第6話「放課後/シルエットダンス」

 黄砂なのか花粉なのか雨模様なのか。

 判別のつかないどんよりとした空。

 この判然としない空模様は、まるで今の私のようでもあった。

 進路、札伐闘技、そして、目の前の親友アリカ。どれに対しても中途半端な回答しか出せないまま、今日の昼休みはあとわずかとなっていた。


 予鈴が鳴る。

 それは、この高校生活に対するモラトリアムの終わりすら示しているかのようで、私の心に焦燥感を芽生えさせる。


「——ねぇ、カザネ」

「ん、どしたの」


 屋上から空を見上げてアリカが言った。


「私、あの太陽が羨ましいわ。

 この星の誰よりも高いところにいて、私たちでは手を伸ばせないところからじっと見つめて。それでいて、その熱は私たちに降り注いでいる。強いのよ。太陽は。

 ——私もあんな存在になりたいわ。あそこまで、手が届けばなれるのかしらね」


 その声はどこか寂しげで、それでいて冗談のようにも聞こえなくて。

 私はただ、


「うん、そうだね。掴めるなら、きっとなれるよ」


 自分でも無責任だと感じてしまうほどに、他人事でしかな虚ろな返事をする他なかった。

 今の私には、それが精一杯だった。



「では授業を始める。引き続き一年次の総復習をする。教科書の151ページを開くように」


 昼一の授業は『倫理』。

 初めて教科名を聞いた時は「それって道徳とは違うの?」などと思ったものだけれど、調べてみると思ってたより複雑かつ真面目に考えられた教科名っぽかったので、ガキの私があれこれツッコミ入れるのはやめておこうとなったのは良い思い出だ。


 結構授業内容自体も興味深く、哲学的な部分は人の歴史とその発展にも大きな影響を与えているんだろうなぁ、などと、なんだか勝手に感慨深くなってしまいがちである。


 教えてくれる沖田シゲミツ先生も、カタブツクールなように見えて、なんとなく根はおもしろいそうな感じなところが時折見えるので、やはり楽しいオジサマ先生なのだった。

 白髪混じりの髪の毛も、白黒のコントラストがかなりカッコいい。未婚らしいので、謎にやる気を出す隠れファンも多いらしい。

 父さんにその話をしたところ、「それで思い出したけどさぁ。今週のアンデラでさぁ。ファンが超強くてさぁ」とかいきなり読んでない漫画の話をされたので「ハハ」って笑っておいた。わかってる、父さんなりに話題を探してくれているのは。


 などといったことを、自席——窓際気持ち良すぎ——で教科書を開きながら思い返していると、斜め後ろから折り畳んだ紙が差し出された。位置的に神崎くんだったので振り返るとやっぱり神崎くんだった。


 今時こういう方式もレアだなぁなどと思いながら紙を開けてみると、


『昼食、感謝する。

 洗って返す。

         神崎』


と記されていた。


 遊びはないけど、実直さの伝わる文章だったので、不思議と読み心地が良かった。



 放課後。その寸前のこと。ホームルームにて、担任のこれまたイケオジ、吉良先生が神妙な顔つきでこう言った。


「最近、謎の失踪事件が相次いでいます。その中には学生も含まれており、この学校の生徒はまだそのようなことにはなっていませんが、可能な限り早く下校するようにしてください。

 残念かとは思いますが、しばらく部活も休止となります」


 ざわつく教室だけど無理もない。引退試合を控えた人もいる。大学スポーツ推薦のために結果を出したい人もいる。コンクールの発表作品に打ち込みたい人もいる。

 みんなそれぞれ、今を懸命に走っているんだ。そんな時に、その足を引っ張られたんじゃ堪らない。みんなだってそれを言うのは不謹慎だってわかっている。実際、本当に行方不明者が出ているのだ。だから、どれだけ悔しくても、一線を越えた不満は漏らせない。——みんな、耐えていた。


 私は——


 ——やっぱり止めないと。あんなふざけた戦いなんて。


 その事件の原因を知っているがゆえに。当事者札闘士であるがゆえに。

 胸に秘めた決意を新たにした。


 そうだ、迷っている暇なんてなかった。

 私は勝つ。勝って勝って勝ち残る。そして——


 「————ぁ」


 ——そして、結果的に。


 ——


 そして、放課後を告げるチャイムが鳴った。



「ただいま」

「おぅ、おかえりカザネ」


 結局、私はそのまま家に帰って来ていた。終わりが迫るモラトリアムから逃げるようにして、私は帰路についたのだ。


「弁当どうだった?」

「——あ」


 父さんの言葉で、昼の出来事を思い出す。そうだった。結局あの弁当を、私は食べていないのだ。


「あーその、なんていうかさ。色々あって友達にあげちゃたんだよね」

「え、じゃあお前は食べなかったのか?」

「あ、いやそこはなんとかしたというか、してもらったというか」


 言ってるうちに、父さんの顔が少し険しくなっていくのがわかった。


「カザネお前、それ自分の意思で渡したのか?

