第25話 キレイな女の子にはトゲがある



 *8



 夜の六国山ろっこくやまは、まさに異世界だった。


 自宅から自転車で、約一時間ほどかけて、風も無い熱帯夜の生温なまぬる湿しめった外気の中を、汗だくになりながら向かったわけなのだが。


 山に近づくにつれ、外気がだんだん冷たくなり、六国山に辿たどり着いた頃には、汗も次第にひいていくのがわかった。


 やはり真夏とは言え、緑豊かな森林に囲まれた夜の山は、涼しいということだろう。



 そして今は、山の入り口付近にある、一つしか無い心細い街灯の下にいるわけなのだが……。



 昼とは別世界だ。



 街灯の周りに広がる闇は、街灯の灯りと月の明かりがある分、余計に闇を濃くしている。



 駅周辺の繁華街とは違い、近くには民家も無いので──例えが非常にお祖末そまつではあるが。まるで日本昔話に出て来そうな、闇の中から妖怪が現れる山のようである。



 夜でも明るい場所しか知らない僕にとっては、この永遠に闇が続く少し肌寒い空間は、異世界としか思えなかった。



 灰玄かいげん……頼むから早く来てくれ!


 こんな場所に一人で居るのは──怖すぎる!



 はあ……、やっぱり断ればよかったな。


 今さら後悔しても遅いだけなのだが──目の前に広がる、暗闇と同化した雑木林ぞうきばやしが幽霊のように見えてきた。



 風に吹かれながら、音も無く静かに揺れ動く木々は、本当に幽霊のように見える。



 ────風?



 おかしいな。


 さっきまで、風なんて吹いて無かったのに。


 それに──僕の周りには風は吹いていない。目の前の木々だけが揺れているのだ。



 僕は闇の中で揺れる木々を、目をらして、じっと見てみた。


 ──────っ!?



 おい……ちょっと待て。


 今、一瞬だが、揺れる木々の中に人影が見えたような……。



 いや、これは気のせいだ。


 きっと怖いと思う恐怖心が作り出した、幻想だ。


 そう──絶対そうだ。そうに決まっている。



 変な事を考えるな、気をしっかり持つんだ九条鏡佑くじょうきょうすけよ。


 これは、ただの思い込みによる錯覚さっかくなのだ。



 幽霊なんていない、幽霊なんていない。


 信じるな信じるな信じるな信じるな!



 ネバービリーーーーーブ!




 「──ちょっとアナタ」




 僕の背後から女性の声がしたので、咄嗟とっさに振り向くと──着物姿の少女が立っていた。




 「うわああああああ! 出たあああああああ! 悪霊退散あくりょうたいさん! 悪霊退散! 許して下さい許して下さい! 今までの悪いおこないは悔い改めますから許して下さい! レジのお金でジュース買ったのも謝ります! 小学生の時に田中君からゲームソフト借りて、まだ返して無いから借りパク状態になってるけど、すぐに田中君にゲームソフトを返しに行きます! それにそれに、えっと……とにかく全部に謝りますから許して下さい! だから僕に取りかないで下さいお願いします!」


 「なに言ってるの? 私は悪霊じゃなくて人間よ。アナタ──馬鹿なんじゃない」




 目を閉じて、手を合わせて、必死に懇願こんがんする僕に対して、少女は吐き捨てるような口調で言った。



 その言葉を聞き、ゆっくりと目を開けて、街灯の下に照らされた少女を僕はじっくりと見た。



 桜色の着物姿で、高価そうなあわ露草つゆくさ色の丸帯まるおびには、左側だけ暗闇の中でもはっきりと目立つ、純白じゅんぱくの大きなちょう刺繍ししゅうほどこされている。


 そして、薄紅うすべに色の革足袋かわたびに、上品な紅色の草履ぞうりいていた。



 いや──それよりも重要なのは、その見た目だ。


 僕がなぜ、少女を見た時に幽霊だと思ってしまったのかは、ズバリその見た目なのである。



 小顔で出来すぎな、息を呑むほどの整った美形に細い眉。そして、本当に幽霊と思ってしまうぐらいはかなげな色白の肌に、じっと見つめたら魂を吸い込まれてしまいそうな、んだみずうみの如く、大きくキリっとした深い黒色の瞳は──目つきが鋭いと言うよりも、形容しがたい力強さを内に秘めているように見えた。


 その容貌ようぼう──いや、容姿そのものが、あやしい魅力にあふれた美少女と言った風である。



 それに──もっとじっくり観察すると、華奢きゃしゃで細身に見えるのに、そこには貧弱さなんて微塵みじんも感じない不思議な気迫を持っている。


 背筋が綺麗に伸びていて、りんとしたたたずまいからは、どこかみやびさをただよわせ、その姿は幽霊では無く、まさに武家のお嬢様のような品格さを思わせる美少女だった。



 美少女と言っても、本人の口から年齢を聞いていないから分からないが、見た目の歳は僕と同じぐらいだ。


 そして──身長も…………。



 しかし、不思議なことが一つだけある──風が吹いて無いのに、街灯の下に照らされた少女の周りだけ、髪が風に吹かれて、なびいているのだ。



 だから、ちゃんとした長さは分からないが──髪型は、ぎりぎり肩に届くか、届かないぐらいのショートカットに見える。



 それにしても──見れば見るほど綺麗な黒髪だな。


 まるで、清らかに流れる──美しく光り輝く川を連想させるような、黒い絹髪である。



 ────ていうか、なんでこんな人気ひとけの無い場所に、女の子が一人でいるのだろう。


 日本は安全な国とは言え、やはり物騒な事件は後を絶たない。


 しかも周りに民家も無い暗い山に一人でいるなんて。



 繁華街ならまだ分かるが──もしかして家出少女なのか?



