第10話『地属性最強種! 埼玉!』(8/8)

 ナルの緊迫した声が、零士の脳内に静かに響く。薄暗い通路に光が射す窓はないが、ナルの声に色を感じる。「ううん、大丈夫。今は状況を先に共有すると、『東京マザー』を中心に泉のようにシャチが湧き出ているの」と彼女は言った。


 零士は身震いした。先日の殲滅戦を思い出す。「マジか……。あのシャチがか……」彼の声は震え、まるで冷たい風が通路を駆け抜けたかのようだ。


 ナルはその危険を具体化させた。「ほぼ無尽蔵に湧き出していて、止まる様子が見えないわ」彼女の声は危機感に満ちていた。


「俺たちが倒したあの時と比較するとどうなんだ?」零士は、彼女の猫の瞳を想像しながら問うた。


「比較にならないぐらいよ」ナルの声は絶望的だった。彼女の毛並みが逆立つ様子が目に浮かぶ。


「だとすると、この場にいるのは相当ヤバくないか?」零士の声は恐怖を帯びていた。


「実はそうでもないの。この通路は一本道で、入ったところからしか出れないの」ナルは確信を持って答えた。


「つまり、ナル姉が見たやつらは別のところから出るのか?」零士が問う。


「そう。ハンターたちがよく出入りする方からね」とナルが答えると、零士の頭の中にハンターたちの地獄絵図が浮かんだ。「おいおい、それだと……」


「惨劇にしかならないわ」ナルは彼の想像通りの言葉を返した。


「動くのか?」零士の問いに対し、ナルは冷静に答えた。「ここにいるわ。彼らの目的が見えないけど、あの量だからほとんど食べられてしまうね」彼女は冷徹に状況を見ていた。


「まさかハンターとかがか?」零士は群馬や埼玉での出来事を思い出しながら言った。


「第4城門の外側はすべてよ?」ナルが答える。


「だから城門があるのか……」零士はあのスラムのことを指していたのかと理解した。


「そうね……」ナルは仕方ないとしか言いようがない感じを醸し出していた。


 零士はナルの意見に賛成だ。今は動かない。それが正解だと脳の奥で警戒音が鳴り響くような錯覚を味わう。別に正義の味方というわけでもないし、自分たちに被害がなければ最小限に動くのが鉄則だ。


 リーナにもこのことを共有し始めた。うまく説明できるかはさておき、ほぼそのまま伝えた形だ。


「え? レイジそれ本当なの?」とリーナは驚く。


「ああ。ナル姉が今も動かず監視しているよ」と零士は伝えた。


「町の人がやられてしまうわね。……でも自業自得か」とリーナにしては意外な発言だった。もっと町寄りの考えで正義感むき出しで動くのかと零士は思っていた。


「ん? どういう意味なんだ?」とリーナがあまりにも素っ気ない態度なので、零士は思わず聞き返してしまう。


「レイジのような優秀なハンターを追放するだけでなく、なんだか私利私欲に走っている感じなのよね。レイジを追い出したあのギルマス代理はとくにね」と零士に対しての悪辣な態度にリーナは怒っていた。


 思った以上にリーナは零士のことを気にかけていた。それは、ある意味でうれしいことだったが、零士は冷静に見れば命あっての物種。私利私欲に走っても仕方ない環境なのではと思っていた。


「みな、生業にしているならそうなるんじゃないか?」零士は理解を示すように言った。彼の声は、淡々としていて、その場の空気を和らげるかのようだった。


「違うのよ。自分さえ良ければと動いている連中ばかりなのよ。こうした非常事態に対処できる人なんていないわ」とリーナは更に声を強めた。彼女の顔には、怒りと不安が混じっているのが見て取れた。


「ああ、そういうことか。リーナの実家は第二城門の向こう側なんだろ?」と零士が確認を求めると、リーナは少し表情を和らげて答えた。


「ええ。そうよ」と彼女は言った。その声には少しの安堵と多くの憂いが含まれていた。


「なら安全な場所に早く帰投したほうがいいんじゃないか?」零士が提案すると、リーナの表情が一瞬で曇った。


「何言っているのよ? 私たち仲間でしょ? 置いてなんていけないわ」とリーナは残ると言い出す。彼女の声は決意に満ちており、その瞳には同じく決意が宿っていた。




「んじゃ、連れてってくれるのか?」と零士はリーナに問う。その声には、わずかながらも期待が込められていたが、本心では入城への強い願望はない。ただ、何となく聞いてみただけだった。


「そうしたいのもやまやまだけどね」リーナの声は申し訳なさで震えている。「レイジたちは、まずは第二城門内には入れないわ」


「身分証明書が必要か?」零士はすぐに本質を突く。彼の眉間には皺が刻まれ、目は疑問に満ちていた。


「ええ、そうよ。第二城門を通れるぐらいのね」リーナは答え、彼女の瞳は遠くを見つめる。周囲の空気は少し重くなった。


「国はこうした事態に対応できるのか?」零士の声は静かだが、その問いには深い意味が込められていた。


「どうでしょうね……恐らく動かないわ」リーナの答えに、零士は内心で国の無情さを嘆いた。リーナには動かない理由を知る由もないが、このままでは国の権威に疑問符がつく。


 そんな思考にふける零士が、ふと重要なことに気がついた。「仲間か……」彼はAI保持者とそうでない者との間に存在する隔たりを感じ、心がざわついた。


「違うの?」リーナの声には不安が滲み出ていた。彼女の表情は捨てられた小犬のように、零士の返答を待っている。


「いや、リーナは仲間だよ。たった一人の俺の真実を知る人だからね」零士はすぐに彼女を安心させた。


 リーナの顔には瞬時に笑顔が広がり、何度も頷きながら、「うん、そうでしょう。そうでしょう」と繰り返し、その場の空気は一時的に和やかなものに変わった。


 しかし、現況の危機は、零士にとっては新たな歩みを始めるための足掛かりを見つけたばかりで、進む前にすでに障害にぶつかっている。誰かが討伐するか、この場を離れるべきか、選択は難しい。


 その時、動きがあった。再びナルからの念話が零士の意識に飛び込んできた。「零士、動くわ」


「出入り口へか?」と零士は聞いた。彼の声には決断の色が見え始めていた。


「ええ、これは……全滅ね」ナルの声は冷たく、確かなものだった。


「群馬や埼玉がいるなら対応できるのでは?」零士はそれでもまだ希望を捨てきれずにいた。


 ナルは深くため息をついた。「数が問題ね。これだとあの二人だけでは対応は難しいわ」


「あのクラスがどのぐらいいるんだ?」零士の問いに、ナルは静かに答えた。「そうね……最低でも二十〜三十ぐらいかな」


 絶望が、まるで霧のように彼らを包み込む。零士は重苦しい空気の中で、この状況の全貌を理解し、何とか策を練るべきだと感じていた。


 

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