第9話

 高校へ進学して十日ほどが経過した。

 新生活のリズムにも慣れ、僕は穏やかな日常を送っていた……平穏なのはいいが、望むような『青春イベント』がひとつも発生していない点だけが悔やまれる。

 

 とはいえ、まだ焦るようなタイミングじゃないことは明白。なにせ15年ほど生きてもろくに発生しなかったイベントだ。簡単に起こるのなら、それこそ今までの人生はなんだったのかという別の問題へ派生してしまう。


 なにより、釣りと恋と青春に焦りは禁物と聞くし。

 そんなわけで僕は授業が終わり次第、今日も今日とて見慣れた渡り廊下を歩き、サッカー部専用グランドへ向かう。


 我らが栄成高校サッカー部は、基本的に月曜の『全体オフ』を除いてほぼ毎日活動中。週末や祝日はほとんど試合で埋まっており、所属チームによって練習だったり休みだったりとバラバラ。

 上級生によって結成された新チームは、早くも『T1リーグ』や『関東高校サッカー大会(予選)』などの公式戦に出場して結果を残している。


 かなりのハードスケジュールに不満を抱かなくもないけれど、今のところ僕に抗う術はなく、せめてもの抵抗としてピッチに沿いを牛歩してみるもすぐに部室棟へ到着した。


「……失礼しゃーす」


 階段をのぼり、規則どおり挨拶をしてからロッカールームへ入る。間髪入れず「おっつー」と、着替えや雑談に興じていた同級生たちが適当な返事をくれた。

 僕も準備を整えるべく、自分のロッカー前のベンチにバックパックを下ろす。そこで今度は、見知った相手から声をかけられた。


「おっす、白石」


「あ、松村くん。どうしたの?」


 松村くんは、焦げ茶色のミディアムヘアにあっさりとした顔立ちが特徴の同級生である。僕とは初日のトレーニングでペアを組んだ間柄だ。

 見たところすでに着替え終わっており、グランドへ向かうついでに声をかけてくれたらしい。


「始まるまでボール蹴っててオッケーだってさ。シロタカが皆に伝えろって」


「そうなんだ。教えてくれてありがとう」


 お礼を告げ、他の部活メンバーとロッカールームを出ていく松村くんを見送る。

 サッカー部では、僕のことを『じゃない方』ではなく苗字で呼ぶ。かわりにもう一人の白石くんが『シロタカ』や『鷹昌』の愛称で呼ばれ、早くも一年生の中心人物として大いに存在感を発揮していた。


 そうこうしている内に僕も準備が整った。外の指定ゾーンでスパイクを履き次第、にぎやかなピッチへ出てボールを回しているグループにまぜてもらう。


「おっす、兎和」


「うっす、玲音」


 軽い挨拶と一緒にパスをくれたのは、先日仲良くなった山田ペドロ玲音。

 ボール回しを行う一年生グループはいくつかあったが、彼の姿を見つけて近寄ってみればすぐに反応してくれた。


 何も言わなくてもパスをくれるのは非常にありがたい。ジュニアユース時代は声をかける必要があって、僕はいつもタイミングに迷ってしまい輪に加わるのも一苦労だった。


「体どう? 筋肉痛やばくない?」


「バッキバキだよ。こんなキツいとは思わなかった……」


「わかる。俺はケツ筋がやばい。受業で椅子に座ってるだけでマジ苦痛だもん」


 玲音のグループに加わり、僕を含めた7名で会話しつつボールを回す。ここ最近の話題は、もっぱら限界まで追い込まれ悲鳴をあげている自分たちの肉体について。

 現在の一年生のトレーニングはフィジカル強化がメイン。ハードな筋トレに、タフな走り込みが行われている。


 特に後者、走り込みがかなりキツい。ただスプリントするだけでなく、激しい切り返しや細かいステップなどの動作などを交え、さらに要所でヘディングやボールコントロールまで追加される。部活おわりに皆ヘロヘロ状態でプロテインを摂取するのが恒例だ。


 現在、僕は朝のランニングを中断しているのだけれど、それもこの運動強度の高い部活動が理由。体力的にはまだ余裕があるとはいえ、さすがにオーバートレーニングに陥りかねない。


 もっとも、大半のメンバーはハードワーク大歓迎らしい。口では文句言いながらも、どれだけ疲れようと絶対に『楽』をしないのである。


 無論、寡黙な反逆児である僕は楽なの大歓迎。しかし手を抜くと悪目立ちしそうなので、可能な範囲で頑張っていたりする。


 思考に半分ほどリソースを注ぎつつパス回しをしていれば、ピッチで明るい声をあげる部員の数は徐々に増えていき、部室棟の監督室から指導陣が姿を現したところで『集合』の合図がかかる。

