最弱スキルな上にHSPでも異世界でお役に立ちますか?

百山トト

第1話 刺激的な日々

「おーい店員! 酒とナッツ盛り合わせ!あと牛肉のトマト煮込みと鶏の串揚げ持ってこい!」

「はい喜んでー!!」


 言われたメニューをその場で紙に写す。

 遠くでさっきの男たちが、「な、はい喜んでって言うだろ」と笑いあっている。長年のバイトで植え付けられた癖なのだから許してほしい。


「マスター! これ注文です!」

「はーい!じゃあヨハネス君、この料理3番さんに持ってって!」


 たった今、皿に盛りつけた料理をカウンターに乗せ、注文票を受け取った小柄な女性がこの酒場のマスターであり、俺の雇い主だ。赤毛のボブヘアーが今日も似合っている。

 料理を運びながら、各テーブルから注文されるメニューを紙に次々と写していく。復唱する暇もなく、次々と注文されるので写すだけで精一杯だ。3番テーブルに着く頃には、注文票は10枚を超えていた。

 メニューはペンで紙に書き写しているのではない。文字どおり、「写し」ているのである。手のひらを紙に向けて、言われたメニューの文字をイメージするだけで紙にその文字が写されるのだ。

 これがこの異世界に転移した俺が得たスキル、「転写」のスキルだ。


「マスター! 注文票置いておきます!」

「ちょちょ! 多すぎ多すぎ! こんなさばけないって! 何個かは聞こえないふりしてスルーしてきてよ!」


 そんなことを言われても、聞こえた以上は無視できない。ウェイターでも仕事に矜持は持っているのだ。それに、「転写」スキルの使い道なんてこの仕事以外にあろうものか。


「いやいや! それで怒られるの俺ですから! 受けるのは俺で、作るのはマスターの仕事でしょ!」

「生意気言ってー! 1か月前のおどおどしてたヨハネス君は、どこかに置いてきちゃったんですかー!」


 悪態をつきながら頬を膨らませる姿は、最早幼女にしか見えない。こう見えても、酒場兼クエスト受注所であるこの店を切り盛りするやり手の女主人なのだ。

 この女主人の名前はフィレリ。見た目は小学生だが、実際の年齢は20歳。それでも俺より年下だ。この手腕なら、現実世界で会社にでも入ってすぐにエース級の活躍を見せるだろう。


「待ってて! 今、牛肉のトマト煮込みできあがるから!」


 そう言いながら、切り出された石の上の鍋を注意深く見つめている。この鍋を煮込んでいるのは火ではない。彼女のスキル「熱」によって、火のごとく熱した石によって調理されているのだ。

 この「熱」スキルは、自身の体はもちろん、物質にも熱を付与することができる。つまり、超高熱の剣や槍などの武具を装備することができるのだ。これだけでも冒険者として十分通用するスキルである。もしかしたら、軍にだって入隊できるかもしれない。

 しかし、彼女はこのスキルを戦闘ではなく、調理に活かした。この武力がものを言う世界で、なぜそんな生活感溢れる使い方なのかと思うかもしれないが、このスキルのおかげで店舗経営にかかる燃料費コストがゼロなのである。さらにかまどいらずで、熱さえ付与すればどこでも調理ができるので、配膳スピードも他の店の約2倍である。

 つまり、この店が繁盛しないわけがないのだ。


「はい! じゃあ牛肉のトマト煮込み持ってって! 鳥の串揚げはまだかかるから!」 

 

 長時間煮込まれたであろう柔らかそうな肉に、その旨みが溶けだしたトマトスープが湯気を立てている。今日の賄いはこれにしてもらおうか。

 そんなことを考えながら、出された料理を急いで注文主に運んでいく。もちろん、途中で受けたオーダーを注文票に転写しながら。


「お待たせしましたー! 牛肉のトマト煮込みでーす!」


 何杯飲んだかも覚えてなさそうな酩酊状態の男たちが談笑をやめて、出された料理に目をやる。その男をを見て、俺は直感的にこの男が考えていることを理解した。「俺はこの料理を頼んでいない」と、その目が語っている。


