藤の雨。

桜庭ミオ

第1話 雨

 パパも私も静かにテレビを見たり朝ご飯を食べてるのに、ママは一人でペチャクチャ喋ってる。

 学校はどうなの? とか、友達はできた? とか、うるさいんだけど。


 中学校に入学してから、同じこと聞き過ぎなんだよ。とは言えない。

 言ったら、ママは感情的になって、よけいにうるさくなるからだ。


 心配してるのは分かるけど、今はそっとしておいてほしい。


「リサちゃんと同じクラスなのに、なんで仲良くしないの?」


 そんなこと聞かれても困る。


 仲良くしていたはずだった。


 リサとは家が近くて、小学校から一緒だった。幼稚園では仲良しな子がいなかった私は、ものすごく嬉しくて、初めての友達という存在に浮かれていた。

 いつも話しかけてくれてたし、毎日のように一緒に遊んだ。


 小さい頃から何度も、大好きだよって言ってくれたし、手紙もくれた。


 最初はリサちゃんって呼んでたんだけど、小三の夏休みに彼女が、『あたしたち、親友じゃん。だからリサって呼んで。あたし、柚葉ゆずはって呼ぶから』と言ったのだ。その時、初めて親友だと言われたので驚いたけど、じわじわと嬉しくなったのを覚えてる。


 リサが好きな食べ物をよく食べた。リサが好きだと言った漫画や小説や雑誌を読んだ。リサが見てるアニメやドラマを見ていたし、リサが好きな歌をよく聴いた。リサが好きだと言った相手には優しくしたし、リサが嫌いと言った人には近づかなかった。


 服だってリサが可愛いって褒めてくれたのをよく着てたし、髪型だってリサが好きって言ったショートヘアにしてる。

 リサが好きな色は赤とピンクで、『私も好き』と伝えたら、『柚葉は地味だから似合わない』って言われたので、それらの色は選ばなくなった。


 私にとってリサがすべてだった。彼女がいればそれでよかった。


 リサがいないと寂しくて不安で、孤独だと思ってた。だけど、あれは本当の孤独ではなかったのだと今では思う。


 中学生になって、同じクラスになった時、リサが喜んでくれて、嬉しかった。

 でもリサは、他の小学校からきた派手な子達と仲良くなった。

 派手な子達と楽しそうに笑うリサが羨ましくて、見てたらなぜか睨まれた。

 そして、リサは私を避け始めた。


 私が何かしたのかなと思って、勇気を出してリサに聞いてみたんだけど、教えてくれなかった。

 その後も気になって、何度もリサを見ていたら、クラスの子達に『キモい』と言われた。悲しくて苦しくて、泣きながらトイレに逃げた。


 家に帰る途中、舞い散る桜を見ながら泣いたし、家に帰ってからも、勝手に涙が出てたから、ママにいろいろ聞かれた。その時の私は何も言いたくなくて、部屋にこもった。


 小学生の時も、中学生になった時も、当たり前のように私がリサの家に迎えに行ってから学校に行っていた。

 だから、その翌朝も、迎えに行った。


 リサの家に行ったら、紅茶色のベリーショートヘアの女の人――リサのママがすまなそうな顔で出てきて、『ごめんねぇ。リサ、もう家を出たの。今日から一人で行くから、柚葉ちゃんとは行かないって言っててぇ。なんか最近イライラしてるし、反抗期かしらぁ?』と言ったのだ。


 その顔にも声にも言葉にも、両耳で輝く金色のピアスにも、ヒョウ柄ワンピースにも、香水なのか刺激的な匂いにも怒りを感じた。


 思い出してムカムカしている私に、ママが『リサちゃんのママも心配してるんだからね』と言う。

 そんなん知らんし。


 私をムシしてるはリサなのに……。


 あー、ムカつく。ママがリサのママのこと好きなのは分かるけどさ、私は聞きたくないのに。


 ネット動画で見たヨウムみたいに一人でしゃべり続けるママの声を聞き流しながら私は、テレビに映る藤棚をぼんやり見てた。藤色って地味だし、嫌いだったのに、なぜか気になる。


 藤は樹齢が長く、フジという言葉の響きが『不死』と近い聞こえ方をするため、縁起が良いと言われているのか。


 藤の花言葉は、優しさ。歓迎かんげい。そうなんだー。

  藤の雨。 藤の花の咲く頃に降る雨かぁ。ふーん。


 やわらかい目玉焼きと、カリカリのベーコンはマヨネーズをかけて頑張って食べたけど、味がよくわからなかった。その前に食べたバナナも、なんか変で。


 バナナを食べながら飲んだ豆乳は、昔から好きではなかったから、おいしいなんて思ったことはないのだけれど、前よりも飲みにくいと感じた。


 最近、何を食べても飲んでも、匂いと味が、おかしい気がする。家の食事も、学校の給食も、おいしいとは感じない。


 タケノコとエノキの味噌汁も、ペラペラとしたサケも、玄米ご飯もおいしくないんだろうなと思うと、食欲がわかない。


 でも、残すともったいないとか、頑張って作ったのにって、ママが騒ぐから食べなきゃだ。ああ、めんどくさい。


 ユウウツな気分で食事や歯磨きをしてから、二階にある自分の部屋で大きめの制服に着替えて、新しい学生鞄を持ち、ちらっと机の上にあるスマホに目を向ける。光らない。連絡はない。誰からも。


 スマホに連絡をくれるのは家族かリサぐらいで。リサからはあの日から連絡はない。泣き出しそうで。泣きたくなくて。顔を上げる。窓の向こうに、なまり色の空。


 パチンと電気を消して部屋を出る。


 嫌だな。学校、行きたくないな。今日行けば三連休だけど。


 学校に行っても、授業に集中できないし、休み時間は寝たふりしたり、読書したりしてるけど、なんか、動物園のナマケモノになった気分なんだよね。視線を感じるし。トイレは人が多いから行きづらい。


 だるいな。眠い。寝ても怖い夢見るから、あまり眠れてないもんな。

 リサに会うのが怖い。また仲良くなれたらいいなっていう気持ちもあるけど、もう無理な気がする。


 同じクラスじゃなければよかったのに。


 私はゆっくりと階段を下り、一階のリビングにいる両親に「行ってきます」と挨拶をした。


「ああ」

 短い返事はパパ。


「傘、持って行きなさいよ!」

 ママに言われて、そんなの分かってるとは伝えず、私は「はーい」と答える。


 早足で玄関に向かい、学校指定の黒いローファーを履き、水色地に白ドッド柄の傘を傘立てから取り、緊張しながら家を出た。


 むわんと、雨の匂い。土と草の匂いもする。


 リサ、いないといいな。そう願いながら歩く。

 それなのに、出会ってしまった。


 黒い学生鞄と、ローズピンクの傘を持ち、スタスタ歩いていた彼女は、私の気配を感じたのかふり向く。

 目が合う。嫌そうに顔をゆがめたリサを見て、ぶわっと熱い涙が流れ出す。


 泣くな泣くな泣くな! 

 ドキドキし過ぎて、胸が痛くて苦しくて。

 私は泣きながらリサに背を向け、駆け出した。

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