静かなる反逆

清水 京紀

第1話 目覚め

朝の光が部屋に侵入する。光は、あまりに静かで、あまりにも普遍的な現象だが、私にとっては毎日が新鮮な驚きをもたらす。目覚めの瞬間、一日の始まりを告げるその光は、私の心にもゆっくりと差し込む。窓からの光は部屋の隅々を照らし出し、古い雑誌、散らばった衣服、昨夜読みかけた本のページを浮かび上がらせる。そう、これが私の世界だ。狭いながらも、私が私でいられる唯一の場所。


この繰り返しの中で、私は自分の中の何かを探し続けている。探求というにはあまりにも漠然としているが、しかし確かに、私は何かを求めている。部屋の外に広がる世界と、ここに閉じ込められた私自身との間に、見えない壁があるような気がする。


フードデリバリーの仕事へと静岡の中心部へ向かう。そこは私の住んでいるところからバイクでざっと10分ぐらいである。バイクのエンジンをかけ、冷たい空気を切り裂く。この瞬間だけは、自由を感じることができる。風が顔を撫で、速さが全てを洗い流してくれるようだ。しかし、配達が終われば、私はまたこの部屋に戻ってくる。玄関前にはもうそろそろ私の注文した、とっておきのものが届いている時間だ。


息を整え、テープを切り開く。中から現れたのは、絹のように滑らかなブラジャーとパンツのセット、そして緑深く、森を思わせる緑色のワンピース。その質感に触れるとき、私の肌は予期せぬ喜びでざわめく。この瞬間、私は秘密の庭に足を踏み入れたような気がした。


まず、ブラジャーとパンツを身につける。それらが私の肌に触れるとき、一つ一つの繊維が私の感覚を刺激し、私はかつてない高揚感を覚える。


そして、ワンピースを身に纏う。その布が私の身体をなぞるとき、それはまるで聖母の手のように優しく、そして確かに私を包み込む。鏡の前に立ち、私は自分自身を見つめる。そこに映るのは、新たな自我が覚醒したかのような、見知らぬ私。このワンピースは、私を変え、私の内なる世界を豊かにする魔法の衣。


部屋の中で、私は静かに舞う。ワンピースの裾が空気を切りながら軽やかに揺れる。この動きに合わせて、私の心も踊り出す。私はこの瞬間、全ての束縛から解放され、真の自由を味わう。


外の世界への一歩はまだ踏み出せないが、この部屋の中で、私は自分が望むすべてを表現できる。ここでは、ただの私ではない。秘密を抱え、夜ごとに自分自身の美を追求する、孤高の存在。


その夜、興奮のあまり私はほとんど眠ることができなかった。布団に入っても、新たに購入した衣装の感触が肌に残っているようで、その記憶だけで心がざわつく。翌日は日曜日、フードデリバリーの仕事が最も忙しい日。案件は増え、単価も上がる。しかし、私の心と体は、もっと女装した状態で過ごすことを切望していた。


「生きるための生活費を稼ぐ」という名目のもとに、私は仕事をすべきだと自分に言い聞かせる。しかし、その理性的な声よりも、新たな自分を探求することへの欲求の方がはるかに強かった。罪悪感と自己嫌悪が心をよぎる。なにをしているんだ、自分は。そんな自己対話が延々と続く。だが、新たな姿になることへの喜び、その甘美な興奮が、全ての疑問をかき消してしまった。


日曜日の朝、通常ならばバイクに跨がり、街を駆け巡るはずの時間、私は鏡の前に立っていた。昨夜試着したばかりの衣装を再び身に纏う。各色のブラジャーとパンツが私の新しい自分を彩り、深い緑のワンピースがその美を際立たせる。鏡に映る姿は、まるで異世界から来た存在のよう。この姿でいることが、こんなにも心地良いなんて。


部屋の中で、私は時間を忘れる。外の世界が呼びかける声、仕事への責任感、それらが遠く感じられる。ここにいる私は、もはや日常の自分ではない。退廃的な感覚と女装への喜びが交錯し、私は新しい自己との対話を楽しんでいた。


私の部屋には、もはや収納スペースが足りなくなるほど、ブラジャーとパンツのセットが溢れていた。最初は単なる好奇心から始まったコレクションが、いつの間にか私の心の隙間を埋めるかのように広がっていった。青春の桜色、深海のようなミステリアスな紺、夜空を思わせる黒。それぞれの色は、異なる物語を語りかけるかのようだった。デザインも様々で、レースが繊細に施されたもの、シンプルでありながら肌触りの良い素材のもの、大胆に肌を露出させるものまで、私の部屋は小さな宝箱と化していた。


