第十五話 看護婦と盗聴

 張り切った石川は、これから図書館で浄土真宗の本を借りて仏法を研究すると言って走り去っていった。

 超改心だよなあ。


「帰ろう、送っていくよ」

「うん」


 僕はレビアタンと肩を並べて宵の口の街を歩いた。

 僕も彼女も、黙り込んで歩く。

 山の上の中学校校舎の上に月が昇り始めていた。


「吉田くん……」

「なんだ?」

「ありがとうね」

「なにが?」

「んん、いろいろ」

「別に、友だちだろ」

「うん、ありがとう」


 お屋敷についた。

 いかついおじさんが門を開けた。


「ねえ、凄い傷だよ、手当してあげるよ」

「え? ああ、いいよ別にそんなに痛くない」


 石川に殴られた顔はジンジンと痛み、頬が張れて、歯茎から血が出ているのが味で解った。

 体もあちこちが鈍く痛く、ところどころ痺れた感じになっていた。


「でも……」

「また明日」

「おやすみなさい」


 僕は背中を向けて自分の家の方に歩いた。

 しばらく行って振り返ると、レビアタンは、まだ門の所に立っていて、こちらを見ていた。

 かるく手を振って、僕はまた歩き出す。

 体中、もの凄く痛いけど、痛くないよ。


 角を曲がった途端、僕は看護婦の格好の魔女さんに、いきなり捕獲された。


「まあ、こい」

「な、なんなんですかっ! なんでナース服ですかっ!」

「魔女だからだ」


 いつも通りぶっきらぼうに言うと、魔女さんは僕の襟首を掴み、黒いバンの中に押し込んだ。


「運の良いことに、今の私の職業は看護婦だ、治療をしてやるから、そのかわり公園であったことを全部話してもらおう」


 バンの中で、メイドさんが苦笑いしながら、僕に椅子を勧めた。

 ピンクのナース服に身をつつんだ魔女さんは、脱脂綿にごぽごぽとオキシドールを含ませて、僕の傷を拭いた。


「い、痛い」

「大丈夫だ、私は痛くない」

「そりゃ痛くないでしょう。いたたっ!」

「手ひどくやられたな。少年は喧嘩が弱いようだな」


 本職の看護婦みたいに手際よく、魔女さんは傷を処置していた。


「って、ちょっと、なんで服をぬがしますかっ!」

「脱がさないと、打撲の具合がわからない」

「あ、駄目ですよ、ズボンは堪忍してください」

「検診出来ぬだろうが、医療行為だ、変な邪推をせず脱ぐがよい」

「検診って、看護婦は検診しません、医者じゃないのだから」

「医師免許も持ってるぞ、偽造書類だが」

「医師免許を持っていたら女医です、看護婦じゃないですよ!」

「偽造だから看護婦だ」

「どういう理屈なんですかっ!」


 メイドさんがくすくす笑いながら、僕の脱いだ服にブラシを掛け、汚れを落としていた。


「い、いたたっ!」

「つまらぬな、ほとんど打撲で、骨折とかが無いぞ、手当のしがいが無い」


 そう言うと魔女さんは、なんか軟膏を……。メンソレータムをぺたぺたと打撲の箇所に塗った。


「打撲にメンタム効きましたっけ?」

「何を言ってるんだ、何にでもメンソレータムは効くぞ、魔法の治療薬なんだ」


 ぬりぬりと魔女さんの手がメンタムを僕の体に擦り込んでいく。

 なんとも照れくさくていたたまれない。


「公園で何をしたのだ? 音声だけは拾ったのだが、公園にはカメラが無かった。悪魔の契約を破棄させたような感じだったが」

「いや、そのとおりですよ。痛っ! レビアタンが石川を騙して契約を結んでしまったので、破棄させました」

「どうやって? なにか不思議な力でも使えるのか? 神格があがったせいなのか?」


 というかー、魔女さんはなんでも知ってるんだなあ。朝のガルガリンと僕の会話も聞いてるのか。


「地獄行きの契約だとか言ってたので、石川に、南無阿弥陀仏を唱えさせたら、その契約が破棄されたようです」

「悪人正機説か、石川は仏に帰依して、死後の行き先が地獄から西方浄土へシフトしたのだな。それによって堕落から回避され、レビアタンの支配が切れたのか……」

「石川は超改心して、一心に阿弥陀を拝むと言ってましたよ」

「死後の魂が救われたのだ、それほどの感動だったのだろう。しかし……、仏は実在するのか?」

「さ、さあ?」

「天使と悪魔だけでも厄介なのに、他の神々まで光臨されたら大混乱になるな。困ったことだ」


「レビアタンが携帯電話を掛けています。着信先、伊藤小五郎です。傍受します」


 男前のお兄さんが、何かの機械のスイッチを入れた。

 電話の呼び出し音が、バンの中に響いた。


「で、電話まで盗聴してるんですか?」

「われわれは何でも知らないといけないのだ。気にするな、個人的な情報は聞いた端から忘れている」


 ガチャッと音がした、相手が出たようだ。


『はい、伊藤です』

『あのお、もしもし、レビアタンです……』

『ああ、これは、お元気ですか、何ヶ月ぶりでしょう、最愛の君よ』

『ごぶさたしてます、小五郎ちゃんの声が急に聞きたくなって、今だいじょうぶですか?』

『もちろん大丈夫ですよ。我が君』

『えーとですねえ……』


「誰ですか、この相手の人」

「我々の元仲間だ、旅行中、レビアタンに堕落させられた一人だ」


 ああ、と僕は納得した。


『堕落の事で言いたい事があるんです』

「レビアタンめ、石川が契約を逃れたので不安になって確認か?」


 魔女さんが、ぼそりとつぶやいた。

 そうかもしれない、あんなに簡単に契約が破棄されたら悪魔も困るのだろう。


『はい、なんでしょうか?』

『あの、堕落を簡単に直す方法が解ったんです。それをお伝えしようと……』

