迷宮と迷子

ファンタジーがやってきて、人類は変わった、変えられてしまった。


一つは無変化、一つは怪物、一つは冒険者、そして、最後に迷宮だった。


自然発生するモンスターと、人から変異した怪物が異なるように。

自然発生したダンジョンと、人から変異した迷宮は異なった。


それはある意味、怪物以上の異常だ。

迷宮人がいる「空間そのもの」が変異するのだ。


それは、人でありながら半ば現象に近い。

広大な迷宮をその身に収める。


だがそれでも、ニンゲンではあった。


「……どういうことだ?」

「そのまんまの意味だけど?」

「お前が迷宮なら、調査における生命線だろ、なんで逃げ出してんだよ」

「さあ?」

「お前自身のことだろ!? なんでわかんねんだよ!」


通常、迷宮人とはダンジョン攻略において物資運搬を担当する。

その内部に広大な空間を確保する彼らは、あらゆるものを「収納」できた。


食料、予備武器、あるいは人間ですらも取り入れる。

腐らない貯蔵、重量制限のない運搬、そして、安全な休憩場所――


迷宮人は希少ではあるが、長期間のダンジョン探索において必須ともいえる人材だった。


「集合場所で、なんかあったのか?」

「ん?」

「お前って迷宮は、饕餮ダンジョンの集団調査探索隊にいた、そういうことでいいよな」

「たぶん、そう」

「そこから逃げて来たんなら、そこで何か重大なトラブルが起きたってことじゃねえのか?」


迷宮の子供は、不思議そうにまばたきした。


「なにキョトンとしてやがる、俺そこまで意外なこと言ったか!?」

「んー……」


腕を組んで考え出した。

今すぐぶん殴りたいという思いを堪えて、オーガは返答を待つ。


他三種と違い、迷宮現象には謎が多かった。

人間であるのかどうかの判断すら、土地によっては異なる。


なにせ、場合によっては意思を持つバッグや塔、小物入れやマンションの形を取ることすらあった。

感情の起伏に乏しい子供というのは、迷宮化の影響としてはまだおとなしい方だった。


「あの、すいません」


横から話しかけたノービスはとりあえずぶん殴った。

しかし、手加減が過ぎたのか、それともなければ殴られ慣れたのか、気絶することもなく直立し、そのまま男は続けた。


「なぜ、一人でいるのでしょうか」

「そりゃ逃げて来たからだろ、てか耐えてんじゃねえよ」

「迷宮人は、パーティの生命線です、当然、護衛兼見張りはいたはずです」


気に食わないが、その疑問はもっともだった。


迷宮人はオーガが引き連れているようなノービスのレベルではない。

迷宮人がいなくなることは、そこから水や食料や居住地が失われるのに等しい。


対策は、当然行う。

ダンジョン慣れした上位怪物ならなおさらに。


その不審を感じ取ったのか、それとも別の理由か、迷宮人の子供はジリジリと後退りしていた。


「……」

「おい、なんで距離を取ってんだ」

「……ボク、そいつ、嫌い」

「ハハッ、嫌われたもんだなぁ、ノービス」

「なんで――」


ショックを受けたように言う男の姿は、割と滑稽だった。


「で、どうしてだ?」

「うん?」

「お前を逃さないようにしていた奴はいたはずだ、どうやって撒いた?」

「ボクには預かり知れぬこと?」

「オイ、さっきも言ったが、合流先についたら全滅の痕跡だけがあった、ってのはゴメンなんだよ。少しくらい情報をよこせ」

「だから、知らない。夜中に起きたらボクの周りには誰もいなかった。みんなぐうぐう眠ってた。ついでに見張りのいない方へと散歩をしてみても、やっぱり誰もいなかった、ボクが一人なのは、だから、ボクのせいじゃない」