「おい、俺はトマト煮込みなんて頼んでねえぞ。」

「いや、確かに注文を受けたと思いますが⋯⋯。他にナッツの盛り合わせと鳥の串揚げも頼まれましたよね?」


 一応、否定はしておかないとと考えたが、次の瞬間、俺は判断を間違えたと後悔した。


「てめえ、口答えしてんじゃねえぞ!!」


 男は立ち上がると俺の胸ぐらを勢いよく掴み、至近距離で俺の顔を睨みつけた。鼻に男の口臭と酒が混じった臭いが突き刺さり、不快極まりない。


「も、申し訳ありません……。そ、そのお料理は……」


 次の言葉が出てこない。頭が回らない。

 こうなると、俺はダメだった。

 恐怖心を感じるとか、そんな生易しいものではない。

 男の怒りの感情が情報となって、俺の五感全てで感じ取ってしまうのだ。

 そうなると、俺の頭はそのことでいっぱいになり、極度の緊張で体が動かなくなる。さらには、周りの視線が一気に自分にそそがれ、哀れみと侮蔑をはらんだその表情は俺の不安感をさらに増幅させた。

 そんな俺の特徴を、一言で表す便利な言葉が現実世界にはある。

 それはHSPという特徴である。HSPとは、Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)の略で、感受性が強く敏感で、繊細な気質を持った人のことを指す。

 現実世界にいた頃からこの特徴に随分悩まされてきた。人嫌いではないが、人と長時間過ごすと寝込むくらい疲弊してしまう。また、痛みやストレスにも過剰に反応してしまう。

 例えば、人から怒鳴られるという行為は、俺にとって殴られるに等しいダメージなのだ。感受性豊かと言えば聞こえはいいが、人の表情だけで大量の情報や感情が入ってくるので、常に情報過多の状態であり、1日で疲労困憊になってしまう。

 医師の診断を受けた訳では無い。ただ、ネットの情報や書籍を読む限り、当てはまる項目が多すぎて間違いなく自分はHSPだと確信している。ちなみに1人で過ごすのが好きな内向的HSPもあるが、俺は人付き合い自体は嫌いではないので、どちらかと言えば外向的HSPというタイプに当てはまると思う。

 現実世界においてHSPは、なんとなく市民権を得てきている段階にあると思う。 

 しかし、俺が今いる異世界は腕力と戦闘スキルこそがステータスであり、HSPどころか気質なんてものは気合いでなんとかするものとでも思われているのだろう。

 実際、今ここで俺がHSPだとこと細やかに伝えても、一生笑いものにされることは明白だ。

 こういう時は頭を下げ続けて時間が過ぎるのを待つしかない。一発殴られれば済むのかもしれないが、殴られることは死ぬことくらい嫌なので、できれば避けたい。

 男の顔をのぞき見ると怒りが収まった気配は全くない。それよりも掴まれたままでは頭を下げようがないのでそろそろ降ろして欲しい。


「なにうだうだ言ってんだ!! 言いてえことがあるなら……」


 男が拳を振り上げ、殴りかかろうとした瞬間、男の目の前に突然、さっきの注文票が突き出された。


「あんた文字読めないの? ここに間違いなく牛肉のトマト煮込みって書いてあるでしょーが!」


 視線を落とすと、小柄な体で精一杯背伸びをして、男の顔に注文票を突きつけるマスターの姿があった。


「ああ!? その注文票もこいつが書いたもんだろ! だったらこいつが写し間違えたんだ!!」

「ヨハネス君をあんたと同じにしないで! 転写のスキルは聞いたものをそのまま写すんだから間違えようがないでしょ!」

「じゃあこいつが聞き間違えたんだろ!」


 双方譲る気はないらしい。実際どっちの言うことも正しい。俺が聞き間違えていれば、当然間違った情報が転写される。

 問題はそこではない。俺のせいでマスターが手を止めていることが問題なのだ。当然、調理はこの問答が終わるまで再開されないし、他の客たちはマスターの料理を今か今かと待ちぼうけている。このまま料理が配膳されるのが遅れれば、店の評判にも関わる。

 俺としても、この異世界で職を失うことだけは避けたい。ここには失業保険や雇用保険なんて大層なものは無いのだ。

 そうなると、今この場を早急に収めて、マスターに調理を再開してもらうことが最優先事項である。

 解決策はマスターが出てきたことで変わった。さっきまでは、俺が謝って男の気が済めば終わる問題だった。

 今は違う。マスターが出てきたのだから、マスターのメンツも保たなければならない。謝れば店として間違いを認めることになる。かと言って、俺がここで理路整然と男に正論をぶちまけて論破するなんてことは、俺の気質上、天地がひっくり返ってもできない。

