第15話

「そう…………ひどいイジメにあったのね。辛かったわね」


 話をきくなり、神園美月の表情が痛ましげなものへと変わる。おまけに『イジり』が『イジメ』へといつの間にかすり替わっており、予期せず同情を誘ってしまったらしい。どの段階で伝達ミスが発生したのだろうか。


「いや、イジりだろ? 監督とか保護者のいるところではみんな仲良かったし」


「あたり前でしょ? イジメなんて表立ってするものではないわ。隠れてやるから悪質なのよ」


 衝撃の事実発覚……僕はジュニアユース時代、チームメイトからイジメにあっていたらしい。 

 だが、理由がわからない。あまり社交的な方じゃなかったとはいえ、嫌われるほどでもなかったはず。


「なんとなく原因に見当はつくけど。私の想像でよければ聞かせましょうか?」


「た、頼む……」


「単純に嫉妬したんじゃないかしら。白石くんの走力は、そのままポテンシャルという言葉に置き換えられる。ポジションを争うメンバーからすればこの上なく厄介な相手ね」

 

 神園美月は語る。

 ずば抜けたアジリティは、サッカーにおいて最高のアドバンテージとなる。当初は僕も全力でフィジカル測定の類に挑んでいたのだから、同ポジションのチームメイトが勝手に脅威を感じたとしても不思議はない。


 事実、日本のサッカー育成年代は『俊足の選手』が優遇されやすい傾向にある。技術面はトレーニングによって向上可能だが、単純な身体能力は個人の天稟に大きく左右されるからだ。


「そこで誰かが、レギュラー奪取のために盤外戦術をしかけた。端的にいって、サッカーに関係しないところで敵を排除しようとしたのよ」


 実力でのポジション争いを避けた。仲間外れにすることで競合者の足を縛り、力を奪う。

 チームスポーツの性質を悪用した唾棄すべき行為である、と神園美月は断じた。


「白石くんがおとなしい性格だったことも利用されたのね。うまく他のメンバーを扇動してターゲットを孤立させ、精神的に打ちのめす。それが事あるごとに繰り返された結果、あなたは自己防衛本能に従って無意識に行動をセーブする状態へ陥った。よくあるマインドコントロールの手法ね」


「あ、あ、あ、あ…………」


 指摘に心当たりがありすぎて喉が痙攣をおこす。最も驚いたのは、イジメどころかマインドコントロールを受けていたという点だ……というか、マインドコントロールがよくあってたまるか。どこの修羅の国の常識だ。


「納得できた? いま述べたのが『最大』の理由よ」


「………………ちょっと待て。最大って、他にもなにかあるのか?」


「聞きたい?」


「お、おおぉぉお、教えてくれ……」


 本当は聞きたくない。だが、ここで真実を知っておかなければ、僕はまた同じループにはまってしまう可能性が高い。

 伴う痛みも受け入れる。自己の輪郭へ触れるのだから、我慢しなければ。


「ストレートに伝えるのは憚られるのだけれど……白石くんって、ちょっとコミュ障なところがあるでしょ。それも大きく関係していると思うの」


「ち……ちち、ちちちちっ、違うっ! 僕は断じてコミュ障じゃない! ほら、こうやってちゃんと会話できてるだろっ!」


「余計な一言がおおいタイプも立派なコミュ障よ。こんなにも可愛い私に向かって、さっき『紳士的』なんてセリフを吐いたのは誰だっけ?」


 完全に論破され、ぐうの音もでない。

 なるほど、僕はコミュ障だったのか。道理で人をよく怒らせてしまうはずだ。

 そういえば、ネットにも似たような情報がのっていたな……それとは別に、『自分を可愛いという女性は性格に難あり』とネットで見た覚えがある。


 僕がコミュ障だと無自覚だったように、神園美月も自身の性格を把握していないのかも。せっかくだから教えてあげるか。


「神園さんって、たまに性格に問題があるとか指摘されたりしない?」


「ほら、また言った。私は性格もすっごくいいのよ?」


 凍えそうな笑顔だった。ニッコリしているのに、目だけは殺し屋のそれである。

 僕はまたセリフのチョイスに失敗したようだ……うっすらと身の危険を感じたので、あわてて会話を本題へ戻す。


「イジメに関しては納得した。だからといって、僕の答えはかわらない。やっぱり永瀬コーチの期待に沿うプレーができるとも思えないし、なにより青春を謳歌するって決めているからね」