「深夜徘徊迷宮かよ」

「散歩だよ?」

「クソ迷惑なことに変わりはねえ」


だが、安堵した。

迷宮人が単独でいる異常事態は、単なる子供の異常行動だった。


合流先の戦力は無事だ。

見張りの質の低さは無事ではないだろうが。


「しかし結局、俺のやろうとしてたことは、失敗か」


それも理解した。

迷宮人という最上の運び屋がいるのであれば、酒も甘味も珍味ですらも不足はない。

彼が運ぼうとしたものの大半が価値をなくした。


女ですらも、この「迷宮」の内にはいるかもしれない。


「いや――」


自身の「迷宮」から勝手に取り出したのか、クッキーを両手でリスのように無心で食べる子供を見ながら思い直す。


先程、ノービスに対して忌避反応を見せた。

また、その内部に人間や怪物を取り込んでいる様子もなさそうだ。


迷宮には、選り好みがある。

それはアレルギー反応に近い相性だった。


たとえば樹木を主体とする亜熱帯迷宮は刃物の類を忌避する。

チェンソーや斧などは触ることすら嫌がる。


浅瀬の海が広がる迷宮では、鳥類モンスターの侵入を断固として受け入れない。

配下の魔物や構造物が、一方的に狩られる状況を拒否する。


先程の反応は、それに似たものではないか。


――だが、都市型迷宮だってのに、ノービスに拒否反応が出るか?


