったいつもの屋台では、いつもの禿げたおやじが肉を焼いていた。黒褐色の毛が頭頂以外の部分に生き残っている。トーマも同じ黒褐色だが、髪の色と毛根の強さに関係はあるのだろうか。

 塩の他に香りの強いアシェチコ草をすりこんである獣肉は、炭火を覆う金網の上で食欲をそそる匂いをたてていた。

 上半身には肌着しか着ていないおやじの客引きの台詞はダミ声だ。


「今日の肉は赤熊だよー。新鮮で柔らかいよー。人を食ってないきれいな肉だよー」


 人を食っていないかどうかの基準は、さばいたときに胃袋や腸に人間が入っているかどうかだ。

 つまり食ってないのは1日か2日の間だけかもしれないわけだが、あまり気にする者はいない。そういう世界だから仕方がない。

 赤熊は「半魔物」といってマナの影響を受けていて普通のけだものより強力だが、魔石は持っていない。狂暴性は低く人を襲うことはそれほど多くない。トーマは喜んで今日の網焼き肉を買うことにした。


「にいちゃん今日もうちのメシか。俺が言うのもなんだがたまに野菜も食えよ? 体壊すぞ」

「出先でお茶を飲んだから今日はいいんだよ」


 焼き網の横に積んである薄焼きパンに挟んだ肉は、一人前で銅貨15枚だ。血は一切使わずたっぷりの塩で味付けされたおやじの料理は他の屋台より割高だった。

 トーマは小銀貨を1枚わたしてお釣りの銅貨5枚をうけとった。


 自分のこぶし2個分ほど大きさのある赤熊肉をかじりながら大通りを南に進む。雑貨屋だか物置小屋だかわからない店のかどを、右に曲がった路地の奥。

 そこにトーマの下宿がある。


 歩いているうちに半分ほどを食べ切った。小柄なトーマが全部食べると胃もたれがするので、残りは翌朝、麦粥といっしょに食べるのだ。それが最近お気に入りのトーマの食習慣だった。

 下宿の玄関が見えると、出入り口をふさぐように男二人がなにか話をしながら立っている。

 あと一刻もすれば秋の太陽は西の山脈の裏に完全に隠れるだろう。

 下品な笑い声を上げる二人組にに嫌な予感を覚えながらトーマが近づくと、背の高い方の男が話しかけてきた。


「なぁ、あんたがトーマって野郎だろ? やっと帰ってきやがってよぉ」

「やせっぽちだな。聞いた通りだ」


 トーマの肉付きに言及したもう一人の男も、トーマよりはこぶし1つ分背が高かった。くせっ毛で明るい色の金髪の、筋肉質な男だ。


「ご用件は?」

「ごようけんはよぉ、俺たちに『魂の器』をくっつけてもらう事さ、決まってるだろ?」


 背の高い方の男はつるつる頭だ。屋台のおやじと違って剃っているのだろう。禿げるには若すぎる。

 トーマより頭1つ分でかい骨格についた肉の量は、筋肉質という枠組みをわずかにはみ出していた。

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