「青春……?」


「うん。今までサッカーだけやってきたから、高校では『恋と友情の青春スクールライフ』を満喫してみたいんだ」


 珍獣を見つけたとばかりに、またしても目を丸くする神園美月である。

 今更ながら、青い瞳がとてもきれいだ。よく観察すると、虹彩に模様のようなものが混じっていた。おそらく『アースアイ』と呼ばれる形質なのだろう。とても珍しいものを見た。

 

「………………白石くん。自分の30メートル走のタイムを覚えている?」


「まあ、うっすらとは」


「あの記録は、栄成サッカー部でトップよ。それどころか全国的に見ても突出している。ボールコントロール系の数値は平凡だったけれど、それは逆に必要最低限のテクニックを備えていることを示している。これらの事実は、あなたがサイドアタッカーとして高いポテンシャルを秘めていることの裏付けよ。しかもこの分析は、あくまで手抜きしたフィジカル測定の数値を根拠にしている。本来の実力を引きだし、明確な目標を設定しつつトレーニングを重ねていったらどうなると思う? 冗談抜きで『Jリーガー』にだって手が届くかもしれない。にもかかわらず、サッカーではなく青春とかいう曖昧な概念に限りあるリソースを注ぐというの? あなたは、無知な子供が道を踏み外しそうになっていたらどうする? 私なら絶対に止めるわ。力ずくでもね」


 こわいこわいこわい……神園美月がずいっと前のめりになるものだから、僕は同じだけのけぞった。怒涛の説得だか説教だかのセリフも、恐怖するあまり半分も頭に残っていない。

 それでも、要点は把握できた。彼女は大人しくサッカーをやれと言っているのだ。


 残念ながら、お互いの意見は食い違ったまま。いくら学校一の美少女の指示とはいえ、おいそれと従うなんて思うなよ。こちらにも譲れない一線くらいある。


「悪いけど、もう青春を優先するって決めたんだ。トラウマの件もある。高校三年間をサッカーに費やしたところで、僕は何者にもなれやしない」


 前のめり過ぎる神園美月を手のひらで押し返し、僕は毅然と己の意思を示す。

 他人に対してここまではっきり物申したのは始めてだ。多分、相手がストレートにぶつかってきてくれたおかげだろう。その点だけは感謝している。

 しかし、諦めが悪いのは困る。彼女は納得してない雰囲気をぷんぷん発していた。


「そう……参考までに聞きいてみたいのだけれど、白石くんは青春に対してどんなイメージを抱いているの?」


「え、イメージ?」


「そうよ。青春という単語から連想されるイメージは人によってバラバラでしょ? 夢、情熱、努力、友情、恋、挑戦、未来への期待、失敗から学ぶ痛み、新しい自分の発見……ほら、ちょっと考えただけでもたくさん思い浮かぶ」


 神園美月が指折り数えつつアオハルフレーズを並べる。

 すごい。驚くほど明確にイメージできている……対する僕の抱くイメージなんて、どれもふわっとしたものばかり。しつこいくらい青春なんて口にしておきながらこの体たらく。

 けれども、己の浅はかさを悟られるわけにはいかない。じゃあサッカーやれよ、なんて展開はゴメンなので適当に御託を並べ返す。


「僕の望む青春は……そう、友情とか恋がメインのやつ。友達とたくさん遊んで、卒業するのが惜しくなるような高校生活を送りたい。それで、あわよくば恋人が欲しい。高望みはしない。普通の女の子が相手だったらもう満足だ」


「うん、なんとなく理解できた。要は男女問わず交流して、最終的に楽しい思い出をたくさん作れたらいいのよね? 恋人は……白石くんって少し個性的だから、普通の女の子は好きになったりしないかなぁ。残念だけど諦めましょう」