『はあ、そうなのですか?』

「なに?」


 魔女さんは天井を見上げ眉をひそめた。


『他の宗教に改宗すると、堕落は解消され、地獄に堕ちなくてすむみたいです』

『はは、そうなのですか』

『私も今日知りました。お伝えしなければと思ったんです……』

『後悔、なさっているのですか? あの日々の事を、私たちを堕落させた事を』

『……後悔は、してません。あの頃は、本当に楽しくて、あなた達が愛しくて、今でも心が熱くなります』

『そうですか、それは良かった』

『でも、私は変わってしまう存在なんです。今はあなた達が愛してくれたレビアタンではありません。信じられます? 今は私、中学生の女の子の姿で、中学生の心になっているんですよ。もう、あなた達が愛したレビアタンは居ないんです。だから、もう、堕落しなくて良いんだと思います。私が変わったんですから、小五郎ちゃんも変わって良いと思うんです。だから……』


 レビアタンの声が震えていた。


『我が君、お心づかい、本当に嬉しく思います。本当に愛してくださっているんだと思い、胸が高鳴りました。でも、私は堕落を解消するつもりはありません』

『どうして? 地獄におちるのよ!』

『それは、我が君、あなたを愛しているからです。今の我が君は、姿も、性格もお変わりになられた。しゃべり方も変わられましたね。私が愛した我が君の形はもう存在しないのかもしれません。

 ですが、あなたの本質はお変わりになられておりません。あなたの本質はは今でも私の愛したレビアタン様です。あなた様を裏切り、一人で極楽浄土に寂しく浮上するぐらいなら、あなた様と一緒に、地獄に堕ちましょう。それが私の願いです』

『小五郎ちゃん……。すごく嬉しい、だけど、考え直して。もうあの頃のレビアタンに戻って、私があなたに優しい顔を見せる事は無いのよ。綺麗な想い出を抱いて、ずっとずっと生きていて、そして永遠に地獄で苦しむのよ。それでもいいの?』

『たまに、地獄で顔を見せていただければ。何万年かに一度でも、ほほえみかけていただければ。いえ、贅沢ですね、我が君と同じ地獄に居るだけで、たぶん、私は心和み、地獄の窯の底で平穏に生きていけます。それが、私の願いです』

『バカッ!! 小五郎ちゃんのバカッ!! いい、今でなくていいの、ずっと後、死ぬ間際で良いから仏とかに帰依しなさいっ!! いいわねっ!!』

『つつしんでお断りいたします、我が君』


 ぐううっ! とレビアタンの泣き声が聞こえた。


『切る。さよならっ! 小五郎ちゃんっ!!」

『お声を聞けて幸せでした。ありがとうございます。我が君』


 ブツッと唐突に回線が切れた。


 バンの中がシンとしていた。


「す、すごい覚悟の人ですね……」


 レビアタンをそこまで愛していたんだ。


「……私の自慢の弟子だ。まったく、馬鹿めが……」


 魔女さんは吐き捨てるようにそう言った。


「レビアタン、回線を再び開きます、着信者、桂三郎」

「記録だけしておけ、これ以上聞かされると、私は声を上げて泣いてしまう」


 まったく感情を感じさせない固い声で魔女さんは言った。


「はい」

「まったく、不器用な生き物め」

「どっちがですか?」


 僕の問いに、魔女さんは視線を逸らし、苦笑いをした。


「両方だ」


 黒いバンに送ってもらって、僕は家に帰った。

 顔の痣を、お母さんが色々聞いて来たが適当に誤魔化して、夕食を食べた。

 ずっと、小五郎さんの事を考えていた。

 地獄に堕ちる事も厭わないぐらいの愛情は凄いと思った。

 敗北感があって、初めて、僕は自分がレビィが好きになりかけている事を知った。

 でも、僕は小五郎さんには、なれないだろうと思った。

 ガルガリンを好きになったほうが簡単なんだと思った。

 正しい道、正義の道、神への道はどこまでも高く遠く続いていて、死後も天国で楽しく会話できるだろう。その関係は永遠に続き、栄光につつまれて、幸福で幾重にもまとわれた道だ。

 レビアタンに恋をするなんて間違いだ、彼女と一緒に行く時間は短くて、閃光のようにはかない。奈落への落下であり、堕落し、みんなに石を投げられ、そして、肝心のレビアタンは形を変え、僕の側から消えていく。奈落の底で一人想い出を抱いて苦しむのだ。

 好きになってはいけないんだ。

 強情を張るほどに気持ちが大きくなる前に、しぼませて消すのが一番いい。

 恋を予防して、気持ちをガルガリンに向けよう。

 彼女は無垢で純粋で、そして無害だ。

 絶対にその方が良い。

 僕は小五郎さんにはなれないのだから……。


「文ちゃーん、お電話よー、あー、レビィちゃんから」


 僕は玄関に行って、電話を受けとった。

 お母さんは、なんか渋い顔をして僕を見ていた。


「もしもし?」

『あ、レビアタンです……。今いいですか?』


 なんだかレビィの声が少しかすれていた。

 沢山泣いたのかな。


「何用?」

『ようは……無いんだけど……。吉田くんの、声が、今、すごく、聞きたくなったの。何か……お話しして……』


 何を話して良いのか解らなかった。

 どう慰めたら良いのか。いや、その前に慰めるべきなのかどうかすら、僕には解らない。

 解らないので、しかたがないので、つっこむことにした。


「あのさ、お小遣い五千円ではスマホ代を持ち支えられないと思うけど」

『ふえええっ!! スマホ代もお小遣いからなのーっ!!』

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