38 独白:ラガルティハ

 ふと、肌寒さを感じた。

 最初はそれが嫌で、低い体温を返してくれる柔らかい布の中に潜り込んでやり過ごそうとした。

 けれど、骨を刺すような寒さも、焼かれているような痛みも、そのどちらも感じられない違和感も無いことに気が付いて、目を覚ました。


 慌てて飛び起きると、知らない部屋に居た。

 木で出来ていて、埃や蜘蛛の巣が無い、綺麗な部屋だ。鉄格子のある牢屋じゃない。

 僕が寝ていたベッドも、汚れ一つ無い綺麗なシーツで、体が沈む程柔らかくて、知らない匂いがした。


 ここはどこなんだ。どうして僕はこんな所に居るんだろう。こんな良い扱いを受けられるような存在じゃ無いのに。

 訳の分からない展開に考えがまとまらない。


 なんで、どうして、とぐるぐる頭の中で考えていると、突然、ドアが開いた。驚いて、情けなく体がビクンと跳ねてしまった。


「あっ、目を覚ましたんですね」


 入って来たのは、女だった。多分、僕より年下の、若いというか幼い、鳥の羽のある女の子。

 始めて会う人のはずなのに、どうしてか、どこかで見た事があるような、懐かしいような感じがした。


「どこか具合が悪い所とかありませんか? 寒気とか、だるさとかは感じませんか?」


 そう言われて、そういえば、と体の違和感に気が付いた。


 体が軽い。体というか、背中が。


 一体どうしてだろうと思って、深く考えずに後ろを見た。

 少し後ろを見ようとすれば、必ず翼が目に入る。もしかしたら、あの黒く腐ってしまった羽が治ったのかもしれない、と考えたからだ。


 だけど、何も無かった。

 飛ぶことの出来ない忌々しい捻れた羽は、跡形も無く消えてしまっていた。


「あっ……えっ? 僕、羽、なんで……!?」


 羽があったはずの根元に思わず手を伸ばすと、付け根だったらしい部分が少し盛り上がっているだけで、それしか無かった。


「……少し辛い事ですが、お伝えしますね。あなたの命を助けるために、翼は切除したんです」

「な、なんっ……なんでだよ……っ!」

「翼の殆どが腐っていたんです。あのまま放っておいたら、腐った部分から毒素が体に移って命を落として……ううん、もしかしたら、既にそんな状態になっていたかも。本当に危険な状態でしたから……」