「待て、いきなり僕の恋愛を切り捨てるな! しかもまったく残念そうじゃないし!」


「断腸の思いよ」


「せめて笑顔は隠せ!」


 神園美月という人物について、僕はおしとやかな美少女という印象を一方的に抱いていた。けれど、訂正しよう……実はかなりあけすけに物を言う性格らしい。

 会話の感覚が妹と似ている。高嶺に咲く孤高の百合から、我が家の庭で風にゆれる牡丹くらいにまで親近感が変化した。


「でも、よかった。これでサッカーを蔑ろにする理由はなくなった」


「は? どうしてそんな結論に?」


「だって、白石くんの望む青春とサッカーは両立可能だもの」


 前代未聞の衝撃が僕の全身をつらぬく。

 青春とサッカーは、それぞれ天秤の左右に乗せられていると決めつけていた。ところがそれは勘違いで、自ら選択肢を狭めてしまっていただけ。


 まさに目からウロコ。一度止まった心臓が再び鼓動をはじめたような心境だ……いや、待て。たとえ両立可能だとして、そもそも僕には難度が高いから見込みのないサッカーを諦めたんじゃなかったのか? なによりトラウマの問題が未解決のままだ。


「安心してちょうだい。私がまるっと解決してあげる。お望みの青春スクールライフをサポートして、サッカーの方もメンタル改善に協力する。つまり私と白石くんで、個人的な『マネジメント契約』を結ぶの」


「学校トップ美少女による青春マネジメント…………そんなの勝ち確じゃんっ!」


 胸に片手をあて、豪語するだけのことはある。

 神園美月は、現実離れした美貌の持ち主だ。そんな人物が『学校』というコミュニティに属していれば、まず周囲が放っておかないだろう。望むと望まざるにかかわらず、一般の何倍もの青春イベントが押し寄せてきたことは容易に想像がつく。


 押しも押されもせぬ青春上級者であり、マネジメントを任せるとしたらこれ以上ない人選だ。

 サッカーに関しては……まあ、彼女に『契約違反』と指摘されない程度にはつきあうか。僕のトラウマの深刻さを理解すればきっとすぐに諦めてくれるさ。


「気づいたようね……そう、私は常人と比較にならないほどの青春エピソード持ちよ。中学時代なんて、毎週のように男子から告白されていたわ」


「す、すげえ……」


 さらっと恋愛漫画のヒロインみたいなエピソードを披露しやがった。普通の美少女じゃこうはいかない。

 迷いなく豪語してのける姿に、このうえない説得力と納得を感じる。黙って付いてきなさい、と青い瞳が強く訴えかけてくる。


「あ、でも私を好きにならないでね。前もって言っておくけれど、恋愛にはまったく興味がないの」


「自信過剰……でもないか。わかった、神園さんを好きにならないと約束する」


「ありがとう。正直、男子に告白されるとゲンナリするの。お断りの言葉を自分の都合のいいように解釈して暴走する人や、諦めの悪い人がたくさんいたから。特に面倒くさいのは『一目惚れタイプ』ね。よく知らない人とお付き合いするなんてありえないでしょ? なのに、けっこうな比率で食い下がってくるのよ。悪いウワサを流されたこともあったわ。名前も知らない男子から告白されるなんて、ただ怖いだけよ。どうしてそんなことも理解できないのかな」


「あ、それ妹も同じこと言ってた」


「白石くんには妹さんがいるのね。いいなぁ。もし私に妹がいたら、一緒にショッピングしてお洋服とかたくさん買ってあげたのに」


 うちの妹の兎唯ちゃんはとても甘え上手なので、神園美月と接触したら秒で『お姉様』とか呼び始めかねんな。まあ、会うことなんてまずないだろうけれど。


 それから程なくして昼休みの終了時刻が迫る。雑談を打ちきり、忘れずに連絡先を交換した。スマホの番号の他に、メッセージアプリのアカウントをフォローしあう。これにて契約成立。


 その頃になると、屋上にはほとんど生徒が残っていなかった。僕たちも早足で校内へ戻る。

 今更だが、神園美月と一緒に行動していると陽キャ連中の反感を買いそうだ……なんて思うが早いか、悪い予感は見事に的中する。


「神園、ちょっといい?」


「こんにちは、白石くん。何かご用かしら」


 声をかけたのは僕、ではなくもう一人の白石(鷹昌)くん。階段をくだり、一年生の教室が並ぶフロアへ足を踏み入れたところで遭遇した……否、待ち構えていた。

 取り巻きにサッカー部のメンバーを数人連れている。揃いも揃って、明らかに不満そうな顔でこちらの様子をうかがっていた。

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