第3話 キャッチボール

 駅から学校までの徒歩で10分ほどの通学路。

 1年生と2,3年生の上級生は一瞬にして違うのが分かる。


 真新しい制服に身を包んだ1年生は友達がいる生徒は少なく一人静かに登校しているのに対して、少しくたびれた制服を着た上級生は友達と楽しそうに話しながら歩いている。


 セーラー服を着ている男子生徒は、さらに1年と上級生の違いが際立っている。

 まだ恥ずかし気な1年生に対して、上級生は堂々としており隣を歩く女子生徒とも笑顔を浮かべ楽しそうに歩いている。

 歩き方もまだぎこちない1年生に対して、上級生は背筋の伸びたきれいな歩き方は見るだけで惚れ惚れとしてしまう。

 

 僕もあんな風になりたいと先輩たちの歩き方と自分の歩き方を比べながらも、頭の中は昨日から引っかかっている日立遥香のことが浮かんでくる。

 遥香という名の女子の友達はいた。小学6年生まで一緒の小学校で、確か名字は杉岡か杉田で、日立ではなかったはず。


 友達というのは正確ではない、かといって恋人同士でもない。

 お姫様と従者と言った方が正確なのかもしれない。いやそれも違う。付きまとってくるのはお姫様の方で、僕は逃げようとしてもつかまり彼女の言動にひたすら振り回される一方の関係性だった。


 学校の休み時間にコブラツイストを掛けられたり、地元のソフトボールクラブに入るからといって無理やり一緒に入らされたりと散々な思いでしかない。


 そんな遥香に振り回されっぱなしの小学校生活だったが、6年生の夏休みが明けると転校していなくなってしまった。

 お別れを言う間もなく突然のことに、ホッとしたような寂しかったような気持ちを抱いたことを覚えている。


 教室に入ると三井冬馬がすぐに近づいてきた。

 自分の席にカバンを置きながら、挨拶を返した。


「おはよ」

「三井さん、おはよ」

「ねぇ、ねぇ、松下さんはどっちなの?」

「どっちって?何が?」

「性自認の話よ。心も女子のトランスジェンダータイプ?それとも単にかわいい格好したいだけの男の娘タイプ?」


 制服がセーラー服とわかっていても入ってくる男子生徒には2タイプあるらしい。僕としては母に騙されて仕方なくセーラー服を着ているだけだが、他の生徒は望んでこの学校にやってきている。


「ただセーラー服を着てみたいってだけで、あんまり考えたことなかった」

「じゃ、恋愛対象は女子なんだね」

「まあ、そうかな。女の子の服ってかわいいよね」


 イヤイヤ始まった女装生活だが、毎日着ているうちに少しずつ女の子の格好をするのが好きになってしまい、女装の沼にはまってしまった。


「私も同じ。別に女子になりたい訳じゃないけど、可愛い服着たい願望ってあるよね。松下さん、今度一緒買い物行こうよ」

「うん」


 いつ、どこに買い物に行くか話し合っているうちに、お互いを探るような警戒感はなくなり打ち解け合ってきた。


 日立さんが教室に入ってくるなり、声をかけてくれた。


「おはよ。朝から、男子同士仲いいわね」


 朝日に照らされる日立さんの笑顔は今日も美しい。

 三井と話しながらも、横目でチラチラ見てしまう。

 その視線に気づいた彼女と視線が合いそうになるのを寸前で避けたところで、始業のチャイムが鳴った。


◇ ◇ ◇


 チャイムが鳴り3限目の数学の先生が教室から出ていくと、教室は生徒たちの話声で一気ににぎやかになった。

 待ちに待ったお昼休みが始まる。

 学食に行く人、教室でお弁当を食べる人、みんなで食べる人、一人で食べる人、みんなそれぞれのスタイルで昼ご飯を取り始めた。


 カバンからお弁当を取り出していると、三井がお弁当片手に近づいてきた。

 

「一緒に食べよ」

「うん」

「それにしても高校の授業って疲れるね。もう午前中だけでヘトヘト」


 中学よりも内容も濃く、授業のスピードも速い高校の授業は、一瞬でも気を抜くとおいて行かれそうになるので、集中して授業を受けないといけない。

 ノートに落書きしても楽勝だった中学の授業が早くも懐かしい。


 お弁当を食べ終えたタイミングで、学食に行っていた日立さんが教室に戻ってきた。

 戻ってくるなり、カバンを手に取り中から何かを取り出そうとしていた。

 カバンから出てきたのは、野球のグローブだった。


「松下さん、キャッチボールしない?」

「えっ?」

「ほら、早くしないと昼休み終わっちゃうよ」


 彼女に手を引っ張られながら教室を出た。

 この強引さに、うっすら小学生の記憶がよみがえる。


 連れられてやってきた体育館裏は、昼間でも薄暗く人気もなく静かだ。

 風に揺れる木々の葉がこすれ合う音だけが耳に届く。


 彼女は二つ持っていたグローブのうち一つを投げるように渡すと、10mほど距離を取りボールを頭上高く掲げた。


「いくよ」


 掛け声とともに放たれたボールは山なりの放物線を描き、僕のグローブへと吸い込まれていった。

 今度はこちらが投げる番だ。ボールを投げるなんて小学生以来で緊張する。


 左足を少し踏み込んで、ボールを投げる。

 変な方向に飛んでいったボールは頭上を越えるかと思ったが、彼女はジャンプして手を伸ばしたキャッチした。

 

「その女の子投げ、相変わらずだね」


 クスクスと彼女が笑いながら、近づいてきた。


「ほら、肘から先で投げるんじゃなくて、肩とか足とか使って体全体で投げないと」


 彼女が僕の体に触れながら投げ方を教えてくれた。既視感のある、この感じ。ひょっとして?その拍子に彼女の苗字も思い出した。


「遥香って、ひょっとして杉谷?」

「そう、ようやく思い出してくれた」

「ごめん、名字が違ってたから気づかなかった」

「親の都合でね」


 彼女はそれ以上詳しい事情を話さなかった。まあ、僕と同じような境遇何だろう。

 少なくとも見た目はかなり記憶にある遥香と違っていた。


「だいぶん、変わったね」

「そっちもね」


 彼女の視線は僕の足元のスカートに向けられた。二人してクスクスと笑い合った。


「じゃ、続きやろうか?」


 彼女が再び距離をとり、ボールを投げた。

 僕も教えてもらったとおりにボールを投げ返す。今度は、彼女のもとへまっすぐ飛んだ。


 何度かボールが往復していくうちに、昔の勘を取り戻してきた。

 それと一緒に、昔の遥香との思い出もよみがえってきた。


 もやしっ子と他の男子にイジメられそうになった時、彼女は男子の間に割って入り助けてくれた。

 数名の男子相手に「亜紀は私のモノだから、手を出すな」と啖呵を切り、その迫力に押された男子たちはそれ以降、僕に絡むことはなかった。


 




 


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