2 主人公ポジションは地雷なので全力で拒否

 視界に光が差し込む。ざあ、と木々のざわめきが耳に届き、次いで大量の水が流れる音が聞こえてくる。室内の淀んだ空気は瞬時に霧散し、代わりに鼻をくすぐる腐葉土のどこか香ばしいような匂いと、若い草木の青臭さと、澄んだ水の匂いを連れた風が吹き抜けていった。

 それに気付いた私は、はっと顔を上げる。


 気が付けばそこは、森の中だった。


「……は?」


 当然私は困惑した。一瞬にしてフローリングの床だったはずの場所は砂利と岩と土砂で構成された地面となっていたし、カーテンを閉め切っていたために薄暗かった室内は開放的な野外となり、徹夜した目に染みる太陽光が世界をさんさんと照らしていたのだ。驚かない方がおかしい。


 理解が追いつかない状況に思考が停止した私がぽかんと口を開き呆然としていると、ガサリ、と近くの茂みで何かが動く音がした。その音に反応して視線を向けてみると、藪が小さく揺れているのが見えた。

 何かが居る。揺れはそう大きくないため小動物だろうということはわかるものの、野生動物らしき存在に身構えた。


 そして、藪の中から出てきたものは。


「なーぅ」


 銀色のふわふわな毛玉だった。

 大きさはバレーボール程のサイズだが、ふんわりとして柔らかそうな毛があるため、実際は一回り小さくなりそうだ。猫に近い顔つきながら、口は小さく、牙も小さく丸っこい。紫色の目は齧歯類のようなくりくりとしたまん丸おめめだったが、付いている位置は立体的に物を見れるように正面を向いている。そして体つきも丸っこい。三角形の耳がなければどこもかしこも丸で構成されているように見える。

 そのまん丸ボディからは細長い尻尾が生えており、猫がそうするように垂直に立ててゆらぁりフリフリ、風に揺れるススキののように揺らしていた。

 何より特徴的なのが、額に紫色の石があることだ。宝石のような美しい石は日光を反射し、キラリと輝いた。


「……チンチラモドキ?」

「んなーう!」

「えっ、何で? どうしてチンチラモドキが現実に存在しているの?」


 猫のような可愛らしい声で答えるように鳴く。本当に返事をしたかは定かでは無いが、友好的なことは確かだ。撫でろと催促するかの如く、地面に着いていた私の手の上に寝転んでふわふわの腹を晒し、そのままの体勢でふわふわの体毛を手の甲に擦り付けていた。


 チンチラモドキというのは、齧歯目のチンチラと猫のチンチラを足して割ったような、この生物のことだ。

 プロスタ――ARK TALEの開発元であるProjectStarがリリースした作品に必ず出ている、言わば看板マスコットなのである。作品毎に名称が変わったりして、ARK TALEではキャラットという名前になっていたが、プロスタが初期にリリースした作品から追っている私の中では、初期作品での名称であるチンチラモドキ呼びが一番馴染みのあるものだった。


 ガサガサと茂みが揺れる。バスケットボールサイズからソフトボールサイズのチンチラモドキ達が先駆者に続いて飛び出して、あっという間に私を取り囲むようにして寛ぎ始めた。


 何ここ、天国? モフみの楽園? 私死んだ? なんか手にじゃれつかれて引っかかれたり甘噛みされてちょっと痛い気がするけど気のせい? いや待って痛いわちょっとテンション上がりすぎて本気噛みになってる子居るんだが? 痛いが?


 齧歯目の方のチンチラのような魅惑の手触りな毛玉達を撫で回しじゃらしながら、私はとある結論に至る。


「なるほど、わかったぞ? これは――」

「夢じゃないよ」


 結論として出た、これはリアリティのある夢だ、という言葉を遮られる。男の声だったが、どうにも聞こえてきた位置が低い。まるで寝そべりながら話しているようだった。

 声のした方向を見れば、そこには他のチンチラモドキとは毛色の違う、ミルクティー色の体毛に金色の瞳をしたチンチラモドキが居た。額の石も通常の紫では無く、瞳と同じ金色だ。

 世界一有名だと言っても過言では無い某モンスター育成RPGゲームの色違いみたいだな、と思った瞬間、その個体は口を開いた。


「やあ、ようやく気付いたみたいだね」

「キェアアアアアアア喋ったあああああああ!?」

「失礼な反応だねぇ」


 奇声を発して後ずさった私を見て、ミルクティー色のチンチラモドキはちょこんと座ったまま、呆れたように目を細めて言う。

 外見が可愛らしいことは確かなのだが、声と態度のせいで純粋に可愛いとは思えず、どこか憎たらしいというか、胡散臭いというか、とにかく素直に可愛いとは言えなかった。


「だっ……えっ……喋っ……無駄に良い声しやがって!? 声帯の妖精さんのチョイス間違ってません!?」

「ツッコむところがそこかぁ。随分と混乱しているみたいだね」

「普通動物が人語を話さない世界の人間がいきなり動物に人語でフランクに話しかけられたらビビると思うんですけど!?」

「うーん……いつの時代の人間も、大概小さくてふわふわした生き物が好きな傾向があるから、この姿の方が安心するかと思ったけど、そういう反応をするんだねぇ。まあ、予想していなかった訳じゃ無いし、さもありなん、といったところかな」