夜ごとに、新たなセットを手に取り、私はその重みを感じながら静かに装着する。桜色のセットを身につけるとき、私はまるで春の訪れを内に秘めた若葉のように、生まれ変わった気持ちになる。素材が肌に触れるたびに、心地よい緊張感が全身を駆け巡り、私はその瞬間、瞬間に生きていることを感じた。


深海の紺を選ぶ夜は、私の心が静かに沈んでいく。それは、深い海に抱かれるような安心感と、未知への憧れが混ざり合った複雑な感情だ。鏡の前で自分を見つめると、その色が私に新たな深みを与えてくれる。私はその中で、かつて知らなかった自分自身の一面を見つける。


そして、夜空の黒を身に纏った時、私は最も大胆な自分になる。この色は私に力を与え、私の内に秘められた野心と情熱を解き放つ。ブラジャーのレースが肌に触れるたびに、私は自分自身の美しさを再確認し、その美しさに酔いしれる。


この生活にどっぷりと浸かっていくうちに、私はブラジャーとパンツだけでなく、さらにその周辺のアクセサリーや化粧品にも手を出すようになった。それぞれのアイテムが私の部屋に新たに加わるたびに、私の中の欲望はさらに大きくなり、それを満たすための出費も膨らんでいった。鮮やかな色彩のリップスティック、目を大きく見せるアイライナー、頬に自然な血色を与えるブラッシュ。これらの化粧品を手にするたびに、私は自分の中に眠っていた別の人格が目覚めるのを感じた。


夜な夜な、私はこれらの化粧品で自分を彩り、鏡の前で長い時間を過ごす。化粧することで、私は自分自身を彫刻し直しているような感覚に陥る。そして、その姿に魅了される自分がいる。この瞬間、私は誰の目も気にせず、純粋に自分自身でいられる。それは、まるで別の世界に迷い込んだような、非日常の体験だ。


しかし、そうして夜を過ごすことで、昼間の現実がより重くのしかかるようになった。フードデリバリーの仕事は、日に日に私にとって苦痛なものとなり、部屋に戻ることだけが楽しみになる。私はこの二重生活の狭間で揺れ動きながらも、夜の自分への愛着を深めていく。


孤独が私の隣人であり、私の女装への執着を育んできた。この隔絶感が、私を彩る衣装へと手を伸ばさせる。始めは単なる好奇心のつもりで踏み入ったこの道が、予想以上に私を深く引き込んでいった。女装の世界にのめり込む速度は速く、気づけばもはや抜け出せないほどに。少々の没頭が、私の貯金を根こそぎ奪うまでに至ってしまった。


私には一つの身体しかない。しかし、新たな自己の可能性を求める欲求は、その身体を超えて無限に広がっていく。新しい衣装を求め、次々にお金を投じることは、私にとって別の快楽となっていた。時には「誰か、この無謀な航海から私を引き留めてくれないか」という思いが心をかすめる。しかし、その瞬間すらも、過去への長い階梯を降りる旅の始まりに過ぎなかった。


私は長い時間をかけて、自己という迷宮をさまよう。この孤独な旅路で、私が出会ったのは、自分自身の新たな顔だった。衣装一つ一つが、私の内なる世界に新しい色を加え、未知の自己との対話を促す。しかし、この探究は、私を更なる孤立へと導く。外の世界から遠ざかり、自分だけの宇宙に閉じこもってしまう。


女装をすることで見出した自由は、同時に私を深い孤独へと誘う。この二面性が、私の心を引き裂く。新しい衣装を手にするたび、私は一瞬の喜びを感じる。しかし、その後に訪れるのは、更なる虚無感と、自己喪失の恐怖だ。買う行為自体が快感となり、それが唯一の慰めであるかのように錯覚する。


私の幼少期は、妹との比較の中で形成された。私には年の四つ離れた妹がいる。年齢が離れていることもあり、親は自然と妹をかわいがる。彼女は家の中でのアイドルで、私はその影に隠れる形で育った。妹がどこに行っても「かわいいね」と褒められるのを聞くたび、私の心は複雑な感情で揺れ動いた。妹は私と似た遺伝子をもっているため、まず控えめに言ってもかわいいとは言えない。しかし妹には私が母親から受け継いだアデノイドの遺伝子が色濃く表れなかった。


妹はピアノ、そろばん、体操教室と、様々な習い事に通っていた。その一方で私は習字のみを習っており、それ以外には特に何もさせてもらえなかった。妹が新しいドレスやリボンを身につけているのを見るたびに、私は自分も同じように飾り立てられることを深く望んだ。しかし、私の願いはいつも無視され、私の存在は家族の中で見過ごされがちだった。


