第18話

「総合的に期待以上の好記録よ。やっぱりアジリティはずば抜けているわね。トップスピードも素晴らしいけれど、なにより初速が爆発的なの。これは本当に驚異的だわ……さらに嬉しい誤算として、懸念していたドリブルスピードとコントロールの数値も上々。サイドアタッカーとしてのポテンシャルでいえば極上ね。こんな逸材が、同じ高校の同じ学年に在籍していたなんてちょっと信じられない気分だわ」


 満面の笑顔で、興奮気味にまくしたてる神園美月。

 一方、横に座る僕はちょっと困惑気味。他人に褒めてもらった経験が圧倒的に少なく、どう対応していいかわからなかった。


「ちょっと気になったのだけれど、兎和くんはスプリントフォームを誰かに習ったことある?」


「ああ……習ったというか、父考案の自主トレで身につけたって感じかな。僕は幼い頃からラダートレーニングの類を継続して行っていて、それで習得した。でも、やっぱ変なフォームだった? ジュニアユース時代も、チームメイトに『バタバタしてダサい』とかバカにされまくっていたんだよなあ」 


 父の考案する自主トレにはフットワーク関連のメニューが多数存在する。とりわけスプリントフォームに関しての執着は強く、徹底的に矯正されて現在のフォームへ至る。


 個人的にも走りやすくて気に入っている。だが、他人の目には見苦しく映るみたいで、ジュニアユース時代に『ブサイクフォームスプリンター』というあだ名を拝命するキッカケともなった。

 

「ブサイクフォーム……本当に元チームメイトはろくでなし揃いだったのね。いい? 兎和くんが体得した動作は、一般的に『ハイピッチスプリント』なんて呼ばれるテクニックよ。ドリブルを行うのに最適で、史上最高のサッカー選手の一人である『リオネル・メッツ』も同様のフォームの持ち主として知られているわ」


 隣に座る神園美月は、続けてハイピッチスプリントの利点を列挙した。

 その名の通り、スライド(歩幅)よりもピッチ(歩数)を優先させた走法である。


 通常よりも足の回転数が高くなれば、同じぶんだけ足の接地回数も多くなる。比例するようにドリブル中のボールタッチも増え、それはパスやシュートを選択する機会の上昇へ発展する。


 他にも接地状態で実現できる動き、つまり方向転換や加速に減速といった選択肢までもが加算されるため、極めれば変幻自在の対応が可能となる。


「音楽で例えると理解しやすいかな? 普通の人の動作がアレグレットだとしたら、兎和くんはヴィヴァーチェね。テンポが異なるから、人よっては早送りみたいに映るかも」


「びばーちぇ……? 余計わかりづらくなったけど、サッカー界のレジェンドと比較するのは流石に大げさだってわかる。メッツと僕じゃ天と地ほど違う……つーか、僕以外にブサイクフォームスプリンターとか呼ばれている人間なんていないだろ」


「そのブサイクフォーム……ちょっとバタバタしているように見えた原因は、体幹筋が未発達だったせいだと思う。姿勢を制御するパワーが不足していたのね。でも、今は大丈夫。体の成長がやっと追いついてきたのよ。少し独特だけれど安定していて、滑るように走っていたわ」


 これまでは体幹の筋力不足で、スプリント時に姿勢を支えきれていなかったらしい。その場合、上半身が激しくブレると予測され、他人の目には見苦しく映る可能性が高いのだとか。


 しかし現在はしっかり全身をコントロールできている。自主トレを中心に、キツい体幹トレーニングを重ねてきた成果だ。


「……僕も、ちゃんと成長していたのか」


 インナーマッスルの発達は、アウターマッスルと違って視覚に反映されづらい。だから指摘されるまで気づきもしなかった。


 それにしても、神園美月は本当にサッカーが好きなんだなあ。ドリブルに適したスプリントフォームを熟知している女子高生が、現在の日本に何人いるだろうか。下手したらイリオモテヤマネコより希少かもしれない。


「ねえ……兎和くんは、お母さまに栄養管理をしてもらっているのよね?」


「え、うん」


「そのうえ、お父さま考案の自主トレーニングを受けているの? 頻度は? どんなメニューが多い?」


 何かを考えるような素振りを見せたかと思えば、怒涛の質問攻勢。

 話題の移り変わりについていけず僕は戸惑うも、日頃の食生活からトレーニングメニューまで包み隠さず明かす。もちろん、幼少期より継続中であることも。


「すごい。とてもプロフェッショナルね」


「笑っちゃうだろ? うちの両親ときたら、『息子をJリーガーに』なんて本気で夢みているんだから。僕なんかがプロになれるはずないのに……」


 話を聞いて感心を示すやいなや、一転して黙りこむ神園美月。

 多分、呆れてしまったのだろう。冷静に考えてみれば、僕みたいな無能がプロサッカー選手を目指すなど分不相応な夢でしかない。にもかかわらず、両親から過剰なサポートを受けている。まったくの骨折り損だ。

 

 ところが、およそ30秒後。

 彼女は予期せぬ言葉を口にする。


「なるほど。そういうことだったのね」


「なにが……?」


「兎和くんの素晴らしいアジリティをはじめて目にした時、私は『未来のJリーガーを見つけたかも』と思った。でも、それは必然だったのよ。だって兎和くんは、『Jリーガーになるべくデザインされて育った人間』なのだから」


