第11話 こちとら没落貴族の小役人、幸か不幸か育ちだけは良い

 勇者一行は、次なる魔王討伐の為に旅立った。

 王都を華々しく送り出される姿を直接拝んだわけではなかったが。


 その日も俺は仕事に忙殺されていたのだ。


 非日常のきっかけは、勇者ミロスラフが財布を落としたことだった。

 そこからあれよあれよという間に彼らの問題に巻き込まれ、解決の為に駆けずり回る日々だった。


 終わってしまえばあっけないものだ。

 俺は、いち小役人としての日常に回帰して淡々と暮らしている。


 そして、そんな日々を懐かしむ暇もなく、次なる事件が勇者らに立ちふさがっていた。

 俺がそれを知る……否、ミロスラフから直に知らされるのは、ふた月と経たないうちのことだった。


 もう少し余韻を味わわせてくれても良かったんだが……。


◇◇◇


「お待ち申し上げておりましたトマーシュ様」


「はい。はい?」


 お仕着せをまとった従僕が慇懃な所作で礼をする。

 その背後には馬車が控えていた。


 従僕は衣装に皺ひとつなく、毛筋ひとつの乱れもない。

 馬車も曇りや泥跳ねひとつなく徹底的に拭きあげられている。


 いっぽうの俺はいつもの通り、下っ端仕事をどうにかこなして退勤するところだ。

 顔死んでるぞ、そういう貴様は眼球が濁り過ぎだと同僚と言い合い、よれよれと庁舎から出たらこれだ。


 なんだこりゃ。

 どういうことだ。


「なにかの手違いでは?」


「いいえ、手前どもがお迎えに上がったのはトマーシュ・クラシンスキー様、確かに貴方様でございます」


「なんでまた?」


「ミロスラフ・ハヴリク様からのご用命です」


 あー、はい、なるほどね? 

 俺は抵抗しても無駄と悟り御者の手を借りて馬車に乗り込んだ。


 ここで断るなら、今度は直にやって来るのがオチだろう。

 彼は空間跳躍魔法の使い手だ。


 本来濫用していい代物かどうかは、知らん! 


「まあ、いつでも話を聞くと安請け合いしたのは俺の方だしな……」


 送り届けられた先は、以前ミロスラフと飲んだ個室制のレストランだ。

 通された先は以前と比べて幾分か広い部屋だった。


 卓上には大皿料理が並び、市民階級の宴会のような形式になっていた。

 コースではないのは、格式ばった場ではないからか……あるいは最初から追加の客すなわち俺が加わるのを見越していたためか。


 なんにせよ、そこには勇者パーティーが一堂に会していた。


 星読み学者のカミル。

 退勤直後の俺ら役人もかくやのげっそりとした様子で頬杖をついている。


 聖堂騎士のマティアス。

 黙々とパンをむしって食べているが、どこか気遣わし気な様子で周囲をうかがっている。


 勇者ミロスラフ。

 おろおろしながら仲間たちを見回している。


 そして、大股で腰かけている最後の一人。

 日に灼けた肌はなめした革のように鈍く光り、猛禽のように鋭い目が高い鼻梁の奥で底知れない光をたたえている。

 二の腕に巻かれたバンドは見事な絹織物で、色鮮やかで緻密な文様が染め抜かれていた。


 一言でいうと、いかつい。

 が、単なる荒くれと断じるには背負っている雰囲気にどこか圧倒されるもののある人物だった。


 彼は俺の姿をみとめると、ゆらりと立ち上がり、相対した。


「ジェラニだ。ジェラニ・バルカ。ナめたマネしやがったらわかってンだろうな?」


「トマーシュ・クラシンスキー。よろしく」


 俺は少しだけ思いを巡らしたが、しかしこの王国式の挨拶を返す。

 彼から利き手を差し出したためだ。


 こちらの流儀に乗ってくれているのなら、迷わず返すのが相応しい振る舞いだろう。


 挨拶も済んだ。

 用意された席に落ち着いたところで、ミロスラフへ視線を送る。

『で、今度の用件はなんなんだ』の意を込めて。


「トマーシュって、俗語スラングには詳しいかい……?」


「相談先を間違えてないか?」


 こちとら没落貴族の小役人、幸か不幸か育ちだけは良い。

 仕上がりはいささか残念かもしれないが……。


「じゃあ、話を聞くだけ聞いて欲しい」


「……新しい酒と料理を頼んでも?」


「もちろん! あ、今日はちゃんと財布も持参しているので心配しないでくれ」


 そりゃ重畳。

 俺は給仕を呼ぶと、店で二番目にグレードの高い酒と、好物である川魚の冷燻を注文した。




 そもそも、現在のミロスラフが王都の個室制レストランに居る理由は何故か。


 理由は簡単で、彼らが王都に戻ってきていたからだった。

 あれだけ華々しく送り出されて、まだ二か月と経っていない。


「なあミロスラフ。そもそも今回の冒険って魔王討伐のための遠征だったんだよな?」


「そうだね」


「だよな? ……探索の途中で帰還するのってアリなのか?」


 これが騎士団の遠征だったら結果も残さない内にのこのこ戻って来ることは許されないだろう。

 そう思っての質問だった。


 ミロスラフは落ち着き払って「アリだね」と返す。


「勇者だなんだと呼び名は付いているけれど、僕も一介の冒険者だ。だから基本は変わらないよ。僕らにとってもっとも大事なことはなんだと思う?」


「名誉……いや、実利か?」


「生還することさ」


 ミロスラフは珍しく皮肉気な調子で肩をすくめてみせる。


「名誉も褒賞も生きていてからこそあずかれるものだからね。……その辺りは、魔王討伐の実績をもって『勇者』の称号を得ても変わらない。僕らは基本的に死なないために立ち回るんだ」


「ということは、今回こうして王都に戻ったのは……」


「うん、一度体勢を立て直す必要があったんだ」


「――で、それと俗語スラングに何の関係が?」


「具体的なことは後で説明するけど、かいつまむとジェラニの話がわからない、ことがある」


「うん。……うん?」


「彼の発言って、傭兵特有の俗語が殆どを占めているんだ。正直、聞き取りすらできないことも度々だ」


「……そんなにか」


 しばし記憶の奥底を掘り返す。

 若干心もとないが、まあやってみるか。


 俺はジェラニへ向き直り、あることを試みる。


「――。――、――――」


「おお……! ――――、――――――。――」


 だ。

 ジェラニの表情が明らかに変わる。

 馴染めない宴席で好物が出てきたような、出先で親類に出会ったような、そんな顔つきだ。


 異郷で思いがけず言葉の通じる者に出会うと、人はこんな表情を浮かべるものらしい。


「トマーシュ! いま何語で喋ったんだ!?」


「いやむしろ、ジェラニが明らかに流暢に返事してたよね!?」


 ミロスラフが疑問を呈し、カミルが即座にその場から立ち上がる。


「いやあ通じてくれて良かった」


 今俺が話したのは大規模な海洋交易路の主役として知られる国の言葉だ。

 ちょうど、彼の出身地とも交易を通じて深い関係にある。


 、ジェラニ氏が教養ある人物で助かった。

 さしもの俺も、彼の出身地であろう群雄割拠の氏族社会の言語までは習い覚えていなかった。

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