それがどのような形の迷宮か、オーガには想像できなかった。


「あの……」

「なんだ嫌われノービス」

「いえ、その子供、ここまで歩いて来たんですよね」

「だろうな」

「だとしたら、近いんじゃないですか?」

「あん?」

「迷宮人とはいえ、子供です。子供が歩いて来れるほどの距離に、合流先があると、思ったんですが……」


思わず額を叩いた。

言われるまで気づかなかった己の鈍さに当惑した。


「おい」

「なにぃ?」


けふ、とゲップをした子供に聞く。


「お前、散歩から戻れるか? あー、つまり、帰り道はわかるか?」

「馬鹿にするな」

「おお、なら――」

「未来のボクならわかる」

「……今のお前は?」

「荷物運びは任せて」

「実際それだけでも助かるが……お前、結局はただの迷子ってことか?」

「そんなわけ」

「さすがに違うか」

「ただ、今のボクを見つけたら、すごく怒る人はいるから匿って欲しい」

「よし、戻るぞ、迷子」


いろいろ気をもんだのが馬鹿らしくなった。

結局は、保護者に怒られるのを怖がっているガキでしかない。


「はんたーい、ボクに無事と平穏をー」

「うるせえ、黙れ、俺はダンジョン内を意味もなく徘徊する趣味はねえ」


ぶうぶうと文句を言う子供の首根っこをつかんだ。



 + + +



はた迷惑な子供ではあるが、それでも、迷宮は迷宮ではあった。

ダンジョンにおける最上の運び屋だ。


二十人ぶんの荷物などあっという間に取り込んだ。


重荷から開放されたノービスが協力して探せば、子供の足跡をたどることができた。

オーガからはまったくわからない「痕跡」を辿りながら、道なき道を進んだ。


「お前、こんなところ通ったのか?」


ダンジョンの崖をよじ登りながら訊いた。


「通ってない」

「オイ、もっと早く言え、そりゃ話が――」

「ボクの偉大な足が、空を踏んだ」

「……コケて滑って落ちたんだな?」

「やな言い方ぁ」

「間抜けな迷子の的確な表現だ」

「ボクは迷子じゃない」

「ならロストダンジョンか?」

「なにそれ、かっこいい――」


横文字に憧れる年らしい。

ダンジョン、という蔑称すら気にならないほどに。


まさに迷子(ロスト・チャイルド)になるような年齢に相応しい。


「なあ、ロスダン」

「略語?」

「お前は、ここからコケて落ちた、ってことでいいか」


登りきった先もまだダンジョンだ。

石造りの経路がどこまでも続く。


その切り立った断崖に、痕跡があった。

脆くなっていたのか、一部が崩れて欠けている。


「見覚えはあるけど、別に転んではいない、ボクがやったのは空中浮遊への偉大な挑戦だ」

「偉大すぎて足元も見えてねえな」

「オーガは一度も滑って転んだことが無いの?」

「ねえよ」

「嘘つきは冒険者の始まり」

「残念だがオーガ化してから本当にそういう間抜けと無縁なんだよ。その手のミスは、近接戦闘者がやれば致命的だ」

「生意気だ、おまえ、こう、かわいいが足りない。そんなんじゃボクの配下になれない」

「なりたいって、誰が言った?」

「すべての怪物はボクに傅く」

「周囲の怪物がお前の収納能力を当てにしてるだけだ」


あまり表情を変えないまま、ドスドスと足音を立てて子供は歩いた。

へそを曲げた王様だった。


――無駄にプライドばかりあるな……


オーガは嘆息した。

そもそも、このロスダンに対して、どう対応すればいいのか彼はわかっていなかった。

気安く対応しているが、これが間違っている可能性は十分ある。


同じ怪物同士であれば格付けだけを気にすればいい。

種族による差は絶対的だ、順列は自然と決定される。


ノービスなどはすべて下だ。

彼自身がそうであるように、上位者を活かすための礎となるのが役割だ。


だが、迷宮人に対して、オーガがどのような位置づけとなるのか不明だった。

オーガ以上に尊重されるべきものなのだろうが、オーガの価値観としてあからさまに弱い相手に頭を下げることはできなかった。


魔物に喉元を噛みちぎられそうになった経験すらない奴に、どうして媚びへつらわなければならないのか。

強者を尊ぶことはできるが、便利な者を仰ぎ見ることはできない。


――まあ、余計なことは、考えても仕方ねえ、この迷子を元いた場所に戻す、今はそれだけで十分だ。


オーガとなってから、深く考えることを忌避するようになった。

ウダウダと考える暇があれば、ダンジョンで暴れて回るほうがいい。

悩みとやらをいくら積み上げたところで、金属棒が魔物を打ち砕く感触には敵わないのだから。



 + + +



別方向へ行こうとするロスダンの首根っこをつかみながら進み、ついにはダンジョンを脱することができた。

空間を歪ませるダンジョンは、上手く使えば大幅なショートカットとなる。

集合場所は、きっともうすぐ近くだ。


「しかし、なんでまた夜中に散歩なんざしたんだ?」

「鬼、降ろせ。ボクは不満だ」

「フラフラどっかに行かなきゃそうしてやる」

「ボクは迷宮」

「だからどうした」

「迷わせるプロだ」

「今、お前が迷ってんじゃねえか」

「……他の人の悩みを理解することも、きっと大切」

「それは他人に任せとけ、というかロスダン、お前ぜってえ普通に迷子になりやすいだけだろ」

「なにを言う、ボクだってやろうと思えば正道を行ける」

「お前が指さしてる方向、来た道だからな?」


首根っこを捕まれプラプラと揺らされながら、それでもロスダンは偉そうな姿勢を崩さなかった。

顔の高さまで持ち上げ、オーガは宣告しておく。


「今ここでは、俺がトップだ。お前の意見は聞けない。勝手にうろつくな」

「このまま戻るつもり?」

「ああ」

「忠告する、それ、やめたほうがいい」

「はあ?」


どうやったのか、拘束を振りほどき、ロスダンが着地していた。

身長差の関係で、彼からすれば見下ろす形となった。


「嫌だった、それが理由」

「あ? なんの話だよ」

「夜中に抜け出して散歩を開始した訳。ボク自身にも根拠のわからない、いやな予感があったんだ。あの場であのまま眠ることは、ボクの偉大さを損なうと思えた。だから、距離を取ることにした」


まじまじとロスダンを見るが、そこに冗談やからかいの色はなかった。


迷宮化した人間に、特殊な能力が備わることは確かにある。

飛行系の魔物ばかりを収納している迷宮人は浮遊できる。


内部に溜め込んだモンスターのスキルを、外部の迷宮人も得る。

子供のたわ言だと一蹴するには危険すぎた。


「……ロスダン、お前のその直感の的中率は?」

「わからない。ちょっとしたものなら八割を超える。けど、ここまで盛大かつ大規模な予感ははじめて。だから、ボクは一刻も早く距離を取らなきゃいけないって、そう思って逃げ出した」

