第4話

 好タイム(手抜きかつわりと遅め)を叩き出した50メートル走を終え、僕らは次なる『30メートル走』の測定ゾーンへ場を移す。


 マーカーで示されたコース両脇には数台の測定器が設置されている。三脚付きのカメラ型で、まとめて『5・10・20・30メートル』のタイムを高精度で測定可能なのだという。


 小泉さんから貰ったマニュアルに細かく記載されていたので、なんとなく頭に情報が残っていた。

 またこの種目は測定器の数が少ないため、担当コーチの立会のもと『一人ずつ』トライする形式となっている。


「ここは俺が先にいく。見とけ、最高記録を叩きだしてやる」


 白石くんが意気込むのも無理はない。

 サッカーにおいて走力は極めて重要なファクターだ。とりわけ短距離走、いわゆる『スプリント』と呼ばれる能力に秀でていることは、どのポジションの選手にとっても果てしないアドバンテージになる。


 なにより肝要なのは、試合中に行われるスプリントは、ほぼ30メートル以内の距離で完結すること――すなわち当種目のタイムは、今後のチーム選考やスタメン選抜に大きく影響するのだ。


「……チッ、こんなもんか。俺は次の場所へ向かってるから、終わったら勝手に追いついてこい」


 規定回数をこなすも、不満顔で舌打ちをする白石くん。

 最高記録だのと豪語していたわりにはけっこう遅かったような……しかも僕を待たずにさっさと先へ進んでしまう。


 規律を重んじるサッカー部的には問題行動だが、個人的には一人の方が断然気楽なのでむしろ大歓迎。あわよくばこのまま自然消滅を狙っていきたい。


「お、また白石の番か。同苗だとちょっとややこしいな」


 一人になった僕へ、30メートル走を担当する『永瀬コーチ』が声をかけてきた。

 少しクセのある黒のミディアムヘアに精悍な顔立ちの男性で、本日は僕と同じ有名スポーツメーカーのトレーニングウェアを着用している。

 年齢はたしか30歳。指導陣のなかでは最年少ということもあって部員との距離感が近く、サッカー経験者ならではの的確な指導が好評と聞く。


「そっすね。なんだったら『白石B』とでも呼んでください」


「いや、普通に名前で呼べばいいだろ。たしか『トワ(兎和)』だっけ?」


「あ、はい……」


「じゃあ兎和、スタート地点で準備して」


 手元のバインダーに挟んだ書類を確認しながら告げる永瀬コーチ。僕も指示に従ってスタートラインに立ち、ソロゆえの気楽さで開始の合図を待つ。

 ところがそこへ意外な人物が訪れ、中断を余儀なくされた。

 

「永瀬コーチ、ちょっとよろしいですか?」 


 楚々とした足取りで歩み寄ってきたのは、神園美月。

 はじめて彼女の近くに立ち、自分より少し背が低いことに気がつく。同時に、圧巻の美少女ぶりに改めて驚愕する。


 つやのある長い黒髪、澄んだ青い瞳、九頭身に近い超人的スタイル。凛とした佇まいからは、まるで冬の三日月のような気配が漂う。

 服装も洗練されており、ハイブランドのスポーツウェアを見事に着こなしている。そのままファッション雑誌の表紙を飾ったとしても不思議じゃない。


「おう神園、どうした」


「機材トラブルが発生したみたいで、立ち幅跳び担当のマネージャーさんがお呼びです」


「わかった、ごくろうさん。兎和の測定が終わったらすぐ対応する」


「よろしければ、お戻りになるまで私が受け持ちますよ? ついでに機材の調子をチェックしたいので。もちろん扱いも心得ていますから」


 どうやら問題が発生したらしく、見学していた神園美月がわざわざマネージャーのかわりに報告へ訪れたようだ。そのうえ手伝いまで買って出た。

 対する永瀬コーチは「頼んだ。すぐ戻る」と、あっさりバインダーを手渡して立ち去る。相手は部外者なのにいったいどんな信頼関係だ。


 他方、当然のように僕の意見は聞かれず、スタートラインで待ちぼうけ。悲しいかなモブは存在感が薄い。


「準備は整っているみたいね。白石くん、いつでもどうぞ」


 コースサイドの測定器をチェックし、ゴーサインを送ってくる神園美月。

 そう言われましても、と怯む僕。


 偶然にも、この場には学校のアイドル様とモブの二人きり。これで緊張しないわけがない。

 本当なら見学すらご遠慮願いたい……けれど「見ないでくれ」なんてお願いしようものなら、間髪入れず「こっちだってお前なんか見たくない。自意識過剰かよ」と冷たい声で返されるにきまっている。ついでにあの青い瞳で睨まれたら多分おしっこちびる。


