SEVENTH HEAVEN

夜凪霞

序章

000:プロローグ


 幼き日の記憶。

 

 両親を殺し、父が研究していた古代遺物アーティファクトを持ち去ったのは、純白のローブと不思議な刺繍の目隠しを身に着けた謎の少女だった。

 

「お前はまだ生かしておく」

 

 去り際にこちらを一瞥し、透き通るような声でそう告げた少女は、そのまま夜の森の中へと消えていった――。


 ◆


 魔導都市レヴェリー。

 北方大陸と南方大陸の間に位置するクレイニアム島、うえを向いた頭骸骨のような形をした島のにある、巨大湖に浮かぶ水上都市である。

 ここは、どの国家にも属さない、永世中立を掲げた自治制都市国家であり、大陸中の魔導士たちを管轄する《魔導士協会》が大きな支配権を有している。

 

「……眠い。なんで春はこんな眠いんだろうな」


 魔導士協会に所属する四級魔導士の青年ノア・ヴェルトは、街外れにあるボロアパートの自室で、寝ぼけまなこを擦りながら朝食を取っていた。

 二年前、親代わりであった師匠センセイから勧められて受けた魔導士資格試験。

 かつて両親を襲った謎の人物を見つける為にと魔導士になったものの、未だに何の成果も得られてはいなかった。


 このままで良いのだろうか。


 魔導士になった直後は「数十年に一度の天才」などと持て囃されもしたが、二年間でやった事と言えば、雑魚魔物の討伐や一度大きな討伐作戦に参加したことくらいである。

 元々”見習い”を飛ばして”五級”だったところから、”四級”にはすぐに上がることができた。周囲の同年代と比べれば、昇級のスピードはかなり早い方だ。


 だが、もっと強く、もっと上にという想いは常にある。


 朝食を食べながらそんなことを考えていると、窓を叩く音が聞こえてきた。

 

 窓の外を見ると、協会のムクドリ便が早く開けろと急かすようにで窓を叩いている。

 ノアが窓を開けるや否や、配達ムクドリは部屋の中に手紙を投げ入れ、すぐさま何処かへと飛んでいった。


「相変わらずせっかちな奴らだ」


 呟きながら、床に落ちた手紙を拾って封を開ける。



 

 四級魔導士 ノア・ヴェルト殿


 至急、協会本部へ来られたし。

 以上。



 

 あまりにも簡素な文面に困惑しつつ、呼び出される件に心当たりの無いノアは、不審がりながらも身支度を整えて街の中心部にある魔導士協会本部へと向かうのであった。


 ◇


 協会本部に到着したノアは、門番への挨拶もそこそこに、気が滅入る程広い庭園をひたすらに歩いていく。

 石やレンガ、鉄が使われた建造物の多いこの水上都市において、これほど土と植物が多い場所はここにしかない。


 三階建ての、無駄に大きな建物の扉を開けて中に入ると、人の気配がほとんどしないロビーに事務員がぽつんと立っていた。


「ノア様ですね。お待ちしておりました」


 感情が微塵も感じられない事務的な口調でそのおかっぱ頭の女性が話しかけてくる。

 こちらです、と先導される後について行きながら、ノアは一体誰が何の為に自分を呼び出したのかを前を歩く女性に尋ねた。


「ノア様をお呼び出しされたのは《八賢者》様たちです。目的は私の方からお答えすることはできません」

「え、八賢者が?」


 八賢者と言えば、この魔導士協会のトップともいえる存在だ。

 大陸各国にある支部のマスターたちを統括し、協会の運営を担う八人の賢者たちの総称である。

 老いて現役を引退した後でさえ、現在も一線で活躍する”特級魔導士”以上の実力を持つと噂されている。


 そんな雲の上の存在が一体俺に何の用なのだろうか。


 そう思いながら案内されたのは、未だノアが一度も足を踏み入れたことの無い、大陸中の魔導士たちが最も畏れを抱く場所、「賢者の間」であった。

 

「どうぞ」


 事務員が扉を開け、入室を促す声も耳に入らない程の上の空で、ノアは部屋の前に立ち尽くす。

 何も見えない、何もされていないし、悪意も感じない。

 ただ、その場から動けないと錯覚するような威圧感プレッシャーだけが彼の身を包んでいた。


 事務的な二回目の「どうぞ」によって我に返った彼は、日中であるにもかかわらず異様に薄暗い部屋の中へと入って行く。


「失礼します。呼び出しを受けたノア・ヴェルトです」


 礼儀を知らないなりに、とりあえず挨拶を暗闇に放り投げる。

 本当にこの部屋に八賢者はいるのだろうか。

 先程の威圧感プレッシャーが嘘のように、この部屋の中には人の気配が感じられない。

 

「よく来たね。急に呼び出してすまなかったよ。今日は、あんたにお願いがあって呼んだんだ」


 突然、暗闇の中から声が響く。

 しかしその声は、話し方は、想像していたより何倍も優しく、温かみのある老婆のような声であった。


 優しい声の八賢者の一人はそのまま話し続ける。


「そのお願いってのは、簡単に言えばとある要人の”護衛任務”さね。ただ普通の任務とは幾程も違うがね」


 八賢者たちがノアに与えた任務は、彼をさらに混乱させるものだった。


 南方大陸にある「宗教の国」アウローラ聖教国。

 その国の象徴でもある《聖女》エーファ・エストレアを護衛し、亡命を手助けせよ。


 それが今回の任務である。


「聖女が亡命……? それを俺が護衛する?」

「そうだ。細かいことはいい。お前は全力で聖女を国から脱出させろ」


 今度はやけに年若く感じる低音の声に念を押される。


 なぜ国の象徴たる聖女が国を出ようとしているのか。

 護衛をする必要があるとしても、なぜ自分が選ばれたのか。


 疑問は尽きないが、八賢者たちはそれに答えるつもりは無いらしい。

 彼女らは詳細な説明を先程の事務員、アルファに丸投げし、ノアを部屋から下がらせるのであった。


 その後、アルファの淡々とした口調で具体的なルートと移動手段、費用についての説明を受ける。


 レヴェリーから南方大陸までは手配した船で移動、その後はエアルス王国を竜車で南下し、国境にある【白昼霧の森】からアウローラ聖教国領内に密入国する、というものだ。

 報酬は必要経費込みで全て前金、現金で百万Tテラ。既に用意されているらしい。


 パン一つが10Tテラ前後のこの街で、一体どれくらいの期間暮らしていける額だろうか。


「でも、そういうことじゃないんだよなあ」


 明朝にでも出発しろとのことです。

 

 アルファの事務的な声が頭に響いている。

 ノアは苦虫を噛み潰したような顔で協会本部を後にするのだった――。


 ◇

 

 同時刻、賢者の間。


「メノウ、脅かしてやるんじゃないよ。いい子だったろ? 才能もある」

「ばあさんよ、俺は脅かしたんじゃない。実力を測ったんだ。あれくらいでビビるようならまだまだだ」


 優しい老婆声と年若い低音の声が話している。

 

「……それで、本当にアイツが?」


 年若い男が隣を振り返ると、紫色のローブを着た初老の男性が答える。

 

「ええ、ですが誰かが導いてあげなければ。運命の歯車というのは、ひとりでには動かないものです」

「クソ魔女の奴らももう動き始めてる。今の内に手は打っとかねえと」

「彼は必ず《七罪源の魔女》を討つ鍵になります。もちろんも。それと、貴方は話し方をもう少し何とかしてください」


 暗闇を照らしていた薄明かりが消えると、賢者の間は完全な無音となった。

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