「そもそも人間と機械以外が話したらビビり散らかしますが!?」

「ファンタジー世界だからとでも思って慣れてくれるかい?」

「ど、努力しますね……?」


 彼――声から判断してとりあえず雄だと仮定する――の落ち着いた態度につられて冷静になった私は、驚きまくってギャーギャー騒いでいる自分が馬鹿らしく思えて恥ずかしくなり、何となく正座をして頷いた。


 異世界召喚、もしくは異世界転生した主人公ってすごい。大概現状を大人しく受け入れて順応するんだもんな。適応力高すぎるよ。私は未だにこの光景信じられない。腹話術とでも思っておこうかな……いや無理でしょ。


「ところで、召喚する前にも言ったように、君には世界を本来あるべき姿に戻して欲しい」

「つまり世界を救う勇者になれと?」

「端的に言えば、そうなるね」

「あの……質問いいです?」

「何だい?」

「君、召喚前に聞こえた声の主と同一人……人物? 同一獣? なんです?」

「そうだよ。ちなみに君達の言うところの……うーん、何が一番近いかな。世界に干渉する程の力を有する存在となると……『神』、と言うべきかな」


 神。このチンチラモドキはそう言った。

 この押し潰したらぺちゃんこになりそうな、神々しさの欠片も無いふわふわの毛玉みたいな生き物が、だ。


「さっきと口調違くないです?」

「うん、さっきはそれっぽく演技していたからね」

「演技する必要ありました?」

「無かったけど、雰囲気を盛り上げたくて」

「さいですか……」


 そしてかなりノリの良いフランクな奴ときた。胡散臭い。詐欺でしょ。

 しかし、言われてみれば確かに自分の部屋で聞いた声と同じだ。あの時はエコーがかかってたりしていたが、それでも同じ声だと判別できる。私をこの場に召喚したのは、おそらくこの毛玉なのだろう。

 しかしながら、これが夢では無いという証明が出来ない。これだけリアリティのある感覚や光景なら、明晰夢である可能性も否めない。と、思いたい。


 私はこの非現実を認めたくはなかった。


「それで、やってくれるね?」

「嫌です」


 毛玉が顔をしかめる。周りの可愛らしい銀色毛玉達も、彼に同調して私に対しデモ活動をしているが如く、にーにーなうなう喚き始めた。


「……そこは『わかりました』って言う所じゃないのかい? こういう時のお約束って、そういうものなんだろう?」

「最近だと嫌ですパターンもそれなりにあるんで。追放モノだと異世界召喚した神にも復讐するタイプの小説も見ますし」


 第一、勇者ポジションの存在というのは、大概主人公かメインキャラか悪役のどれかだ。そして主人公やメインキャラは、大抵戦いの運命に巻き込まれる。

 よしんばこの状況が夢ではなかったとしても、私はそんなのごめんである。私は平穏に過ごしたいのだ。主人公枠は別の人にお願いします。私は村人Aが良い。いやこれはこれで異世界召喚スローライフ系主人公っぽくてちょっと嫌だな……。

 私は基本、事なかれ主義なのだ。だから主人公やメインキャラクターというポジションには収まりたくない。


「うーん、どうして嫌なんだい?」


 当然のことながら、自称神の毛玉はどうしても私に勇者業をやらせたいらしい。


「だってこれ、夢ですよね?」

「夢じゃないんだけどなぁ。仕方ない。そこの君、ちょっと彼女に噛みついてやって」

「ぶにー!」

「は? えっちょっ待っ、ッてぇー!!」


 毛玉はおデブなチンチラモドキにそう言うと、おデブ毛玉は待ってましたと言わんばかりに私の脛にガブリと噛みついた。

 おデブ毛玉は私に引っ剥がされるまで、他の子よりしっかりした顎の筋肉をフル活用し、血が出る直前までギリギリと私の脛肉に牙を食い込ませ噛みしめる。

 まだ耐えられる痛みだけど痛い痛い痛いって!