 なんか無理やりとかじゃないか?」


 すごい心配そうに言ってくるのを見て、なんだか色々申し訳なくなって来た。


「大丈夫! そこは大丈夫だから!

 正直に話すとさ。私がぶつかっちゃって友達のお昼ごはん台無しにしちゃって、で、お詫びに弁当をあげたの。だから何から何まで私の意思! 強いて言えば悪いのは私だから! ね?」


 そう言い終わると、父さんは両肩を下げながら息を吐いた。


「100%良かったー、とは言えないが、まあとにかく大事に至らなくて良かったと言うべきか。

 うん、お前はそうだな、今回の発端はともかく、やっぱ良い子だな。俺はホッとしています」


 なんだそりゃって感情と、なんとなく照れくさい感情とがミックスされてるこの状況。飲んだことないけどカクテルってこんな感じなのかな、などと考えてどうにか気を逸らす。

 だというのに、


「だから父さんはな。カザネが選んだ道なら、きっと大丈夫だって応援してるからな」


 ——なんか結局、感情がよくわからなくなってしまった。


「なんそれ。なんかわかんないけどちょっと部屋に篭るから開けないでね」

「ん? ああ。ご飯の時間に呼ぶからなー」


 尚も能天気な父さん。

 あでもこれか? 母さんこういうところに惚れたか? あり得なくはないラインか——。


 そんなことを考えて、今度こそ私は気を紛らわせたのだった。


 ◇


「俺のターン、ドロー。

 俺は『GAゴールデンアームズ 閃光の右腕ライトニング・ライト』でお前の残りセンチネルを撃破。

 これで控えは5枚埋まった。勝利は確定し、自動的に閃光の右腕ライトニング・ライトによる追加攻撃を行う」


 芸都郊外の市街地にて。一般市民とは一時的にレイヤーのズレた世界で、神崎カナタは札伐闘技を挑まれ、そして勝利していた。


「ひっ、嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ……オレはまだ、死にたくな————」


 閃光の右腕ライトニング・ライトの攻撃を受けた相手プレイヤーは、打撃痕を起点にして徐々に崩れていく。

 その断末魔は、この場にいるカナタにしか聞かれることはなく、そのプレイヤーを看取るものもまた、カナタ以外には誰もいない。


 そして砂の如く消えていくプレイヤー。

 カナタと同じく、学ランを着た高校生だった。


「やはり、別段良い気分はしないな。だが——」


 少しずつ世界とのズレが修正されていく中で、カナタの心だけが、どこか周りとズレたままだった。

 生まれつきなため、本人もどうすれば良いのかわからない。


「さりとて悲しくなるわけでもない。変わらんな、俺の心も」


 こうして命のやり取りをした上で尚、やはりカナタの心は動かなかった。

 変わる努力をしなかったわけではなかった。だがしかし、そもそも感動というものを経験したことのないカナタにとって、何を以て感動とするのか。それは未だに実感として現れることはなかった。

 ゆえに、今もこうして無感情のまま懊悩していた。


「——む。この殺気は。校内か」


 カナタはまだ学校の近くにいたため、校舎内にて発生した札闘士特有の殺気を感じとっていた。


 その数、二つ。


「今日のホームルーム終了からおよそ30分。

 そのまま校内に留まっていたのだろうな」


 外から入って来たか、あるいは内部に残れる誰かか。判断材料は足りていない。

 それでも単純な時間計算と、そしてそもそも校内に札闘士がいると目星をつけられる程度には内部に精通しているという推測から、カナタは次のターゲットを絞り始めていた。


「弁当をご馳走になった礼もある。

 一働きするのも悪くないな」


 そう言ってカナタは、学校へ向かってバイクを走らせた。


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次回、『鮮血の放課後①/リコリス・アラクネス』

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