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  • 興味深く拝読しました(色んな意味で w)。
    先に校正確認です。

    >立つ時間は丸一日にも平気で登った。
     「上った」

    >幼い頃の猫丸は、今以上に他者への興味の薄かった。
      興味「が」

    今はBBAって言い方になってるんですね……。
    平成後期だったら、「ずっと立たせている」というのも立派に体罰扱いだったはずですけれど、まあベテラン扱いされてる人だったんでしょう。職員室でも唯我独尊状態みたいな? 教頭先生とかから逆に気を遣われるような 笑。

    どこにでもいます、そういう人。あえて大人目線で言わせてもらうと、何歳でそういう人間とぶつかるか、という問題だと思いますので、記憶に残りにくい幼い時分にぶつかったのはラッキーと言えなくもないですね。
    こういう話って深入りするとキリがなくて、十代は十代の、五十代は五十代の言い分がそれぞれあって、秋葵さんに共感するにしろ、中立的に語るにしろ、際限がないので、私からは別の視点で一言。

    試しに、でいいですから、「なぜあの先生はそんなメンタリティになったのか。あの先生にあえて同情的に、共感できるような文章で話を作るとしたら、それはどんな小説になるか」ってことを考えてみてください。
    ほんとに共感しなくていいです。こっちが共感の素地を作ってやっても、結局話ができないヤな奴ってたくさんいますから。
    でも、たとえば十年後、どこかでその先生にばったり会って、一対一で話してみたら、案外意気投合できた、なんてことだってあり得ます。
    サシで話したらちゃんと話ができる人だったのに、教室の中ではああいう人だった(とします)。なぜ?
    っていう方向に考えて、「お、これは何本か書けるな」と儲けた気分になれれば、もうあなたは体の髄まで物書きのメンタルに染まってます w。

    ま、不愉快な思い出は、そうやって昇華していきましょう。

    作者からの返信

    貴重なご意見、ありがとうございます!深夜テンションの愚痴オンリーの殴り書き(?)を読んで頂けて嬉しいです!

    なんであの担任は問題にならなかったのだろうか…そこは今考えても疑問ですね。小一のクラスって割と他の先生たちの出入りも多かったですし、ちょっと記憶が朧げなんですが、なんなら他の先生が見ている場にも関わらず、普通に体罰が行なわれていたような…
    でも確かに、あの担任は学年主任のベテランでしたし、他の先生たちからも気を使われていたんだと思います(先生同士で話していたとき、他の先生は敬語だったのに担任はタメ口だったような…)。だから、おそらく学校公認だった可能性が高いですね。

    湾多さんの言う通り、本当にその担任に出会ったのが小一の頃で良かったです。幼少期はある意味最強だった猫丸のメンタルは、何故だか思春期を迎えた辺りから年々低下の一途を辿っていて、今では立派な雑魚メンタルに成り下がったので…
    もしあの担任に出会ったのが今だったら、秒で不登校になっていた気がしますw

    そのおかげなのか、私の中では笑って話せるくらいの出来事ではあるんですけど、実際当時担任が怖くて学校に行けなくなった同級生もちらほら居ました。そういう子達にとっては、決して笑い話では無かったのかもしれませんが……

    でも確かに、どうしてあの先生があんな指導をしていたのか、その理由は気になります。
    あまりに厳しい指導に泣いているクラスメイトも沢山居ましたし、そういう子達を見て、先生は何を思っていたのだろうか。心を痛めなかったのか、むしろ快感だったのか、あるいは何も感じなかったのか。そこは今でも謎です。

    『結局あの担任は、純粋な子供の心を利用して、日頃のストレスの憂さばらしでもしたかったのだろうな』と書きましたが、例えそうだったとしても、その担任にはその担任なりのちゃんとした考えがあっただろうし、あの体罰紛いの指導も、もしかしたら子供たちの事を思って良かれとやっていた可能性も……ある…かも…?w