 しかし……どうしたものか……灰玄から道具持ちを強引に頼まれているから、多分、また山を登ることになるのだろうが。


 そうなると──ここにいる女の子を、こんな暗い山に置き去りにすることになってしまうぞ。


 うーん、やはりここは警察に連絡した方が──




 「ちょっと。さっきから何で黙っているのよ」




 少女が僕に語りかけて来た。


 そして──なんとも無愛想な口調である。


 だが、そんなことよりも、僕は一人の人間として、女の子を山に置き去りにするようなことは出来ない。


 早く警察に連絡して、この女の子を保護してもらおう。




 「えっと──何ていうか、女の子が一人でこんな場所にいるのは危険だから──」


 「一つくけれど、アナタが九条鏡佑でいいのかしら?」




 ────え?


 なんで僕の名前を知っているんだ?


 ていうか……こいつ僕の話しを聞いていない!




 「黙ってないで早く答えなさいよ」




 何だこいつ──偉そうにしやがって。


 僕が心配して助けようと思っているのに。



 いや、待て、落ち着くんだ。相手は女の子じゃないか。ここはイライラを抑えて平常心だ。


 そう──僕は男で、相手は女の子だ。男が女の子に腹を立てるなんて最低なことだ。


 男はいつも女の子に優しくして、守らなければならない。



 まあ──これは、幼い頃から母親がよく僕に言っていた受け売りなのだけれど。


 それに、何で僕の名前を知っているのか気になるし、少し話しを合わせてみよう。




 「確かに──僕の名前は九条鏡佑だけれど。その前に何で僕の名前を──」


 「あらそう。もう私から訊くことは何も無いわ。アナタも私に何も訊いてこないでね」




 やっぱり僕の話しを聞いていない!


 マジでなんなんだよ──こいつ。




 「ああ、そうだ。一応だけれど、決まりだから名前だけ教えておいてあげる。私の名前は心絵こころえアグニよ。心絵の『心』は、アナタは馬鹿だから私をうやまうということを、よく心得ておきなさい。の、『心』に。アナタは絵に描いたような馬鹿だから、私を敬いなさい。の、『絵』で心絵よ。『アグニ』は片仮名かたかなでアグニよ。馬鹿なアナタでも理解出来るように説明してあげたのだから、私に感謝しなさい」


 「何で出会ったばかりの奴から馬鹿馬鹿って言われなきゃいけないんだよ! しかも何でそんなに人を見下した態度なんだ!」


 「そうそう、つまりそう言うことよ」


 「──何が?」


 「私にとってアナタは、今出会った『ばか』りの奴だから、アナタは馬鹿なのよ」


 「────はっ!?」




 分からない──全然分からないぞ。


 誰でもいいから、こいつの言語を通訳してくれ!


 でも──知り合いでも無いのに、僕の名前を知ってるのはどうしても気になる。


 だから、もう一度、訊いてみた。




 「えっと──心絵だっけ? ちょっと訊くけど何で僕の名前を──」


 「私に何も訊いてこないでって、今さっき言ったでしょ? それに、初対面でれしく私の名前を呼ばないで。まったく、アナタはけがらわしいわね」


 「け、汚らわしいだと!? ていうか、お前だって僕の名前を馴れ馴れしく呼んだじゃねえか!」


 「違うわよ。私は汚らわしいと言ったんじゃなくて、アナタの髪の『毛がわららしい』と言ったのよ」


 「僕の髪の毛は藁みたいにモサモサしてねえよ!」


 「まあ、アナタの髪の毛がモサモサしていようが、ベタベタしていようが、ヌルヌルしていようが、ネチョネチョしていようが、そんなの私にとってどうでもいいことだけれど」


 「僕の髪の毛はベタベタもヌルヌルもネチョネチョもしてねえよ! 完全に悪口じゃねえかそれ!」


 「あらそう、別に悪口のつもりで言った訳では無いけれど。もし、そう聞こえてしまったのなら謝るわ。めんごめんご」


 「めんごめんごって、明らかにふざけてるだろ」


 「ふざけて無いわよ。これでも誠心誠意、全身全霊で謝っているんだけど。アナタには、私がふざけているとあやまって聞こえてしまったみたいね。めんごめんご、めんごリンゴ」


 「やっぱりふざけてるじゃねえか!」


 「いちいち五月蝿うるさいわね。アナタみたいなアホ毛は黙ってなさい」


 「アホ毛って言うな! ちょっとだけ──僕の悩みなんだよ」




 そう──僕は癖毛くせげでは無く、ストレートヘアーなのだが。


 なぜか、生まれつき寝癖みたいに左側の髪だけが、何度手直しをしても、一本だけ小さな束になった髪の毛がちょこんと、触角しょっかくのように飛び出して立っているのだ。



 先に、心絵が言っていた通り──アホ毛である。


 でも、どうしてかは分からないが、右側は普通のストレートヘアーなのである。



 ていうか、そんなことよりも──なんて奴だ。


 初対面なのに、出会って五分もしないうちに大嫌いになったぞ。


 確か、初対面の『初』という漢字は、部首が『かたな』だから、文字通り僕の心が初対面で──バッサリと、刀で切られてしまったような気分だ。



 途轍とてつもない嫌悪感である。


 やれやれ、名前が心絵なのに……こいつには心が無い!



 まあ──いいか。



 とりあえず、この会話の通じない女の子は、灰玄が来てからどうするか考えよう。


 きっとあいつなら、大人だし、こいつも少しは話しを聞くだろう。



 だから灰玄──早く来てくれ!

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