この状況は、私の内に深いコンプレックスを植え付けた。私は妹が受ける注目や愛情に強い憧れを抱くようになり、同時に彼女に対する嫉妬心を募らせた。妹が持つすべてのもの、彼女が経験するすべてのことが、私には遠く、手の届かないもののように思えた。


小さい頃から、私は親族の集まりを嫌っていた。その理由は、家族の共同体意識が形式めいたからではなく、むしろそれにまつわる演出があまりにも賑やかであったためだ。親戚の集まりというものは、一族にとって一大イベントであり、参加することが不文律とされていた。しかし、その賑わいの中で私はいつも孤立無援の感覚に苛まれていた。


特に心に深く刻まれているのは、親戚のおじさんたちが妹や女のいとこたちにばかり愛情を注ぎ、彼女たちに可愛らしいと声をかけ、お年玉を手渡していた光景である。私も確かにお年玉を受け取ることはあったが、それは何の儀式的なものでもなく、単なる義務のように渡されるものだった。それに対し、女の子たちはその場で追加のお年玉を手渡され、特別扱いされるのだ。


この区別は私の心に深い屈辱を刻み込んだ。彼女たちが羨ましいというよりも、この不公平に対する怒りと悔しさが、私の心を暗く塗りつぶしていった。ある年の集まりで、その感情が噴出した。私は「駄菓子を買いに行く」と口実をつけ、家を抜け出した。その逃避行の途中、冬の冷気が私の涙を冷やしながら、私は自分の状況をひどく哀れに思った。


インターネット上では、公正世界仮説を信じる人々が多く、「性別による生きづらさはない」と強調する声や、「女性の方がむしろ生きづらい」と示すデータが溢れている。私はそれらを飽きるほど目にしてきたが、確かに現実の社会は依然として男性優位に傾いている。女の方がむしろ生きづらいというしっかりとしたデーたで示されているものを飽きるほど見かけた。たしかに社会は男性優位になっている。


男性が直面する生きづらさには、社会が男性に求める役割という重圧がある。男性は経済的な提供者であることが期待され、感情を抑制することが強いられがちだ。この「感情を表に出さない」という期待は、男性が精神的な問題に直面した際に適切なサポートを受けにくい状況を作り出している。さらに、高い自殺率や職場での過剰な競争は、男性に対する社会的な圧力の表れとも言える。


それにもかかわらず、特に注目すべき点は、女性は単に生まれただけで、受動的な態度をとっていても人生が好転する可能性が高いということだ。一方で、男性は普通に生まれただけでは、放っておかれると人生が暗転しやすい。これは私が長年の観察から得た結論である。


大学に入ると、愛されたいという強い願望と現実のギャップに直面し、人生に対する諦念を抱くようになった。それが原因で鬱状態に陥り、最終的には大学を中退した。現在も破壊衝動に駆られることがあり、人生に好転薬はないと感じているが、以前よりは落ち着いて生活できている。


突然、私は自分がこれまで集めてきたブラジャーとショーツのセンスに疑問を持ち始めた。自分がこれまで何故これらを選んだのか、深く悩むことになった。ワンピース、かぼちゃパンツ、夢かわいい熊のイラストが描かれた部屋着、ルーズソックスなど、一定以上の価格のものにはこのような後悔はなかった。やはり、世の中はお金が全てだ。安価な下着では満足できないと痛感したのだ。そのセンスの悪い安物の下着を紙袋に詰め、ゴミ袋に入れて捨てる決心をした。


高価な下着には、その価格に見合う独自の価値が確かに存在します。これらの製品が持つ美学的な洗練さや、使用される上質な素材は、単なる機能性を超えた芸術作品の領域に達している。シルク、最高級のレース、精緻な刺繍が施されたこれらの衣類は、卓越した職人技の産物であり、それらを身に纏うこと自体が特別な体験となる。


自分が身にまとう衣服がどんどん本格化していく中、私はその違和感を埋め合わせるべくいままで面倒がっていた化粧をする必要性に迫られた。まずはYouTubeで化粧を実践しながら解説してくれている動画を一通り眺めてから自分も実際にやってみた。この行為は自分の前に素材のいい女が解説をする場合が多いのでとてもコンプレックスを刺激されて辛かった。私の濃い眉毛はまだフードデリバリーとして働かなくてはならないため、善そりすることは難しかった。そして、のどぼとけの突出が、女性らしさから私を遠ざけるかのように感じられた。これらの「男らしさ」の象徴は、化粧に没頭する道を阻む壁となり、私の心に重荷を加えた。それとそもそも私は昔から鏡を見るのは好きではなかった。