 また突拍子もないことを言いだした……彼女は、わりと思い込みが激しい。具体的には、僕の30メートル走をひと目見ただけで『Jリーガーになれるかも』と盛り上がっちゃうくらいの完全フィーリングドリーマーである。


 どうにも、うちの両親と似たような思考回路の持ち主らしい。けれど、相手は神園美月。頭脳明晰な超絶美少女は、根拠のないデタラメなど口にしないのだった。


「ご両親は、兎和くんの運動能力の飛躍にあわせてプロになれると期待を抱くようになった……ううん、順序が逆ね。おそらく、幼少期からずば抜けたアジリティを発揮していた。つまり、その体に宿る才能をいち早く見抜いたのよ。だから『息子をJリーガーに』という夢を抱いたの。同時に育成プランを作成し、実行した」


 両親が、僕の才能を見抜いていた……?

 体の奥底が震えるような感覚を抱く。言われてみれば、心当たりしかない。


 ベンチに座ったままジュニアユース卒業を迎えるようなダメ息子だ。いくら親バカでも、普通だったら情熱も衰える。なのにうちの両親ときたら、年々盛り上がりが増すばかり。


「サッカーに本気で取り組む子供のサポートって、めちゃくちゃ大変なの。うちの兄がそうだったからよくわかる。兎和くんのご両親も、きっと計り知れないご苦労を重ねてきたのでしょうね――そしてその努力の上で、いま才能が芽吹こうとしている」


 親の贔屓目ってやつで熱心にサポートしてくれていると、僕はこれまで漫然と考えていた……けれど、違った。その思いには、きちんとした出発点があったのだ。


「そうか……父さんと母さんは、僕のことをずっと信じてくれていたんだな」


 唇の端をキュッと噛んで、不覚にもこぼれ落ちそうな涙をこらえる。

 僕はまだ、何かを成し遂げたわけじゃない。ただ全力でフィジカル測定をこなせただけ。個人的には大きな一歩に思えるが、この感情はふさわしい場面まで取っておくべきだ。


「素敵なご両親ね」


「うん。本当にそう思う……ありがとう、神園さん」


「どうしたの? 急に」


「両親の偉大さに気づかせてくれたから」


 当たり前のように享受している日常は、溢れんばかりの愛情で満ちていた。

 僕は大馬鹿者だから、彼女が教えてくれなければきっと知りもしなかった。だから本当に感謝している。ありがとう、なんて言葉だけじゃ足りないくらいに。

 いつか恩返しすると、心に固く誓う。


「ダメよ、それじゃあ感謝の気持ちが伝わってこない。やり直しね」


「あ、やっぱ言葉だけじゃ足りない?」


「違うわ。神園さん、じゃなくて『美月』でしょ? 名前で呼ぶって約束したじゃない」


 あれは一方的な宣言で、約束したわけではない……けれど、僕はこの要求に逆らえそうもない。

 気恥ずかしいけれど感謝の思いをたくさん込めて、改めて伝える。


「美月、ありがとう。キミがマネージャーになってくれて本当に幸運だった。まだ一日も経っていないのに、もう感謝してもしきれないくらいだ」


「どういたしまして。よくできました、100点ハナマルね」


 美月は、タブレットから左手を離し、指でオーケーサインを作って微笑む。

 僕は顔の向きを変える。そのまま見つめていたら、うっかり恋に落ちかねない。

 代わりに見上げる夜空では、美しい三日月が静かに輝いていた。


「…………お二人さん、撤収作業おわったよ。ひどいよ、私だけに押し付けるなんて」


 誰かと思えば、外見は芋ジャージに身を包むクールビューティーにして、中身は生粋のニートたる吉野さんだった。

 美月の指示で撤収作業を行っていたらしく、いつの間にか機材と備品が片付けられている。任せきりにして申し訳ない。


「ありがとう、涼香さん。後で追加のプリペイドカードを渡すわね」


「あと片付けは大人の仕事です。気にしなくていいわ。さあ、帰りますよ。もう遅い時間ですからね」


 文字どおり現金な人である。

 僕もいくらか包むべきだろうか……なとど考えている内に、吉野さんは機材と備品を収めたダンボール箱を台車にのせ、さっさと帰宅準備を整えてしまう。やればできる人なのかも。


 名残惜しい気もするが、確かにそろそろ引きあげる頃合いだ。お腹も空いているし。

 僕たちは連れ立って芝生のグラウンドを離れる。一緒に歩くのは途中まで。二人は車なので駐車場へ、僕は駐輪場へ。

 立ち止まり、再度お礼と別れの挨拶を告げる。


「美月、今日は本当にありがとう。吉野さんもお手数おかけしました。それじゃあ、また」


「うん、兎和くんもお疲れさま。また明日ね!」


 一人になり、晩春の夜道を自転車で駆ける。なんとなく奏でた鼻歌の旋律が、閑静な住宅街へ溶けていった。

 僕は家につき次第、さっそく両親に「いつもありがとう」と心をこめて伝えた。二人は少し驚きながらも、すごく喜んでくれた。


 妹が「兎唯にはないの?」と寄ってきたので、同じように感謝を告げる。するとなぜか、追加でプリペイドカードを要求された。ネットショップで洋服を買いたいらしい。

 兎唯ちゃん、そんなんじゃ生粋のニートになってしまうよ。



――――――――

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