よどみ池

木目ソウ

第1話

 昔々、ある山のおくに、ちいさな村があった。

 村人たちは、日々、やせこけた畑をたがやし、野菜をつくっていた。

 裕福ではなかったが、彼らはいつも笑顔であった。

 天気のいい日には日光浴をし、曇りの日には薪となる小枝をあつめ、雨の日には釜に水をためる。

 娯楽のない村であったが、休憩の時、紫色の煙をふく、葉巻をすっていた。

 それから、お酒も少々ゆずりうけていた。夜にはこじんまりとした宴会もおこなわれた。

 子供たちには都で流行っている玩具が送られた。

 それらは、月に一度ほど、下の町からおとずれる『鬼除けの巫女』の師団がおいてゆく。

『鬼除けの巫女』――。

 そう、麓の森には鬼がひそんでいる。

 目撃者の情報によると、鬼は人の皮を剥ぎ、巣に持ち帰るらしい。

 鬼を退ける色香を放つ巫女を、村人たちは『鬼除けの巫女』と呼んでいた。


 さて、村の裏手には、泥でよごれた「よどみ池」と呼ばれた池があった。

 よごれがひどく、晴れた日でも、内部を見透かすことができなかった。

 魚は生息していない。

 やけに巨大な羽虫が水の上をはばたき、いくつもの足をもった虫が付近の地を這っている。

 子供が遊び場として利用していると、大人たちはきびしく叱る。

 よどみ池に立ち入ってはならない。

 穢れてしまった魂の寝床であるのだ。

 いたずら心にちかよってしまえば、おまえの魂まで池に沈められてしまうだろう。

 子供たちは、幼き日に親よりそう聞く。


 ある、月のない夜のことだった。

 縄でくくられた女が、数人の男にひきずられ、よどみ池につれてこられた。

 男たちは皆、口元を布でおおいかくしていた。

 池のほとりには、簡易的な祭壇が拵えてあった。そのすぐそばに女を放ると、女は、死にたくないと泣いた。うごけない体で必死に這い、離れようとした。

 男のひとりが女の腹をふみつけ、うごきをとめた。

「祈りのことばを唱えよ。あの世にまで、罪をもってゆく気か?」

 女はなおも、命乞いをつづけ、泣き喚いた。

 男たちは、両足をくくった縄を、重石につないだ。

 白頭巾をかぶった男は手に斧をもっていた。

 彼は目をつむると念仏を唱え始めた。

 ひと段落すると、目を開き、斧を、いきおいよくふりあげ、なんどかたたきつけ、女の首を切った。

 断面から、血とともに、粘性のある鉛色の液体がながれでた。男たちは、うごかなくなった女の体をかつぎあげ、池のなかに放りいれた。大きな水しぶきが立ちあがり、しばらくの間は、ぶくぶくと気泡があがっていた。やがて水面は凪にもどった。山鳥が一羽とびたった。

 ちなみに、切断された頭部だが――村の言い伝えによると、よどみ池の底で死者の頭と体がおちあうと、霊として浮上し、呪いをもたらすというものがあった。

 そのため、斧でこまかく刻んだ後、火葬するのが習わしであった。多くの男たちは、残っていた頭部の粉砕にとりかかった。

 白頭巾をかぶった男は、胸元から笛をとりだし、暗夜にむけて吹いた。『鬼除けの巫女』からゆずりうけた品物だが、麓の森に居つく、鬼の嫌う音を出すらしい。


 村には、遥か昔より、奇病が蔓延していた。

 原因はまったくの不明だが、口から鉛色の液体を吐く。

 その液体はやがて凝固し、金属となった。

 肺がその液体と金属で、圧迫されるのだろう、患者は、発生から三日もしないうちに息絶えた。

 村には一人の医者が滞在していた。

 彼は患者の遺体を解剖し、内部に溜まった金属を陽に透かした。

 いくつかの医学書を紐解き、やがて、ひとつの結論をくだした。

 その医者がいうには、感染症のうたがいがあるため、発症した者はただちに処刑、よどみ池に沈めるようにとのことだった。

 医者のいいつけを守り、村人たちは感染者があらわれたら、縄でくくりつけ、よどみ池に捨てた。

 ふたたび浮上し、村人たちを呪い殺さぬよう、重石をしっかりくくりつけた。


 奇病を恐れ、村から逃げようとする者は、ほとんどあらわれない。

 皆、村にいることがしあわせであり、外にでることはおそろしいとしんじている。

 山のむこうでは大きな戦争がおきていて、男たちは皆、兵として駆りだされているときいていた。

 病はたしかに恐ろしいが、日々、よそ者の牙におびえる生活のほうがよほど恐ろしさをかんじた。

 それに、麓の森には鬼がひそんでいる。

 彼らは霧のなかをしのびより、獲物を解体する。

 ある時、病を患った恋人を追いかけて、麓の森にまでおりた若者がいた。

 断末魔の悲鳴をきいた。声のした方へゆくと、霧のなか、うごめく影をみた。

 影はひとりの女をとりかこみ、蹂躙しているようだった。獣のような雄叫びとともに、肉の裂ける音、骨の砕ける音、そして、女の悲鳴がきこえ、やがてしずかになった。しばらくした後、若者が喧騒の場へとかけよってみると、恋人の頭部だけが残されていた。男は村にもどると、「鬼を見た」と青ざめた顔でいい、精神的苦痛のため、一週間後に死んでしまったそうだ。

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