月と太陽、それと黒猫

雨衣饅頭

第1話 異世界転生する黒猫

 ふと目を覚ますと、俺は見知らぬ草原に立っていた。輝く太陽を見せつけるかのような快晴に加え、たまに吹く暖かい風がとても気持ちいい。

 また、風とともに草木が揺れるその長閑のどかな風景は俺に宿った詩人の才能を大いに刺激し、危うく詩を書きだすところだった。まぁ詩なんて書いたことないんだけどな。・・・結局何が言いたいのかって言うと、それほど気持ちのいい草原にいたってことだ。


 ただ、いくら気持ちがいいからと言って目の前に広がる草原が見知らぬ土地であることに変わりはない。いったいこの草原はどこにあるのか、俺はどこにいるのか、どうすれば帰れるのか。それを早急に調査しなければならないだろう。しかし、俺の体はすぐには動かなかった。いや、動けなかった。呼吸を忘れてしまうほどの衝撃を、目の前に広がる光景から受けていたからだ。


 透明感のある水色の粘液が「ぽよん、ぽよん」と跳ねている。一本の角が額に生えた白色のウサギがそころを歩いている。

 そう―――なんと草原では、スライムやアルミラージといった空想上のモンスター達が闊歩していたのだ!


 非常に優れた知性を持った男である俺はすぐに気が付いた。そうだ。きっとこれは異世界転移なんだって。・・・しかし、俺の知性はさらに溢れ出す。その溢れ出す知性を俺は抑えることができなかった。できなかったがゆえに、恐ろしい新たな事実に気が付いてしまった。それは、誰もが度肝を抜くような事実であった。


 そう、これは異世界転移ではなく―――。


「にゃあ」


 ただの異世界転移ではなく―――。


「にゃ~お」


 ―――異世界転生だったんだ。しかも猫になるという特大のオプション付きの、な。






 さて、とりあえず状況を整理しよう。俺の溢れ出す知性が「これは異世界転生だ」と囁いてくるわけだが、まず俺は本当に異世界転生をしたのか、夢もしくは幻なのではないかという問題を片付けるべきだ。


 土を踏みしめる感触、草原特有の草木の匂い、暖かい風と太陽の光、俺のすぐ近くを「ぴょんぴょん」と跳ねるスライムやアルミラージ。そして、俺のしなやかで、スリムで、真っ黒な綺麗な毛並みに包まれた肉体。


 うーむ、すべてがあまりにもリアルだ。夢や幻ではこうもいかないだろう。つまりこれは間違いなく現実であり、異世界転生はほぼ確実。ん~、実に面白い。これにはさすがのガリレオもびっくりだよ。アインシュタインも思わず舌を出すよ。


 なら次に俺が考えるべきことは、なぜ俺は異世界転生をしたのか、だ。その理由について考えるために、俺は転生する前のことを思い出そうとしたのだが・・・うん、なんにも思い出せない。


 俺の脳細胞が働くことを拒否しているようだ。完全にストライキを起こしている。確かに365日二十四時間働いてたらストライキも起こすだろうな、・・・ってそんな冗談を言っている場合じゃない。


 本当に何も思い出せないのだ。日本で暮らしていたことや一般常識については記憶している。しかし、俺の名前や家族構成、どんな生活を送っていたかなど、俺に直接関わることのすべてを忘れている。いや、もしかしたら忘れさせられたのか・・・?いや、すごい怖いからその説は提唱しないことにしよう。


 しかし、なんとも不思議な気分だ。普通の人間ならば、「俺の記憶が無くなっている!?・・・俺は一体何者なんだ!?俺は本当に存在しているのか!?」など、様々な葛藤が生まれるはずなのだが―――。


 ―――全然困惑が生まれない!!うん。記憶がないことについて全然気にならないっ!!