 うう、恐ろしい……どうして僕はいつもこう間が悪いのだろう。ただでさえ人に見られているとダメなのに、よりによって神園美月が立ち会うなんて。

 このザマでは、おそらく本来の半分も力を出せないまま30メートル走を終えることになる。


 しかし、今さら引き返すわけにもいかない。ならばせめて『Cチーム』へ届くていどの記録は残せますように、と僕はダメ元でスタートをきった。


「わっ、すごい! 白石くんはとっても足が速いのね」


「…………あれ?」


「もしかしたら、サッカー部のトップ記録かも」


 しぶしぶ駆け抜けた一本目の記録は、かなりの好タイム。

 人に見られているはずなのに、いったいなぜ……?

 かつてない体のキレ具合に、スタート位置へ戻ってきた今も困惑が収まらない。が、少し頭を捻ってみたらすぐに答えがでた。


 ――神園美月の視線は怖くない。

 理由は明白。彼女のような天上人が、足元にも及ばないモブごときを意識するはずがないからである。


 両者の関係は、ライブ中のアイドルと何万もいる観衆に例えられる。

 大量のファンに囲まれたアイドルが、わざわざ観客の一人だけを意識するだろうか? ありえない。仮に目があったとしたら、それはたまたま視界に入っただけのこと。

 そもそもあの青い瞳を通して見れば、僕なんてきっと棒人間くらいにしか映らない……そう思うと、不可視の鎖から解き放たれたかのごとく体が自由を取り戻す。


 実際、続けて走ったすべてのセットで自分史上最高の記録を残すことができた。おまけにちょっと気持ちよくなり、大胆にも自ら神園美月へ声をかけていた。


「神園さん、ありがとう。おかげでのびのびできた」


「うん? 私は特に何もしていないと思うけど。でも、凄かったわ。この後の種目も頑張って」


「あ、うん……ま、任せろ!」


 ふふ、と笑みをこぼす神園美月。

 感無量。僕は今、めちゃくちゃ青春しているぞ……なんて興奮もつかの間、すぐに後悔が押し寄せる。


 いや、なにが『任せろ』だ。すぐ調子にのる自分が恨めしい……残す種目で全力をだせる自信なんてないくせに、勢いで見栄を張ってしまうあたりも始末に終えない。

 くそカッコ悪い……僕はひとり反省会を行いながら次の種目へ向かう羽目になった。

 

「おい、なんで神園が計測係やってんだ。しかもなんか喋ってたよな? 〝じゃない方〟ごときが馴れ馴れしく話しかけんじゃねえ」

 

 おまけに、不本意ながら合流した白石くんからお叱りのお言葉をいただく。

 彼の態度からして、神園美月に好意を抱いているのは明らか。とはいえ二人が親密な関係にあるという噂もきかないので、たんなる言いがかりにすぎない。


「ちょっとお礼を言っただけだよ……それくらい別に普通だろ」


「お前さ、鏡みたことある? そんなモブみたいな顔して、よく神園に近づけたな。存在のステージが違うことくらい自覚しとけよ」


 そ、存在のステージ……あの、ちょっと口悪すぎません?

 勇気をだして反抗してみたら倍返しをくらう。タイミング的にもメンタルがやばい。ただでさえ神園美月に醜態を晒してヘコんでいたというのに、さらにベッコリやられもはや修復不能。


 なけなしのモチベーションが底をつく。おかげで、残る走力系のタイムは散々。

 しかも僕はネガティブな気持ちを引きずるタイプのため、続けて行った『ドリブル系』や『スタミナ系』の測定でも一段と低調なパフォーマンスに終始する。


 結局のところ僕は、ほとんど全力をだすことなくナイター照明の灯るピッチを後にした。

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