「ほら、痛いだろう? 痛いってことは夢じゃないよ」

「証明が強引!」


 首根っこを掴まれて、猫掴みされたフェレットのように一切の抵抗をしなくなったおデブ毛玉の口に指を突っ込み、犬を躾ける時と同じように「人を噛んではいけない」と教えながら、私は抗議する。

 脛にはチンチラモドキの歯形がしっかりはっきりくっきりついていた。触るとしっかりデコボコしているのが感じ取れる。噛まれた時の痛みも鮮烈で、痛みの残滓がじんじんと歯形辺りに漂っている。


 信じたくはないけど、どうやら認めなければいけないらしい。

 これが夢ではない、ということを。


 はぁ、とため息をつく。どうして主人公適正の無いアラサーの一般オタクがこんな目に合わなきゃいけないのか。あっても普通は悪役令嬢転生物の主人公に収まるか、よしんばネット小説系ファンタジーだとしても聖女系が落とし所ではないのだろうか。

 だというのに勇者ときた。私の性格的には令嬢や聖女よりかこっちの方が合っているが、正義感や使命感というものは一切持ち合わせていない。人選を間違えていませんかね、この低音ボイスの毛玉は。


 おデブ毛玉のもちもちな腹を揉みながら、私は答えた。


「夢じゃ無かったとしても、私は勇者なんてお断りです」

「おや、どうしてだい?」

「まず一つ目に、提示された提案に乗れるほどあなたに対する信頼が無いこと。本人の同意なく強制的に召喚もとい拉致してきた相手の言う事なんて聞きたくないです」

「それは申し訳ないと思っているよ。よくある召喚パターンに乗っ取って君を連れてきたけど、昨今の異世界でよく使われている召喚って、大体が非合意だからねぇ。それについては謝罪しよう。すまなかったね」


 まあ、非合意で強制的にやるんだったら、こうして話し合う必要なんて無いわけで。そこは本当にノリと王道パターンに則っただけらしい。


「そうですか。それで二つ目に、病気の感染リスク。地球に存在しない病原体に対する抵抗力は無いので風邪でコロッと死ぬ可能性だってある」

「ああ、それに関してはすっかり失念していたよ! あそこにはモルド体がまだ存在していなかったからねぇ」


 モルド体、という言葉に、私は聞き覚えがあった。プロスタの制作した「プエル・エテルヌス」というゲームに、その単語が出てきていたのだ。地球外から持ち込まれた菌類の一種で、地球上の生物を宿主として共生関係を築く寄生生物という設定だ。

 モルド体は、プエルの前日譚という位置づけになっている「MINEマイン」という宇宙探索系SFノベルゲームで、元となるモルドという生物が地球に持ち込まれた経緯が書かれている。アレは凄く良い作品だ。淡々とした語り口の描写にエモを練り込んだ文章が良いし、主人公である宇宙船エンジニアのおっさんと人口AIの掛け合いが、種族を越えた相棒感が出ていて大変素晴らしいのだ。


 しかし、プエルにしろマインにしろ、作品で出ている星は、戦争で荒廃した地球か、鉱石の花で満たされた惑星のみだ。


「……あの、もしかしてここ、プエルかマインの世界だったりします? ゲームの世界に召喚転生とか異世界召喚パターン的な」

「違うと言えば違うかな? まあ、病気云々はちゃんと対策を施す手段があるから、安心して欲しい」


 プエルの世界ではない、としても、チンチラモドキが存在していること、そしてモルド体という存在があるということは――それらの世界観を踏襲した続編かもしれない。企画段階でまだ情報公開はしていないだけとか、考えたくはないけど没になったとか。

 好きなゲームに連なる世界かもしれないと考えた途端、私の中に期待と羨望が湧き上がる。正直、このままOKを出しても良いんじゃ無いか、と思ってしまう程にワクワクしてしまっている。オタクというのは単純な生き物なのだ。


 が、それはそれで、これはこれだ。

 私は頭を振って余計な思考を追い出して、続ける。


「三つ目に、言語や識字能力を始めとした召喚先世界の固有知識に関すること。言葉が通じない可能性もあるし、よしんば言葉が通じたとしても、独自言語である場合は文章を読むことが出来ない。そうなると召喚先での就職活動に不利になる。常識が無いって思われるのも不信感を与えてしまって交流に差し支えます」

「君、凄く現実的に考えるタイプなんだねぇ」

「万が一を考えると、手に職つけられる手段は欲しいので。暮らすにしても旅をするにしても、何をするにも金は必要となるので。となると仕事をする必要がある。仕事をするなら円滑なコミュニケーションと報連相は重要ですし、文化レベルによっては字の読み書きが出来るってだけでも高収入な仕事に就けますから」

「縛りプレイでハードモードにしたい、って言われない限り、言語変換くらいはデフォルトで出来るようにしておくつもりだったんだけどね」

「しっかり対処してくれるのだったらこちらとしては問題無いっちゃ無いです。で、四つ目なんですが……」

「まだあるのかい?」

「あります。これで最後です」


 毛玉は仕方ないとでも言いたげに、視線で続きを促した。

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