 なら、こうしよう。

 この場で事実となり得るものを、全部ひっくるめて全力で証明しよう。

 俺は自分の着ている白いシャツに手を当て、転写のスキルを発動した。転写は紙である必要は無い。イメージを写せれば媒体は関係無いのだ。

 白いシャツに次々と言葉が写されていく。転写は止まることなく、言葉はシャツの袖にまで達していた。言葉の文字の大きさは大小様々で、俺の意識が向けられた度合いによってサイズが異なっている。

 俺が転写したのは、注文を受けた前後に聞こえてきた言葉全てだ。そこには、客たちの会話から聞こえてきた、女のタイプやら、どのモンスターが強かったやら、どいつが気に入らないやらなど、取り留めのない内容が散りばめられていた。

 恥ずかしながら、一番大きく転写された言葉は「な、はい喜んでって言うだろ」だった。いじられただけで過剰に反応してしまうのもHSPの特徴である。

 そして予想通り、オーダーされた「牛肉のトマト煮込み」という言葉もそこにはあった。

 男は俺の突然の行動に、その理由がまだ理解できていないようだった。


「……急に何やってんだお前?」

「俺が……注文を受けた時に、聞こえてきた言葉を全部転写しました。ここに、牛肉のトマト煮込みって、写してあるでしょ? この写してある言葉全部含めて、これが俺が聞こえた言葉です……」


 未だに降ろしてもらえないので喋りづらい。しかし、今の俺の言葉を聞いて周りの客たちも集まってきた。客たちは俺のシャツをまじまじと見つめる。


「あー、確かにこんなこと言ったわ!」

「このモンスターのくだりは、俺らの会話だな」

「けどよ、注文聞きながらこんなに周りの音なんか聞こえるか?」


 聞きたくて聞いているんじゃない。HSPだから聞こえてしまうのである。特に自分のことを話されている時には聴覚は鋭敏になる。さらに、聞こえてきたことを反すうしてしまい、何度も思い出してしまうので、そのたびに記憶として定着してしまうのだ。


「⋯⋯ちっ」


 男は渋々、俺を床に降ろした。客たちが会話の正確性を証明したことで、俺が注文を聞き間違えた可能性が著しく低くなったことが嫌でも分かったのだろう。


「ほーら言ったでしょ! ヨハネス君のスキルでオーダーの間違いなんか起きるわけないの!」


 マスターが男の前でふんぞり返っている。せっかく話が収まりそうなのだから、余計なことは言わないでほしい。


「……ああ、悪かったよ。それにしてもこの煮込みも美味そうだ! ついでに酒も持ってきてくれ!」


 さっきまでの怒りはどこに行ったのやら、男は早々に間違いを認めると機嫌を取り戻していた。この潔さは素直に尊敬する。

 なんとなく、現実世界の人間よりこの異世界の人間の方が素直な気がする。現実世界の元住人として、そしてHSP気質の人間としても羨ましいメンタルの持ち主だ。

 周りの客たちも自分のテーブルに戻って行った。その会話の中で俺の転写のスキルについて話している声も聞こえてきた。


「しっかし、あの転写のスキルってなんかの役に立つのかね?」

「いやあ、戦闘時ならクソの役にも立たないだろ。俺なら人生諦めるね」


 聞こえないふりをしたが、その会話は、俺の脳みそに刻みこまれた。


 それからの仕事は順調だった。シャツに会話が転写されたままなので、客たちはいつもより友好的に話しかけてくれた。

 店を閉め、片付けを済ませると、マスターは、ゆっくり部屋で休んでと声をかけてくれた。この店は店舗兼住宅になっているので、1階が酒場、2階がマスターの家になっており、ウェイターである俺は2階に部屋を間借りさせてもらっている。

 俺は部屋に向かうと、簡単な食事を済ませ、風呂に入ってすぐベッドに横になった。

 今日も色々なことがあった。仕事中の記憶や感情が蘇る。男に胸ぐらを掴まれたときの息苦しさ、恐怖心、たった今現実に起こっているかのように鮮明に思い出せる。

 こういう時は忘れて、さっさと寝てしまう方がいいのだろう。でも、それは不可能だった。忘れようとすればするほど、その事を考えてしまうのだ。だったら脳が満足するまで、そのことを考えるしかない。

 今日あったことは嫌なことだ。誰がどう見ても、俺は理不尽な目にあったと思う。

 けれども俺の脳はそう捉えない。自分に落ち度があったのではないか、どうやったら避けられたのか、二度と起きないようにするにはどうしたらいいか、そんな答えのないことを堂々巡りのように考え続ける。

