第21話

 ナイター照明の灯る中、もうまもなく紅白戦の第一試合が開始される。

 僕は重苦しい不安を引きずったままスタートポジションへついた。ハーフウェーラインに隔てられた自陣の左サイドレーンに立ち、ざっとピッチ全体をみわたす。

 

 赤いビブスがD1(自チーム)、青いビブスがD3。

 相手チームのプレーヤーは皆、目をギラつかせている。活躍して上位チームのメンバーを引きずりおろしてやる、といった腹づもりだろう。


 主審を務めるのは、Dチームのアシスタントコーチ。メインの永瀬コーチはピッチサイドから指示やアドバイスを送る役。線審は試合に出ていない他チームメンバーが務める。

 前線でキックオフを迎えるのは小学生以来だ……懐かしさと戸惑いを抱いていると、長いホイッスルの音が響く。


 センターサークルに立つ白石くんが自陣深くの味方へとパスを戻し、キックオフ。

 ふわふわした意識のまま、僕は敵陣の奥を目指して走りだす。

 ファーストプレーはロングボール――栄成サッカー部の全メンバーが持つ共通理解である。というか、現代サッカーのセオリーだ。


 試合開始の直後は両チームとも陣形が整っておらず、攻めるにしてもまずは前線を押し上げたい。また相手も前から激しくプレスをかけてくる。このような状況においてロングボールは、目的を果たしつつリスク回避を可能にする有効的な一手となる。


 実際、赤(自)チームのCBは大きく蹴りだした。無論、敵陣の奥へ侵入しているのは僕だけではない。バイタルエリアの中央付近で、味方CFがヘディングで競るのを目視した。


 続けざまにセカンドボールを拾ったのは、『10番(ビブスなので意味はない)』を背負う白石くん。


 幸先よくチャンス到来。相手ディフェンスは、僕を含めて前線のアタッカーを捕まえきれていない。そんな中、彼はドリブルを選択。スムーズにトラップするや、ペナルティエリアへ向けて加速する。


 もちろん中盤で自由にプレーさせるほど相手も甘くない。即座にDMFとCBが寄せてきて挟みこまれてしまう。

 途端に勢いを弱める白石くん。だが間髪いれず、足首を柔らかく使ってアウトサイドのグラウンダーパスを送る。高いセンスが光るトリッキーなプレーだ。


 ボールは敵陣右サイドの奥深くへ転がる。ほぼ同時に、赤いビブスを靡かせた右SHがライン裏のスペースへ抜けだしていた。

 オフサイドフラッグは上がっていない。マーカーである相手SBよりも一歩速くスプリントしており、このままクロスを蹴れたら得点機となる。


 折り返しを予測してペナルティエリア中央で構える味方CFを視界に収めつつ、僕もファー(遠い)サイドへ侵入。やや遅れて白石くんまでもが最前線へ飛び込んできている。


 次の瞬間、ボールはあっけなくゴールラインを割る。

 猛追していた相手SBが体をうまく使ってコースへ入り、ギリギリのところでオフェンスの選手を完全ブロック。

 青(相手)チームは、キックオフ直後のカオスに発生したピンチを見事に凌ぐ。


「先に動き出して追いつかれんな! グズがッ!」


 始まった……まだ数分と経っていないのに、はやくも暴君が御成りあそばした。

 先程の攻防は、相手の粘り強いディフェンスを褒めるべき場面だ。にもかかわらず、白石くんは味方を全力で叱責する。

 自分がターゲットにされたわけでもないのに、心臓がビキリと嫌な音を立てた。


「はっ……はぁ、はぁ……」


 あの怒りが自分へ向けられる場面を想像するだけで全身がこわばる。はやくも不可視の鎖でがんじがらめだ。

 もはやサッカーどころではなく、走るだけで精一杯。こんな状態ではバカみたいなミスをかまし、ブチギレた暴君に罵倒を通り越してぶん殴られかねない……ところが、僕がプレーする機会はほとんど巡ってこなかった。