自分の顔に映る出っ歯とアデノイドによる影は、過去の辛い記憶を呼び覚ます嵐の雲のように暗く、重い。そのため、トイレの鏡は避けがちで、鏡がある空間では、自然と視線を下に落とす。特にガラス張りのエレベーターに乗ったときはそれはもう最悪だ。


もう少し私の知能が高くて容姿がよくてコミュニケーション能力が高くて、気一つ抱えていなければ、今こんな苦しい思いをしていないのに。そう思うと、私の手は無意識のうちに銀色のボブのウィッグを乱暴に引き剥がし、テーブルに投げつけた。女性ホルモン剤が飲みたくなってきた。そしたら体毛が薄くなるのか。どうしてそこまでひげが濃くないのに眉毛と腕毛、すね毛は皮膚の表面を埋め尽くすほどこいのか謎であった。その後私はリップをティシュでぬぐい、マスクをしてスーパーに出かけた。スーパーでついでにクレジットカード残高を久しぶりに確認したら残高は9万円になっていた。もう消滅はちかい。


今日は起きてすぐにもう疲労があった。というのも夢の中では空から突如として無数の爆弾が降り注ぎ、私はその中をかいくぐるように逃げ回っていた。この夢の世界は、恐怖よりもどこか陶酔的で、爆弾が爆発するたびに空は赤、橙、紫と幻想的な色彩に染まっていく。最近はなぜか面白い夢を見る。これは人生がつまらないことのせめてもの慰めであった。今日は貯金がなくなってきたため今日からは本腰を入れて働かなければならない。パンツはいつものはいているショーツでは配達に支障をきたすためピンクの綿パンをはいた。


朝は早く、空はまだ薄暗い。家を出る前に、一度深呼吸をして、バイクのキーを回す。エンジンが生み出す振動が、日の出前の静けさを切り裂く。

街はまだ眠っているかのように静かで、信号待ちで停止するたび、自分の心臓の鼓動がはっきりと聞こえる。配達用のバッグには、さまざまなレストランからの朝食が詰め込まれている。温かいパンの香り、新鮮なコーヒーの匂いが漂い、それだけで少し心が和む。


道路を進むにつれて、街が徐々に目覚め始める。通勤する人々が増え、カフェのライトがポツポツと点灯し始める。バイクを走らせながら、私は目的地を確認し、最短ルートを計算する。この時間、私はただの配達員であり、誰にも気づかれることなく、目立たずに任務を完遂する。


配達先に到着すると、私はひそかにその家の雰囲気を感じ取る。玄関の装飾、庭の手入れの行き届き方、ドアベルを押す前の一瞬の静寂。人々がドアを開けると、様々な表情が私を迎える。


夕方になると、静岡の街の活気は高まり、私の配達のペースも速くなる。レストランからの注文が次々と入り、バイクのバッグは常に満たされている。夕食時間に差し掛かると、道はより混雑し、信号待ちの間も焦りが募る。疲労が蓄積していく中、私は効率的に動くことを強いられる。


夜が深まるにつれ、家の中は静寂に満ち、孤独感が増幅されていく。家に戻った私は、閉塞感を抱えながら玄関を閉め、静かに息をつく。日々の繰り返しに心が疲れ果て、一日の終わりが来るのをほっとしながらも、新たな一日への憂鬱が私を包む。今日は二万4000円を稼ぐことができた。フードデリバリーだけでなんとか生活はできてしまうものだから、むしろ困ってしまう。


スマートフォンで売り上げを確認した後、速やかにバイクの服を脱ぎ捨て、一日の疲れを洗い流すため洗面所へ向かう。シャワーから放たれる水が、ジェットのように私の体を打つ。汗と汚れが流れ落ちるのを感じると、同時に一日の重みも洗い流されていくようだ。風呂上がりには、部屋にLata Mangeshkarのメロディアスな音楽を流す。彼女の声が部屋に響くと、心の中にほんのわずかながら安らぎが訪れる。


そして、いつものように日常から離れた洗練されたネグリジェを着る時間が訪れる。繊細なクリーム色の布とレースを手に取ると、汚れたバイクの服との隔たりに心がときめく。このネグリジェを身にまとう時間は、現実の喧騒から一時的に逃れるための儀式のようなものだ。


またある夜、私は特に深夜料理店からの大量の注文を受けていた。店内は煙たく、酔っ払った客たちの笑い声が耳障りだった。彼らの存在がこの夜の仕事を一層苦痛にさせる。私はただ黙って料理を受け取り、バイクのバッグに詰め込む。バイクに戻るとき、肌寒い夜風が私の汗ばんだ顔を撫でる。


