木村とひとつの決着


花別がロスダンに話しかけているのが遠くに見えた。

ロスダンが頷いている様子も。


だが、意識はすでに目の前の敵に固定されていた。

目が離せなかった。


無音ばかりが満ちていた。

互いに全力を出し切り、僅かに立ち止まる時間、それがどこまでも引き伸ばされたのだ。


いろいろとケイユが騒いでいるが、それすら気にならない。

構えたまま、ただ目の前の敵を鬼は睨みつける。

杖とガントレットの位置を調整する。


互いに、直感していた。

次が最後の交差になると。


木製の獣、その八本あった脚のうち三本はもう破砕されていた。

その体から伸びる枝は、もう鬼妖精を襲うことはない。


破壊されて終わるだけだと判断し、反撃を切り捨てた。

ただ移動のためとして割り切った。


攻撃はもう赤剣だけとなった。

鬼の有利だ、勝ちはもう目の前だとは――


――やべえな。


まったく思えなかった。


震わせた羽が教える、肌に伝わる熱気が言う。

敵はまだ、本領を発揮していなかった。


ここからだ。

これが越えるべき敵の力だ。


獣の目は細められ、殺意に塗り替えられる。

残る脚の動きに支障はない。

伸ばした枝に絡みつくように支えられた剣は、呑んだ血の多さを誇るかのように赤い。


――取る手を、先鋭化させやがった。


ただ斬る。

そう特化した戦い方を、敵は選んだ。


――ある意味、一番の大敵じゃねえか。


鬼妖精のやり方は、リズムに乗ってテンションを上げてぶっ叩く方法だ。

だが、今ここでそれを選べば、一刀のもとに斬り下ろされる。


リズムを取る動きそのものを隙にされた。


――なら、まあ、やれるだけやるだけだ。


いつも通りだ。

なにも変わることはない。


真正面から叩き潰す、それ以外のことを考えるのを止めた。



 + + +



――なるほど。


木村は納得していた。


――これが『外』ですか。


迷宮内部にも様々な敵はいた。

どれも奇妙なものではあっても、強い相手は少なかった。


だが、この妖精はその『妙な部分』を強さに変えていた。

長く長く戦いを続けた自分を追い越しかねないほどに。


「……」


剣を握る。

未だに心には迷いがある。


復讐は果たした。

これ以上、戦う道理などありはしない。


あとは平和に暮らすだけが望み、そのはずだ。

だというのに、目の前の敵を見て心が沸き立つのは何故なのか。


両目は閉じられ、片手は胸元に固定されている、もう片方の手に持つ杖は球根を先端につけた不格好なもので、とてもではないが強者には見えない。


だというのに、強い。


――敵の取り柄は速度です、それがすべての基点となっている。


速いからこそ、避けられる。

速いからこそ、攻撃が当たる。

速いからこそ、攻撃力を上げられる。


あるいは――


――これだけの速度があれば、距離を取ることができた。


はるか昔のことを思い出していた。

己の剣が、最愛の人を刺し貫いた場面のことだ。


もし、あのとき、あんな下手くそな剣の動きよりも己自身を動かし、距離を取ることができれば、幼馴染は無事だった。

自分に本当に必要だったのは、戦力などではなく、そうした速度だったのではないか。


――だというのに……


目の前の妖精は、どこか不満そうな要素が垣間見えた。

「こんなスピードより、もっと別のものが欲しかった」という失望が見て取れた。


望まないプレゼントを渡された子供のようだった。

今も左手のガントレットを、どこか不満そうに確かめている。


す、と頭の奥が冷えた。


――そういえば、ノービスを殺して回ったと言っていましたか?


ノービスというモンスターに魂があるのかどうかわからない。

人間にだってあるかどうか未だに不明だ。


だが、もし、生まれ変わった幼馴染を、この鬼が殺していたら?

あるいは、この先に、それが起きるのでは?