 こうなると、俺の夜は長い。ぐるぐるぐるぐると考え続け、そのまま朝を迎えることもある。自分の頭と心に抵抗するのも虚しいので、このまま放っておくのが経験上、最も有効な解決策だ。眠れるときは眠れるし、眠れないときは眠れない。諦めることが肝心だ。

 そんな悟りの境地に立ったところで、ドアを叩くノックの音が聞こえてきた。


「ヨハネス君、起きてる? 入るよ」


 声の主はマスター、フィレリさんだった。仕事中は従業員としてマスターと呼ぶが、普段はフィレリさんと呼んでいる。

 俺はそのまま眠ったふりを続けたが、彼女は部屋に入ってきた。足音がベッドに近づいてくる。一体何の用があるというのか。

 ふと、頭に「解雇」の二文字が浮かんだ。体に緊張感が走る。ここにいられなくなったら、元の宿無し生活に元通りである。今さら野宿なんてまっぴらだ。

 体をこわばらせていると、背中に心地いい温かさを感じた。布団越しに人の手が触れている感覚がある。

 フィレリさんは、ベッドに腰かけると俺の背中をさすってくれていた。まるでそこだけ湯たんぽでも当たっているような温かさである。しかし人の体温がここまで高くなるものだろうか?

「どーかな? あったかいでしょ。熱のスキルには、こういう使い方もあるんだよ」

 なるほど。熱スキルで温度を調節すれば、人肌でもカイロくらいの温かさを実現できるわけか。確かに心地がいい。マッサージというものを受けたものが無いので、人の手で撫でられることがこんなに気持ちがいいものだったなんて知らなかった。


「君がこの店に来て1カ月か。早いもんだねー」


 返事をしていいものか分からず、黙って聞いていた。解雇の可能性が消えたわけではない。


「私ずーっとヨハネス君の働きぶりを見てたんだよ。君さ、超がつくほど気使ってるでしょ? お客さんの上着が椅子から落ちそうになっていれば直すし、床に飛び散った料理の染みも配膳しながらその都度拭いてる。酒が無くなりそうな人がいれば、すぐ注文を受けられるようになるべくそばに立つ、会話の妨げにならないようにできるだけ視界の外から食器を片付ける……。まったく、いつからこの店は高級料理店になったのかと思ったよ!」


 彼女はカラカラと笑いながら、そう言った。確かに今言ったことを気を付けているつもりではある。たまにマスターの視線を感じていたのはそういうことだったか。


「でも、今日みたいな日に君が落ち込んでいるんじゃないかってことは、最近になってようやく気づいた。私だったらあれくらいのこと一日寝れば忘れるけど、君はそうじゃないんだろうなって思うようになったんだ」


 その通りである。そこまで分かっているなら、この仕事に向いていないことにも気づいているはずだ。


「私なら忘れる。つまり、そのままにしておくってこと。でも君は落ち込む。つまり、君はそのことを反省して、改善しようとするってことでしょ? それってさ、君にしかできない、君だけの長所なんじゃないかな?」


 背中が熱くなる。


「でも君を見下すやつもいる。スキルだって確かに戦闘向きじゃないし、この店だけでしか役に立たないように見えるかもしれない。でも、それはさ、戦いしか知らないやつが、上辺だけの君を見ているのに過ぎないんだよ」


 彼女の熱が、背中を通して全身に伝わってくる。


「私にとってヨハネス君はね、いるだけでものすごーく助かってるよ。もちろん、スキルなんか無くってもね。君自身が、その心が、私にとって必要なんだよ」


 もう彼女の方を振り向くことはできなかった。こんな顔、見せられるわけなんかない。 涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、息をするのも苦しかった。寝たふりする意味なんかないのに、それでも寝たふりを続けるしかなかった。


「おやすみヨハネス君。明日はきっといい日になるよ」


 そう言い残して彼女は部屋から静かに出ていった。

 年下の女性に慰められたという情けなさ半分、素直にうれしかったという気持ち半分。この涙がどっちのものなのか自分でも分からなかった。

 俺はHSPだ。人付き合いは正直得意じゃない。でも人嫌いではない。人の役に立てれば、素直にうれしいのだ。

 俺が持つ気質、そして「転写」スキル。客の男たちが言うように、この世界では糞の役にも立たない。それは事実である。

 でも、それでも、俺を拾ってくれた彼女に報いたい。俺を労ってくれた彼女の言葉を偽りにしてはいけないし、俺を認めてくれた彼女の心を裏切るわけにはいかない。そう思うのも事実なんだ。


 彼女が触れた背中には、まだ熱が残っている。

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