02 婚約者であるということ

 お手紙が届いております、というレベッカの声に、また実家からだと思ったのだが予想は大いに外れてしまった。読みかけの本に栞を挟んで閉じれば、テーブルの上に数十通にも及ぶ封筒をずらりと並べられる。


「これはパーティー……の招待状?」


 ええ、とレベッカが頷く。どうやらわたしがサイラス様の屋敷に滞在しているあいだに、婚約の話が広がってしまったのだろう。麗しき騎士団長の婚約者にぜひともご挨拶したい、という思惑が透けて見える。


 ドロシアのお茶会への招待状もまた届いていたが、いつもとは文字さえ違う。どうやらいままでは使用人に代筆させていたようだが、彼女が重要な招待客と見込んだ相手には直筆になるらしい。まあ、いまとなってはどうでもいいのだけれど。


「……出席、したほうがいいのかしら」


 じっと山のようになった招待状を眺めていると「いいえ」とあっさりレベッカから返事があった。


「え?」

「一応ご覧いただきましたが、このどの招待も受ける必要がない、とのことです」

「サイラス様のご命令、というわけね……」


 ええ、とレベッカが頷いた。さ、とテーブルの上に広げられた招待状を重ねてあっという間に撤去してしまった。別に出席したかったわけではないが、まだすべてに目を通したわけではない。数に圧倒されていただけだ。


「あの、レベッカ」

「はい」

「……サイラス様はどうしてわたしの外出を嫌がるの?」


 レベッカは眉ひとつ動かさずに「それほどリーリエ様が大事なのでしょう」と感情のこもらない声で述べた。


「大事だからと言って、外に出さないというのは極端では」

「リーリエ様はご存じないかもしれませんが、屋敷の外は危険がいっぱいなのです。強盗に人さらい、魔獣だって出ます」

「魔獣……って、わたしは見たことはないけれど、ラスグレーンの森林地帯に生息しているっていうあの魔獣?」

「ええ、それです」

 

 オディール王国の王都よりはるか北東にあるラスグレーンの地は王族の狩猟場として有名な地域である。年に一度、秋に開催される狩猟大会では森林地帯に騎士たちが入り、魔獣を狩ることで有名だった。


 獣が魔力を帯びて姿かたちを変えてしまったものをオディール王国では通称、魔獣と呼んでいる。百年ほど前は魔獣の数は少なかったものだが、近頃のラスグレーンでは獣よりも魔獣の数の方がはるかに多くなりつつあった。

 馴らされていない野生の魔獣は、人家や家畜へ危害を加えかねないため危険だと言われている。


 狩猟はかつて貴族の嗜みと言われていたが、獲物がただの獣ではなく魔獣へと変わったことによってろくに戦闘訓練を受けていない貴族子息程度では討伐がかなわなくなった。

 騎士団に所属する騎士たちが増加した危険な魔獣を狩り、討伐数を競う大会へと変わったのだ。ちなみに昨年度の優勝者は、サイラス・エルドラン卿らしい。無造作に棚の上に優勝のトロフィーが置かれてあるのを見た。


「さすがに魔獣を王都で見たという話は聞いたことがないのだけれど」

「ええ、私も耳にしたことはありませんね」


 しれっとレベッカが言ったので、わたしはむうと頬を膨らませた。


「ですが、サイラス様はいつだって本気です。あなたが無断で外出をしようものなら何を置いてでも馳せ参じるでしょう」

「そんな馬鹿な……」


 いいえ、と生真面目な表情を崩さずレベッカは応じた。


「あの方は、あなたのためならなんだってなさると思いますよ」

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