この妖精の生存は、ノービスの死に直結する。


曖昧だった殺意が収束した。

対決であり、決闘などではないという意識すら消えた。


息を吸う。

豊かな森のニオイがした。


それを裂いて獣が吠えた。

迷宮を叩き壊さんばかりに咆哮した。


木製の身体すべてがささくれ立つ。

己に埋め込まれたキャド・ゴトーの因子を活性化させたのだ。


――この妖精は、敵だ……!


ぐぅ、と樹木の全体をたわませ、その反動で蹴り出した。

それは、《瞬走》にも負けないほどのスピードを叩き出した。



 + + +



光の線が来る――


鬼はそれだけを認識した。

赤剣の軌跡だ。

他の情報など、不要だった。


極限まで単純化した視界。

意識も追随して軽快に作動する。


その上で、これをかい潜り、攻撃することは――


――無理だな。


それも理解した。

数百年を生きた樹人の、決死の一撃だ。


妖精に転換してさほど経たない元オーガでは、躱すことなどできはしない。

速度を飼いならしきることができていなかった。


なら――


――真正面からぶち破る。


光の線を見ながら思い、《瞬迅硬化》のスキルを発動させた。

スキルの対象は、左手のガントレットだ。


軽く叩かれただけで霧散してしまうほどに弱い力場だが、今はその内側には「枝があった」。

睨み合いの最中、気づかれぬようそれを行った。


球根を中心として野放図に伸びた枝々がガントレットの内側を満たした。

鬼妖精の、切断された部分を足がかりに金属製のガントレットを支える。


鬼妖精の思うままに動いたそれが、義手として機能した。

金属製のその内側には、びっしりと木が密集している。


――俺が持っているものの中での最硬は、これだ!


《瞬迅硬化》で身体を動かす。

沈みながら一歩目をはじき出し、背中の羽で加速する。

二歩目でさらに身体を押し出し、羽で前の空気をかき分ける。

前へと動かした羽は、後ろではなく上へと行かせる、身体を沈み込ませると同時に三歩目でさらなる加速を行う。


いままでと違い、両手も使った疾走だった。

羽をはやしたアスリートがいればこうだろう姿で走る。

速く、速く、前へと行き、硬度をさらに硬くする。


刻一刻と重くなるガントレットを振り上げ――


「喰らえや!」

「死ねェ!」


スキルによる常識離れした加速を受け取り硬度を増した手甲。

伝説上の樹精を活性化させながら全身を使って放たれた赤剣。


二つがぶつかり合い――


「ぐっ」

「む」


弾かれた。

盛大な火花が散る向こうで、敵は無事な姿のままでいる。


「《瞬迅硬化》!」

「キャド・ゴトーよ!」


沈むように一回転しながら鬼妖精は追撃した。

木村はその身をさらに変質させながら、増えた枝で無理やり赤剣を翻す。


それは獣の顔を半ば粉砕し――

鬼妖精の右腕と右羽を切断した。


獣の目は驚きに丸くなるが、すぐに刃のように鋭利に睨む。

鬼は重量を失いバランスを崩すが、すぐに踏ん張り顔を上げた。


「クハッ」

「ふ――」


もちろん、この程度では終わらない。

互いの口が笑みに歪んだ。


「クソ痛てえなあ、オイ!」

「こちらの台詞だ!」


三度の攻撃を行う。

完全な接近戦、鬼は足を止めて振りかぶり、獣は刀身を半ば斬られながらも保持して振る。


「そこまで」


止められた。

いや、斬られていた。


振り下ろそうとしていた鬼妖精のガントレット、それはその場で落ちて重い音を立てた。

赤剣にまとわせるように振ろうとしていた枝々は、狙ったようにすべて切断された。


激突の間を通り抜け、それだけの技を見せたのは――


「本気の命の取り合いはあかんよ?」


花別だった。

前と変わらず朗らかに笑いながら言った。


見やすくするためか、髪を上げて見えたその目はカケラも笑っておらず、ただ冷酷だった。


口元の気安さはまるでない。

以前に首を斬られたときそのままの冷たさだ。


きっと花別は、ずっとこの目をしていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る