    少し関係ないんですけど、私は自作小説の悪役キャラを作るとき、必ず決めるのが『そのキャラが悪役になってしまった理由・経緯』です。『あの音』の登場人物だと、主人公をいじめている同級生・愛梨とか。何故、愛梨はあそこまで花音を執拗に否定していたのか。今はまだ公開してないですが、その理由はしっかり設定しています(後々の展開でちゃんと載せる予定です)。

    やっぱり悪役としての振る舞いの裏には、悪に染まってしまったそれなりの理由が、多かれ少なかれ誰にでもあるとは思うんですよね……(なんか本文と言ってること変わっててすみませんw)

    編集済

  • 前向きに切磋琢磨していらっしゃる若手作家さんの、イノセントなまでに飾らないフレーズが初々しいです ^^。

    さて、これは書いてもいいものかどうか……秋葵さんもいくらかは見たことがあるんじゃないかと思いますが、そちらの「黒歴史」風の小説、実はカクヨムでは結構普通に出てます。時に星三桁とか、ざらにあります。
    さすがに地の文が全然なくて、マジで擬音語・擬態語だけという境地にまで極振りしているのは多数派ではありませんけれど、とにかく存在します。
    でまあ、そういうノリをどう見るか、肯定派否定派入り乱れているのが現状ですが、私自身はモードの問題だと思ってます。要は、それで言いたいことが伝わり、かつ面白いストーリーにできるんなら、表現の一つとしてアリなんでは、というスタンスです。
    ただし、徹底的にミニマムな表記で、的確に場面を伝えるのは、それはそれで結構なセンスがないと「何書いてんのかわからん」で終わってしまうのは確かかと。

    で、何が言いたいかと言うと……まず1つは、カクヨムの星とかレビューとか、フタを開けてみればそんな程度の評価ですよ、ということ。正統派の小説作法をマスターした文章だからといって高く評価してくれるわけではないし、全く同じストーリーなら、むしろ電車の中で気楽に読み飛ばせる、"黒歴史"風の文体の方が受けがいい、という可能性すらあります。
    けしからん、と叫ぶ人も、間違ってる、と憤る人もいます w。特に、わりあいしっかりした文章執筆の修行を積んできた層は特にそうですね。
    ですので、秋葵さんが本気で、商業出版でも通用するような"実力"を磨きたい、ゆくゆくは小説新人賞にも挑戦したい、とお考えでしたら、カクヨムでの星評価はあまり気にしないでいいと思います。時々新人賞の最終選考まで行きました、という作品を眼にすることがありますが、確かに中身もしっかりした文章なのに、星の数は全然釣り合ってませんしね。
    以前にもちらっと申し上げましたけれど、ここのレビューの数って、「稼ぎ方」があるんですよ。そういうことを指南している文章もあちこちにありますし、それで人気を獲得して、投稿サイトからのし上がっていく、というのも、一つの手ではあるんですが、とにかく、作品の良し悪しとははっきり別の話だと思って下さい。

    ただ、一方でみんなが食いつく文章というのは、読みやすさとか序盤のつかみとか売れ線テーマの扱いとか、それ自体は確かに作家が磨いていくべきもののよき手本が色々並んでいるのも事実です。
    現在の秋葵さんの文体は、確かにその手の、マンガの箱書きをそのまま文にしたような小説とは異なるモードですので、当面はご自身の目指すスタイルにまっすぐ進んでいただければと思います。が、カクヨムのような空間は、いわば実験場です。ここの一部の流れが、将来のエンタメ小説で主流になるかも知れない。二十年ほど経って、自分は同じカクヨムにいながら、何を見ていたんだろうと自問する羽目になるかも知れない。
    いささか次元が違う話ですが、私はYMOが現れた当初、「耳障りな電子音ポップスだな」としか思えませんでしたし、漫画の「ジョジョ」シリーズの連載が始まった当初は、「これは三ヶ月で打ち切りだろうな」と思ってました 笑。まあそういう取捨選択の延長上に今の湾多がいるわけですが……もう少し、周りの空気とか、世間の流行とか、ポジティブ寄りに観察してもよかったのかなあと思わないでもありません。

    ちょっと今回の本文内容に横槍を入れる形の感想になりましたが、今回の内容も、ここしばらくで窺える秋葵さんの文章に対する構えも、とても好ましいものと私は受け止めています。前回分のコメントもですが、ピンとこなかったら五年後、十年後に読み返すつもりで、放置していただければ w。
    毎度ながらの長文、たいへんに失礼しました。

    作者からの返信

    温かいコメントとハート、いつもありがとうございます!