 女の子は何故か、他人事のはずなのに、まるで自分のことみたいに悲しそうな顔をしてそう言っていた。

 いつもだったら「そうやって同情するフリをして騙すつもりなんだ」と考えていたと思う。だけど、そんなことを考える余裕は無かった。


 あっても意味が無かった羽。醜く捻れた羽だったけれど、間違いなく「竜人」という高貴な存在である証だったもの。

 飛べなかったせいで、トカゲラガルティハなんて名前を付けられて、そう呼ばれていたけれど。

 せめて飛べる羽だったらと、ずっと嫌いだった羽だったけれど。


「竜人さんの生命力があったから、ギリギリの所で助けられたんです。処置が間に合って本当に良かっ――」

「……んな……」

「……? どうしました?」

「こんなことになるんだったら……助けてくれなくても良かったのに……!」


 本当に羽の無いトカゲになるくらいなら、死んでいた方がマシだったと、そう思わずにはいられなかった。


 涙が溢れて止まらない。泣いている姿をまた笑われると思って、両腕で顔を隠して突っ伏した。

 女の子はしばらく何も言わなかったけれど、暖かい布らしきものを僕の背中にかけて、一言。


「少し席を外しますから、何かあったら呼んでくださいね」


 そう言って、部屋を出て行った。

 部屋を出る時に、扉を開けてから閉めるまでに、少し間が空いたのが気になったけれど、泣きじゃくっている顔を見せたくなかったから見ることは出来なかった。


 女の子は部屋から出たけれど、それでも自分の姿を隠したくて、背中にかけられた布を頭まで被ろうとして、気付いた。

 僕にかけてくれたものは、さっきまであの人が羽織っていた、暖かそうな上着だった。


 そこでふと、女の子に対して感じた懐かしさの正体が分かった。

 途切れ途切れの記憶の中で、あの人が僕に話しかけてきていたのを思い出した。

 絶対に助ける、と。もう大丈夫だ、と。そう言ってくれていた。

 多分、処置というものをしていた時の記憶なんだろうな、と思う。だから多分、会ったことがある気がしたんだろう。


 でも、それだけじゃなくて。

 あの人は何となく、母さんに似ていたから、そう感じたんだと思う。


「……あれ? どうしたの、そんなところで。寒くない?」


 ようやく涙が止まってきた頃。

 扉の外から、また知らない声がした。女の声だった。

 続いて鳥人の女の子が何か話している声が聞こえたけれど、小さい声で喋っているのか、あまりよく聞こえなかった。


 何となく話している内容が気になって、こっそり扉に近づいて耳を澄ましてみると、何とか聞き取れた。


「――それで、翼のことでかなりショックを受けているみたいで……」

「まあしゃーないわな。竜人はプライドエベレストな奴らが多いし」

「えべれすと?」

「高いって意味」


 女の子は親しげに女と話している。多分、家族なんだろうな、と思った。


「アルビノで、奇形の翼を持ってて、自尊心なんて地の底に穴を掘って埋まってるレベルだけど、それでも唯一残ったアイデンティティが竜人って事だったと思うんだよ。それすら傷物になっちゃっただろうからねぇ、仕方ないとは思うよ」


 女の言うことは少し難しかったが、分かる範囲だけでもその通りだった。

 何一つ持って居なかった僕に、たった一つ残されたものだ。

 残されたもの、だった。


 涙がまた溢れてくる。泣き虫、トカゲのくせに泣けば同情してもらえると思っている、と兄妹に言われた事を思い出して、余計に悲しくなった。


「それとさ、あいつの名前の事なんだけどさ」

「ラガルティハさん、でしたよね」


 だけど急に自分の名前が出てきて、驚いて涙が引っ込んだ。

 どうして僕の名前を知っているんだ、と思ったけど、それを答えてくれる人は居なかった。


「ラガルティハという言葉はね、古い言葉で『トカゲ』を意味するものなんだ。まあ竜人にそう呼ぶってことは、要するに『羽無し』……竜人族に相応しくない、竜人族ではないって言うのと一緒なんだよね。つまりは蔑称よ」


 勉強なんてさせてもらえなかった僕でも、兄妹や父親に散々言われてきたから知っている。

 僕の名前は、本当は名前では無い。ただひとまとめに「そういうもの」と表現されるための呼び方だった。

 だけど父親は、あえてその言葉を僕の名前にした。家には必要無いものだから、と。名前を付けてやるだけ感謝しろ、と。


 母さんが「汎人の嫁だから強く抵抗出来なかった」と、何度も泣いて謝っていた事を思い出した。


 これ以上、嫌な記憶を思い出したくない。

 僕は音を立てないように、そっと扉から離れた。




「本人が名前としてそう名乗るなら良いんだけどさ~、なんかそう呼んだらますます病みそうな状態っぽいじゃん? どうすりゃいいかなって考えてるんだけど、ルイちゃんどう思う?」

「そんな意味があったなんて知らなかった……」

「まあ竜人なんてお貴族様くらいにしか居ないからねぇ。普通は知らんよ」

「そっか。……意味を知っちゃったら、あんまりその名前で呼ぶのは良くないかなって、思っちゃうな……」

「だよねぇ~。とりあえず当面は『竜人さん』とかで通す? 本人が名乗るまではさ」

「そう……しよう、かな」

「おーし、じゃあそういうことで。モズも分かった?」

「おん」


 そのまま盗み聞いていたら聞こえていただろう会話は、ラガルティハの耳には届かなかった。

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