第19話 神殺し


「クソがーーー! 俺は最強なんだよ! 燃えろよ!」


 大峰は全力で常世田の体に火を放った。ゴウゴウと燃え盛る炎が常世田を包む。


 確かに熱かった。しかし、どこか火傷するわけでもなく、呼吸にも異常はない。

 常世田は無意識に『煙』で呼吸していた。彼の口からは白い煙が出たり入ったりしている。


 常世田はトコトコと空中を歩き、大峰に接近して行った。大峰はそれを見るや、顔を真っ赤にして常世田に殴り掛かった。

 しかし、そのパンチは特に訓練されたものでも威力があるわけでもなく、素人の殴り合いと同レベルのもので、6本腕の鬼の剣撃を喰らったことのある常世田には、ヘナチョコパンチにしか見えなかった。


 常世田はボクシング漫画で見たカウンターを見よう見まねで実践する。


ドガッ!


「ぐはあっ!」


 それは大峰の左頬に突き刺さり、奴の体から生じる炎が一瞬弱火となった。


「ぐ……! 痛え! この野郎ーーー!」


 大峰はまるで子どものように両手を振り回して常世田に迫った。常世田から見た大峰は、明らかに未成年であり、良くて中学生、下手をしたら小学生もあり得ると考えていた。



 殺すわけにはいかない。



 常世田はブンブンと振り下ろされる大峰の両手を一つ一つガードすると、彼の腹に前蹴りを放った。


ボズンッ!


「ぐえ……!」


 所謂ケンカキックは大峰の下腹部にめり込み、大峰の体の炎は、彼の苦しそうな息遣いに合わせてボボボと脈打った。


「うっ、ぐすっ、なんだよテメェ……俺の邪魔すんなよ! ダンジョン攻略してんだよ! てめえもやりてーならどっか他のダンジョン行けよ!」


 もう少しで泣く。常世田は心を鬼にして大峰の戦意を喪失させる作戦に移行した。



 できる限りの恫喝で。


 奴が味わったことのない殺意で。



「クソガキが舐めてんじゃねえぞゴラァああ!!! ふざけてっと目ん玉えぐり出すぞオラァああ!!! ああ!? もっぺん言ってみろやーーー!!!」


 成人男性の『がなり声』というものは、子どもにとっては心臓に響く恐怖であり、これに直撃した子どもは、気が遠くなって涙が出てくる。


 これは親の支配下にある子どもの本能であり、親から離れ、自立していく毎に成長し、立ち向かえるようになるのだが、大峰には効果はバツグンだった。


 常世田は知っていた。自分の『声』がハスキー気味の重低音であることを。『威嚇』という点で大声を張り上げた時、敵はすくむのだということを。


 それと同時にドスを右手に出現させた演出は、確実に大峰の精神をガリガリと削って行った。


「ひっ! ひぎっ……!」


 大峰は常世田がヤ〇ザにしか見えなくなった。喧嘩を売る相手を間違えたのだと確信してしまったのだ。

 自分の意思に関係なく溢れ出す涙を袖で拭い、目をえぐられると思うほど足は震えだし、片目が開かなくなる現象に恐怖した。



 そして抗えない『叫び』が彼の内側から溢れ出す。



「うっ! うわああああはあああああん! あーーーーーーーーんうえーーーーーーーん! あああああああああ! おがあざあああああああん!」



 常世田は勝ったと思った。



 しかし、ここからが『大峰雄大』の始末に負えない『癇癪かんしゃく』の始まりだった。



「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」



 大峰の体からは尋常ではない量の炎が吹き出した。それは彼の泣き声に比例して大きくなり、次第に直径20メートル、30メートルと、止めどなく膨れ上がる。


「あ、やべえ。やりすぎた」


 常世田は慌てて大量の煙を体から噴出させた。



 彼には勝算があった。



 火事において1番恐ろしいのは何か。それは『煙』である。時に煙は火事における炎すらも消火する。密室において、酸素を失った炎は、それ以上延焼することはないのだ。



 常世田は大峰の炎の勢いを上回る速度で煙を展開した。それは炎の球体を外側から包み込むように、更に大きな球体となり、内部の酸素を消費させていく。


 心配なのは大峰の一酸化炭素中毒だった。彼がどこまで炎を操っているかわからないが、酸素を失っては無事では済まされないだろう。



「あ゛あ゛あ゛ん! あ゛あ゛ゴホッ! ゲホッ!」



 その瞬間、明らかに炎の勢いが弱まった。


 常世田は、ここが正念場と捉え、一気に煙の濃度を上げた。せめて短い時間で奴の意識を刈り取る。


 煙の球体は、炎の勢いに応じて小さくなり、渦を巻いて大峰の体を包み込んだ。


「ゲホッ! ごええええ! ゲッ……」


 酸素濃度6%以下。この気体を『吸い込んだ』時、人は直ちに意識を失う。泣き叫び、激しく咳をする大峰が沈黙した瞬間、常世田は一気に煙を霧散させた。


 力を失い、落下して行く大峰を抱きかかえる。


 常世田は急いで自衛隊のテントへ向かった。すぐに救命措置をすれば助かる見込みがある。



「こっちは何とかしたぜニコ様。あとはコイツの力を無力化すれば……」




***




――その頃、ニコと迦具土カグツチは。



 それは白刃という言葉が最も適切な刃だった。ゆらゆらと煙が漂う刀身と、美しい彫刻のつば、そしてニコが両手で握るつか、その全てが白く、ニコによって創り出された芸術だった。


「グッ……グヌ……」


 その白刃は、確かに迦具土の首をね、かろうじで皮一枚が後頭部と繋がっていたが、迦具土には炎で再生することも、息をすることも叶わなかった。


 ニコは迦具土のあらゆる攻撃を無効化した上で、必殺の剣を抜いた。それは分子レベルで研ぎ澄まされた、あらゆるものを斬る刀。ニコにはそれを創る能力も、扱う技量もあった。


「終わりだ。貴様を斬ったのはタバコの神『ニコ』だ。覚えておけ」

「グッ……ウグ、なぜ……」

「ほう。この状態で喋れるのか。何故か。それはこれが『試練』だからだ」

「し……れん……」

「気付かなんだか。これは貴様のような『老害』を排除するイベントだ。己の力に溺れ、全てを見下す。そういう輩にとっては、正に試練よな」

「ふっ……ぐ……おのれ……」



ヒュパッ



 ニコは、ひとつため息をつくと、無言で残り皮一枚になった首を、改めて斬った。


 迦具土は遂に無言になり、少しずつ透明になり、やがて消えて行った。



 くして、大峰雄大の使徒としての能力は消え去り、迦具土は、人間界においても首をねられるという屈辱を味わった。


 この時、ニコの神としての格が上がり、更なる力を手に入れたことは、今のところニコだけが知る秘密なのだった。


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