    当時書いてた小説、本当にキャラの会話と擬音語オンリーだったんですよ。キャラの心情とかも()で描写してたし…

    しかもストーリーの方もかなり痛々しいっていうか、いかにも小学生女子が好きそうな夢小説?的な感じでして、どっちかと言えば文体よりもそっちの方が見苦しいなって感じるポイントで……ちょっとあれを今読み返すのは無理ですね…

    星やハートに関しましては、『あー今回の話結構上手く書けたなぁ(ドヤァ)』みたいな時でも本当に全く反応を貰えなかったりして、結構落ち込んだりしてました。読んでもらえない、そもそも見つけてもらえないっていう。

    個人的に一番悲しかったのは、同じくらい時期から連載を始めて、似たような話で、文字数も同じくらいの他の作品が、自分の作品と比べものにならないくらいの星やハートを獲得しているのを見たときでしたね…

    だから、湾多さんのコメントや毎話ごとのハートは、ほんっっっとうに嬉しい限りです!(初めて『前奏』の方に応援コメントが来た日、嬉しすぎてその日の授業ほぼ頭に入っていませんでした)

    正直、湾多さんに見つけて貰えなかったら、ここまで続かなかったかもしれません。こんな未熟な子供にここまで貴重な意見を下さって、本当に感謝してもし切れません。

    星とかレビューとか、フタを開けてみればそんな程度の評価…か、すごく励みになります!また近々病みそうなので、そのときの心の支えにさせてもらいますね!

    とりあえず、今は語彙力を増やしたいですね…どうしてもキャラの動作や心情の描写がワンパターン化しがちでつまらなくなるので…(『言った』とか『嬉しい』とか)

    それとこっちのエッセイ集の方は、割とその時その時で思ったことをザーっと書いてるだけなので、もしかしたら例の『黒歴史』に近い感じでの投稿になるかもしれないです(笑) 

    いつか『あの音』誕生秘話とか書きたいな…(多分めっちゃ長くなる)

    編集済

  • 編集済

    #01 日曜日の奇跡への応援コメント


    なかなかに味のあるエッセイですね。この年齢の書き手が日常的に感じているあんなことやこんなことを色々忍ばせながら、思いがけない小さな幸せな出来事の嬉しさと、それに続く見事なオチがきっちり語り尽くされている、という印象です。長編でもそうですが、この構成感はお見事といっていいかと。

    ただ、細かいところで気になるところもありますので、一度具体的にコメント入れてみます。こういう形式でこちらの意見を伝える方には伝えているのですが、合う合わないもあると思いますから、この調子で次も、というご要望がなければ、今回限りということで。

    以下、本文の流れに沿っての校正案みたいなものですが。

    >その日は一週間後にアンサンブルコンテスト控えており、
    ・アンサンブルコンテスト「が」or「を」控えており

    >そこにあるのはもう『絶品』という名に何ふさわしい逸品である。
     ・「何」が余分。たぶん誤変換を消し損なった?
     ・日本語として間違ってはいないのですが、「絶品」と「逸品」で「品」がかぶるので、湾多ならどちらかの言い換えを考えます。「逸品」はこの後も出てくるから、変えるなら前者かも。「デリシャス」とか?
     ・あと、この文の前に「生麺」という語が出てきますけど、これも好みの問題ですが、一般的には「パスタ」かなと。

    >今すぐにでもあのまろやかなソースにもちもちの麺を絡みに絡めた逸品を味わってしまいたい。 
     ・三行前に「逸品」を出しているので(「逸品」を残すのであれば、ですが)、短い間隔で連呼しない方がスマートではあります。うまい言い換えがないなら、「絡みに絡めて」とするのもあり。