 おかしい。普通漫画やアニメの主人公なら自身の存在について色々な葛藤が生まれ、その葛藤をヒロインや仲間とともに乗り越えていくはずなんだが・・・。

 あぁ、そうか。俺は猫だからヒロインとか別にいないのか。あ~あ、これだから猫はやってらんねぇよな。・・・まぁいい。今はそんなことを考えている場合ではないはずだ。


 つまり話をまとめると、転生した理由については考えても無駄だということだな。記憶がないのだからまったく見当がつかない。よし、もうこのことについて気にするのはやめようか。切り替えは大事だからな。


 さて、とりあえず現状の整理は終わった。次はこれからのことについて考えよう。


 俺はいつの間にか見知らぬ草原にいたわけだが、どうやらこの草原は安全のようだ。スライムやアルミラージが俺の近くを「ぴょんぴょん」と跳ねているが、俺に対して攻撃的な行動を一度も取られていない。つまりこのモンスター達は俺に対して敵対的ではなく、むしろ友好的だと言えるだろう。

 しかし、安全だからと言ってこのままいつまでも草原にいるわけにもいかない。まずは日が落ちるまでに人が住む場所までは行きたいものだ。


 ここでいい考えがある。俺は今、猫だ。それもプリティビューティーな人気者である黒猫だ。つまりだ。適当に人の前を歩いて、たまにゴロンと転がって「にゃあ」と鳴けば誰かが俺の世話をしてくれるだろう。

 そう!!俺にはヒモのポテンシャルがあるっ!!どこかの街へ行き、その街のマスコットキャラクター的な存在となり、住民達に俺の世話をさせるんだ!!いや、ただの住民じゃない!!可愛い女の子に世話をしてもらおう!!どうだ!これが猫の特権だっ!!


 そう考えた俺は早速街を見つけるために草原の遠くを見渡した。すると石造りの大きな塀と、その奥に数えきれない程の数の建物が姿を見せていた。これはもしかすると、なかなかの規模の街があるのかもしれない。

 俺は街に向かって、いや、ヒモという夢に向かって一歩踏み出した。これは人類史に刻まれるであろう大きな大きな一歩だ。そしてさらにもう一歩踏み出そうとしたそのとき、大きな影が俺の上を通り過ぎた。


 思わず上を見上げると―――。



―――俺の遥か上空を、ドラゴンが飛んでいた。



「にゃあああああああああ!!!!!」


 おいおいおい!ここは最弱の魔物が住む草原じゃなかったのか!?てかやばっ!!あのドラゴン、すごくすごく強そう!!

 俺は驚きのあまり叫び声を上げた。いや、上げてしまった。その結果、俺の叫び声に反応したかのように上空を飛んでいたドラゴンがこちらを向き・・・そして、目が合った。


 あ、俺の人生、いや猫生、終わったのかもね。


 ドラゴンはわざわざ進路を変え、俺に向かってとてつもない速度で飛んできた。


「にゃにゃにゃ!!(やばい!!殺される!!)」


 あまりの恐怖に体が硬直して動けない。逃げなければいけないのに、一切体が反応してくれない。まるで俺の精神と肉体が完全に切り離されたような、そんな感覚だ。

 その間にドラゴンは「ドォンっ!!!」と大きな音を立てながら俺の目の前に着地した。


「にゃあ・・・(うわぁ、でっかぁ)」


 近くで見るドラゴンの迫力はすごかった。強靭な巨体、何よりも硬そうな鱗、簡単に俺を貫通するであろう鋭い牙、力強い赤い瞳。


 くそ、異世界転生してもう死ぬのかよ・・・。


 ドラゴンが少しずつ俺に近づいてくる。「ドクン、ドクン」と心臓の鼓動音がうるさくて仕方がない。一歩ずつ、一歩ずつと死が近づいてくる。もう何も考えることができない。

 全く動かない俺に対して、ドラゴンはゆっくりと口を開き、俺を喰らおうとしてくる。そして、ドラゴンの顔と俺の顔が触れそうなほど近づいたそのとき―――俺の魂に、炎が宿った。


 体に力が漲り、万能感が俺を支配する。今なら何でもできるような、そんな気がした俺は「グググ」と前足に力を込めた。そして―――。


「にゃあっ!!」


 ―――俺は力いっぱいの猫パンチをドラゴンの顔面に叩きこんだ。


「ガァァァ、ァ・・・」


 その結果、ドラゴンの頭が消し飛び、頭を失ったドラゴンの体は草原へと倒れ込んだ。その光景を見て、国宝と称されるほど優秀な俺の頭脳は初めて理解した。


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