「クソ、頼むからそういうことは、もうちょっと早く言えよ」


考えてみればおかしな話ではあった。

ロスダンが上手く逃げ出すまではいい。


だが、これだけ時間がたったというのに、一向に迎えが来なかった。

足跡を隠すなどの工作をしていないというのに、百戦錬磨の怪物が誰も追跡できていない。


迷宮人とは、チームにおける命綱だ。

水、食料、あるいは武器防具の予備などの一切を引き受ける。


これだけ進んだにもかかわらず、未だに誰とも出会わないことが、そもそも異常事態だった。

ライフラインよりも優先すべきアクシデントが起きている。


「あ、それは問題ない」

「何がだよ」

「あのままボクが外へと逃げ出す選択も、同じくらい嫌な予感がした」

「囲まれてるってことじゃねえか」


怪物の集合場所には危険がある。

そこから逃げ出し外へと向かっても危険が待ち受ける。


行くべき道がなかった。

このロスダンの言葉を鵜呑みにすればという前提ではあるが、窮地に立たされていた。


「だからオーガ」

「なんだよ」

「今すぐ、ボクの配下となれ」



 + + +



迷宮はモンスターを生成する。

それは、迷宮が持つ自然な能力だ。

しかし、それらモンスターに対して、命令権を持てる迷宮人は少ない。


生成されたモンスターは好き勝手に暴れ、場合によっては迷宮そのものを損なう。

モンスターは、迷宮自身にとっても敵だった。


だから他と協力し、「発生したモンスター」を間引く必要があった。

中でも「迷宮の後押しを受けてモンスターを倒す」ことを専門とし、契約を結んだものを配下(サバディネイト)と呼んだ。


「オイ」

「なんだ」

「それは、俺にモンスターになれ、って言うのと変わらん」

「これ、そこまでのことだったの?」

「わかってないで言ったのかよ」


ファンタジーが人類を変えた。

これは、そのファンタジーを乗り換える作業に近かった。


怪物としてのオーガを否定し、迷宮に傅く存在となることを意味する。


「再変異の強制だ、どんな種族になるのかもわからん」

「ふむ」

「だいたい――」

「どうした」


お前の言ってることが本当かも怪しい――

その疑問は口に出さなかった。


ロスダンの態度は平静を装っているが、あきらかに追い詰められていた。

どこよりも安全なはずの場所から逃げ出し、ろく視界のきかない状況から崖下へと落下し、そこで止まらず移動を続ける程度には。


「……」


彼がここに来たのは、安全に稼ぐためだった。

ノービスを引き連れて来たのは、上位怪物への歓心を買うためだ。


すべては安全に儲けるためだ。

この選択は、逆だ。ただ損するだけのものに思える。


危険の根拠は、どこまで行っても「ロスダンの直感」以外にありはしない。

いまだに危険の予兆すら実際には見えていない。


初対面に近い相手に、己のすべてを預けることはできなかった。


「駄目だな」

「む」

「ロスダン、お前が本気なのはわかる。本当に危険が迫ってるのかもしれねえ。だが、それでも俺がオーガであることを、簡単には捨てられねえよ」


ここまで生きてきた。

オーガとして暴虐を振るった。


ならば、怪物として退治されるのも、一つの選択だ。


「そうか、わかった」

「悪いな」

「なら、ボクはここで別れることにする」

「おい?」

「ボクが生き残れる道は、もっと細くなった。それでも生き残ってみせる」

「いや、さすがに――」


子供の姿をしたやつを一人ほっぽりだすのは寝覚めが悪い――

そうした言葉を言おうとした。


「……」


できなかった。

喉に手を当てる。

やけに脈動が速い。


だが、空気が出て行かない。

呼吸をすることができない。

声などもちろん出せない。


瞳孔が開いて行くのを自覚した。


――なんだ、これは?


疑問はすぐに答えに行き着いた。


――毒だ。これは、覚えがある……


オーガは頑強だ。

怪我にも病気にもなりにくい。


だがそれは、毒が効かないことを意味しない。

致死量がノービスよりも多いだけでしかない。幾種類かは、オーガにのみ効くものすらある。


実際、以前に別のダンジョンで罠を踏み、似たような状況となったことがあった。

毒矢は掠っただけでも致命的だった。


だが、今はその心当たりがない。

ダンジョンと言いつつも、今進んでいるのは簡単に通り抜けられるものだ。罠などすでに取り除かれている。


――いつだ、俺はいつ毒を受けた?


「鬼? どうした」


迷宮人の声。

そこに揶揄する音も、含むような物言いもない、ただ単純に心配を表していた。


だから、これは敵ではない。


なら、誰だ。

誰がやった?


いや、そんなことは考えるまでもない。

決まっていた。


「ロスダン――」


かすれた、ごく小さな声で。


「逃げろ」

「え」

「冒険者だ」


そう伝えるのが精一杯だった。


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