 走って半円陣を組む約130名もの部員たち。


「じゃあ今日も練習はじめるぞ。怪我だけはしないように、全員が集中してやること」


 よろしくお願いします、と部員全員で監督並びにコーチ陣へ挨拶して部活がスタート。

 まずは軽くランニングから。ここ最近は、アップの段階からチームごとにまとまって活動している。

 体が温まったらトレーニングゾーンへ移動。サブピッチの半面をCチーム、もう半面をDチームが使用する。


 さっそく円状に広がってストレッチを行い、続くステップワークなど毎度おなじみのアップをこなし、トレーニングはボールコーディネーションへ突入。

 各自が『三号球(重さは五号球と同じ)』を用意でき次第、順にダンスのようなリズムと独特なボールタッチでのドリブルが開始される。


 僕は順番を待つあいだ、いつも通り白石くんへ血走った目を向けていた。

 ボールを受けとる際に女子マネと笑顔で言葉を交わすなど、彼はトレーニングの合間で自然と『青春』の空気をふりまく。順風満帆な人生を送っていそうなイケメンへの嫉妬がハンパない。


 ――しかし本日は、逆に誰かに見られている気がして反対へ顔を向ける。

 途端にバチリとぶつかる視線。相手は、トレーニングウェア姿でDチームをメインで指導する『永瀬コーチ』だった。

 クセのあるミディアムヘアと端正な顔立ちを持つ色男が、まるで観察するみたいにじっとこちらを見ている。


 いや、こわっ。なんだろう……僕、なにかしたっけ?

 特段思い当たるフシはない。こちらが首をひねっている間に、永瀬コーチの視線の向きも変わった。単なる自意識過剰? 

 僕はひとまず、たまたま目があっただけ、と結論づけてトレーニングを続ける。


 だがしかし、今度は『パスアンドコントロール』の最中に視線を感じた。パスを出してスプリントした後、少し顔を動かしてみれば案の定永瀬コーチと目があう。


 まただ……いや、ホント何なんですか? まさか僕のモチベーションの低さを見抜いた? 

 それならそれで、叱責するなりして終わりにして欲しい。視線で訴えかけてくるなんてちょっとまわりくど過ぎる。


 ともあれ、ここは僕からアクションすべきか。決して手を抜いているわけではないと理解してもらう必要がある。

 方策にも見当をつけている。もっとも手軽かつ効果的なやる気アピールは、単純に『声』をだせばいい。


 トレーニング中、にぎやかなのはいつも特定のメンバーだけ(白石くんグループ)。その傾向を逆手にとり、寡黙タイプの僕が声をだせば「あいつ今日は気合入ってるな」となるわけだ。


 本当なら、永瀬コーチに直接問えばそこで終わる話。少々気が小さく、人見知りする僕ならではの迂遠な手法である……だって、「なんでこっち見てるんですか?」なんてきくのちょっと恥ずかしいし。仮に勘違いだったらその場で恥ずか死ぬ。

 決めたらさっそく行動。僕は体を動かしつつ、らしくもなく声を出してみる。


「集中していこうっ!」


「おい兎和、急にどうした。具合でも悪いのか?」


 同グループでパスアンドコントロールを行っていた玲音は本気の心配顔である。驚きすぎて、いつものクドい口調を忘れてしまうほどだ。

 というか、具合が悪かったら逆に声ださねーよ。ちょっとはこっちの事情を察してくれ……いや、今はこのラテン系イケメンにかまっている場合じゃない。継続的なアピールが必要だ。


「集中していこうっ!」


 僕は引き続き、トレーニングの合間に掛け声を発する。やってみて思った。普段はほぼ無言のせいか、極めて語彙に乏しい。

 まあ、内容なんてこの際どうでもいい。こうして『やる気』を示した今、きっと監視対象から外されたはず……あれ、また目があったぞ。


 そっと振り返ってみれば、またしても永瀬コーチと視線がかちあう。

 マジで何なんだ……アピール不足なのか、それとも別の理由があるのかは不明だが、彼はじっとこちらへ視線を向けたかと思えばふいとそらすことを繰り返す。


 こちらも諦めずに玲音が引くくらい声をだしてみたものの、問題は一向に解決しない。しかもこの謎の観察行為、なんとその日の部活が終了するまで続いた。


 そして災難は、その日だけにとどまらなかった。翌日も、またその翌日も、永瀬コーチから観察するような視線を送られた。


 ここまでくると、もはや身の危険すら感じてくる。いったい僕は、どのような理由から監視対象とされているのだろう。

 ともかく他人の視線が苦手な僕は、肉体的のみならず精神的にも負荷の高い日々を過ごすハメになった。

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