 理由は、当の本人にある。不安の種である白石くんのプレー選択は、どうにも『利き足側』に偏っていた。

 つまりボールを保持する際はヘソが右を向きがちで、逆サイドへ視界が通りづらいのだ。あるいは、最初から僕のことなど眼中にないのかも。


 いずれにせよ司令塔が右サイドばかりを使うため、僕や玲音はほとんどボールに絡むことが出来ないでいた。幸いというと語弊があるが、個人的には好都合だ。

 それでも同学年の主力が揃い、実力で勝るD1チーム。白石くんの際立った活躍もあり、結局は『2-0』で白星を手にする。


 次の第二試合はD2が勝利した。これにより第三試合は、順当にD1とD2の対戦となる。

 そして、休憩を挟んで始まった最終ゲーム。キックオフ開始から、赤いビブスを着るD1の前線は一斉に相手陣内へ攻めこむ。みんな初戦の勝ちで勢いづいていた。


 対する青ビブス着用のD2は、逆に落ち着いた対応をみせる。

 相手は主にサブメンバーで構成されており、思った以上に両チームの実力差は小さい。にもかかわらず、やはりD1のオフェンスは右サイド中心だった、というか偏重。

 そうなれば受け止められて当然だし、時間経過にあわせた順応もしやすかろう。


「動いてパスコース作れ、少しはアタマ使え!」


 照明光が注ぐピッチに轟く白石くんの罵声。身をすくませつつスコアボードをチラ見すれば、あっという間に試合時間は10分が経過していた。

 ゲームのテンポにも慣れ、そろそろこちらのビルドアップのクセを掴まれてもおかしくない頃合いだ……と僕が警戒を強めるや、さっそくボールをカットされる。


 的中する悪い予測。

 ミスが発生した場所はミドルサード(ピッチ中央)付近。


 白石くんと右SHを中心にパス交換を行い、前線へ抜け出そうとする――相手は完全そこを狙ってきていた。まんまとプレスにハメられてボールを失い、そのままカウンターをくらう。


「おい戻れ、右サイド使われんぞッ!」


 僕は思考を守備に切りかえ、自陣へ向かって猛スプリント。

 本来なら即座にプレスバックを行い、相手の攻めを少しでも遅らせる場面だ。しかし白石くんは、ただ指図するだけで帰陣する気配を見せない。なんならゆっくり歩いていた。加えて、ミスに絡んだ選手たちのトランジションまで遅い。


 すると、どうなるか……栄成サッカー部は『ゾーンディフェンス』を採用している。特定の選手をマークするのではなく、受け持つエリアを決めて全体で連動しながら守備をする戦術だ。

 よって人がいなければ、その分だけポッカリとスペースを空けてしまう。


 まして今はカウンターに晒されている最中――ディフェンス陣は数的不利に陥り、前線のカバーも期待できない。ならば当然、広範なスペースを利用されて守備対応は困難を極める。


 事実、右サイドからもっとも危険とされるバイタル中央へボールが供給される。そのうえ、パスを足元に収めた相手CFはドリブルでペナルティエリア目前へ到達。


 危機的状況だ。守備ブロックはボールロストした右サイドへ偏り、形勢不利は明らか。

 プレッシャーをかけるべく、僕も後方からボールホルダーをチェイシング。けれど時すでに遅く、ほぼフリーの状態から自陣ゴール前、左ニアゾーンへ決定的なパスを送られる。


 遅れを取り、ポッカリと空いているエリアを狙われた。

 相手チームのOMFが、パサーを追い越してやや膨らむようなコースで走り込んでいる。


 丁寧かつ質の高いラストパスに、受け手はダイレクトシュートで応える。キーパーのポジショニングからしても失点は確実――かに思われた。


「どッ、りゃあぁぁあ!」


 相手OMFが右足を振り抜こうとした瞬間、我がチームの左SBをつとめる玲音が体を投げだしてシュートブロックを敢行。中央よりにスライドしていたが、かろうじて戻りが間に合った形だ。

 打音を響かせて跳ね返ったボールは、大きくゴールラインの外へ飛んでいく。


『ナイスディフェンス!!』


 観戦していたメンバーや永瀬コーチの口から称賛の言葉が飛ぶ。赤チームのディフェンス陣も間一髪のビッグプレーを褒めちぎる。


 続くコーナーキックはしっかり体制を整えて無難に防ぐ。さらに相手のミスによってボールはタッチラインを割り、いったんプレーが途切れた。

 そこで僕もポジションへ戻る前に、近くの玲音を称えた。


「ナイス、よく間に合わせたね」


「ギリだったぜ。俺のいるサイドから簡単に点を取らせてたまるかよ」


 くどい返事はともかく、気持ちのこもったディフェンスはチームの士気を上げる。このまま悪い流れを断ち切れたらいいが……と思案する僕に、玲音は手招きしてひそひそ声で言う。


「シロタカのディフェンスは信頼できん。だから兎和、お前が中央をカバーできるようなポジショニングでプレーしてくれ。俺もサポートする」


「……オーケー、意識しとく」


 玲音の提案の正しさは、後のゲーム展開が証明してくれた。

 白石くんは攻撃にリソース全振りで、ディフェンス時は基本ポジション放棄。ボール失ってもプレスバックせず、やっても軽く相手のパスコースを切るだけ。


 繰り返しになるが、栄成サッカー部の守備はゾーンである。人ではなくスペースを埋める戦術なわけで、味方がサボった分は誰かが代わりに穴埋めしなくてはならない。

 そしてポジション的に、カバーへ入るのは僕が適役。二人分のスペースを意識した場合、どうしても下がり気味でのプレーを余儀なくされる。


 この選択により、D1はゴールから遠ざかった。

 もとよりオフェンスは、『期待の新人たる白石くん』を要に組み立てるため右サイドへ偏っている。相手からしてみれば単調で守りやすいことこの上ない。


 おまけに僕の攻撃参加が減った。そのせいで前線のプレーヤー数で劣るようになり、多くの局面においてディフェンス有利の状況が発生したのである。

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