    >口にしたことは本当になると言うけれど、それは事実だったようだ。
     ・その意図ではないのかも知れませんが、この後のことを指してネタバレしてるように読めます。「口にしたこと」というのがこの前のセリフを指しているのなら、行が空きすぎていて係り受けがやや不明になってます。少なくともこの次の文にはスムーズにつながってないので、「などと妄想力を全開にしていると、ほんとに猛烈にほしくなってきた」とかの内容が妥当でしょうか。

    >まぁ流石に、
     ・直前の文が「まぁあくまで」という書き出しなので、ここも短いスパンで「まぁ」を重ねないほうがいいです。こちらの「まぁ」はまるごとカットしても文意は通じます。

    >私の昼ご飯だ、と、猫丸は誰に教わるでもなく理解した。
     ・この文はまるごとカットして、次の「あぁ、やっぱりか」以下を直接続ける形を勧めます。

    >水蒸気で濡れて視界の悪いラップの中を時間をかけて確認し、猫丸は目を見開いた。
     ・ここ以下の文に入っている「猫丸は」は、最後の行までの七割ぐらいをカットしていいです。元々必要のない主語ですし、ない方が文に勢いがつきます。一部、語調を整える意味で入れる必要があるところはありますが。

    >すると中から正真正銘のそれが覗かせた。
     ・「覗かせた」は合わないです。「姿を現した」とか「姿を見せた」とか「威容を露わにした」とか?

    >段々と胸の奥から強い感情が湧き上がってくるのを感じる。
     ・これも間違ってはいないんですが、ここははっきり「喜びの気持ち」とか「歓喜の念」とする方がいいように感じます。他のところでもそういう傾向がありますが、具体的に言わないでちょっと遠回しな表現にしているところが目立ちます。それはもちろん、もったいぶったユーモラスな空気を出す効果もあるんですけれど、はっきり、嬉しいなら嬉しいと書くべきところもあるわけで、そこはうまく塩梅をつかんでください。
     ・別の一案。「強い感情」を「喜びの気持ち」などとするより、「強い衝動」とか「わけもなく叫びたい何か」とかの、不定形な感嘆詞を代用する表現としてもいいです。

    >また引ったくるようにオーブンから皿を取り出す。
     ・取り出してしまうとはっきり火傷すると思うので、「取り出そうとした」だと思います。が……実際はもっと手前のモーションの段階で手を引っ込めてると思いますので……一例ですが「何も考えずにオーブンの中へ手を突っ込む」「衝動的にオーブンの皿へ手をかける」などとする方が、つながりとしてはいいかなと。

    >肝心のアレを忘れていた。
     ・で、黒胡椒をかけるわけですが、この文の五行ほど前に「チーズと胡椒の香ばしい匂いが漂ってくる」とあります。これは元の味付けにさらに黒胡椒を重ねた、ということでいいんですかね? それなら別に説明の必要もないんですが、読んでて「あれ?」と思ってしまう向きもあるので、いっそ前の文の「胡椒」を抜いておくとか「スパイス」とするかしてもいいかも知れません。

    >いつもだとしないような親への感謝の気持ちを馳せながら、
     ・一般的な慣用表現だと「思いを馳せる」。ただ、感謝の思いを馳せる、とはあまり言わないんじゃないかと思います。ここは「感謝の気持ちを胸に抱きながら」か、気持ちを「送る」というニュアンスを出したいのなら「感謝の念を捧げながら」とか。別の書き方としては「珍しくも、心中親へ(深く)感謝しながら」などの言い方も。

    書き出してみるとすんごく長くなって恐縮ですが、「具体的なコメント」を書くとこんな感じです。普通は誤字脱字を数箇所指摘するだけにしてるんですが、ちょっと今回は添削っぽいところまで踏み込んでしまったかも知れません。
    参考にしていただければ幸いです。

    あ、星は仮付けです。今後の上積みの可能性もそれなりにあるということで。

    作者からの返信

    かなり遅くなったのですが、コメントやハート、星、ありがとうございます!

    今回ちょっと誤字が多めでした…

    「具体的なコメント」、本当に参考になります!

    これからもご指摘等、よろしくお願いします!