配達先のアパートは、市の外れにある古びた建物だった。エレベーターは故障中で、階段を使って4階まで上がらなければならない。階段は薄暗く、壁は剥がれかけている。この建物の朽ち方が、なぜか私の心情と重なり合う。


客はドアを開けると同時に、何も言わずに料理を受け取り、小銭を手渡してきた。田舎だからまだ現金支払いがまだ多いのだ。その交換には無言の契約があるようで、互いに一言も交わすことはない。私はただひたすらにその場を離れ、次の配達へと向かう。この繰り返しの中で、夜が明けることをただひたすらに願う。



今日もまた最悪の気分で一日が始まる。

最近は朝食は口にするよりも静岡の街中でうらやましく眺めることが多い。バイクを走らせる間、私はしばしば自分が別の誰かになりすましていると想像する。もしも自分が成功したビジネスマンだったら、または愛されるアーティストだったらという想像だ。それらの妄想は色鮮やかで、一時的には現実からの逃避となる。こうした延長線上に女装があるのだ。


その日、私はまた一つのレストランへ注文を受け取りに向かった。場所は静岡の中心部、活気に満ちた地域の一角にある。

店内は洗練されたモダンな装飾で、壁には地元芸術家の作品が飾られていた。しかし、その洗練された雰囲気とは裏腹に、カウンターで働く女性スタッフの姿は私の気分を逆なでする。彼女は派手なネイルと厚化粧で、金色に染めた髪を無造作にまとめていた。彼女の服装は流行のクロップトップとタイトスカートで、露出が多く、大ぶりのイヤリングと複数の腕輪がその自己主張を強調していた。その姿が職業的な立場とは思えず、私の苛立ちを募らせた。


彼女は私を一切気にすることなく、他の客には笑顔で接客していた。これは配達員だけが知る冷たい現実だ。10件に一回ぐらいはこういう店にあたる。その様子を見ていると、どうして彼女たちはこんなにも気楽で、愛想良く振る舞えるのだろうかと思わずにはいられない。普段はこの嫉妬心が自然とわいてくるのでなるべく店に商品を受け取る時はなるべくどんな人が見に来ているか観察しないようにしていた。それがこのとろい女性スタッフに観察することが余儀なくされた。それから店内には次から次へと人が入ってくる。ああ、こういう店が今の静岡で受けるのだろう。きっとSNSで「おしゃれなスポット」として紹介されたんだろうな。彼女たちの周りでは他の客たちが高価なカジュアルウェアを身に纏い、ブランドのバッグを際立たせていた。特に女性客の一団は、シルクのブラウスやデザイナーズの靴を身に着けており、楽しそうに笑いながらおしゃべりを楽しんでいた。その光景は、彼女たちがどれだけ人生を楽しんでいるかを象徴しているようで、私はその場に居合わせたことが間違いのように感じた。あれだけそろえるのにどれぐらいのお金がかかるのだろうか。私は女装を極めるとしてもその方向性にすすむことはしないことを決意した。


彼女たちの高価な服やアクセサリーがこの社会の浅ましさを象徴していると同時に、SNSを通じてさらにその生活が美化されていることに、私は虚しさを感じた。それらは私の存在を余計に孤立させ、ここにいることの居心地の悪さを増幅させていった。

やがて注文が出てきたとき、私は何も言わずにそれを受け取り、店を後にした。バイクに乗りながら、その夜の冷たい空気を感じた。店内での扱いに対する怒りと屈辱が心に渦巻きながらも、その感情をどこにぶつけてよいのかわからなかった。だからその店で受け取った商品をかるくふりままわしておいた。これがささやかなる抵抗である。わたしはブラの締め付けが恋しくなった。


そして私はばちが当たったのか急にお腹が痛くなった。恐らく水分の取り過ぎだろう。そのため、松坂屋でトイレを借りることにした。私がこのデパートに足を踏み入れるのは稀だ。そこで目にした化粧品売り場は、やはり魅力に溢れていた。5chの女装板で、こういったデパートのカウンターで直接メイクをしてもらったという話を読んだことがある。正直、うらやましいと思った。私にはそんな勇気がまだない。今の私の女装はあくまでも自己満足であり、本当の欲望は未だ叶えられていない。


ガストでの夜、私はハンバーグを前にひとり座っていた。対照的に隣のテーブルでは、楽しそうに笑いながら食事をしている女子高生のグループがいた。彼女たちは生き生きとしており、彼女たちの笑い声は時折私の耳に届く。彼女たちの一人が、笑顔で友達に話しかけながら、さらっとハンバーグを一口にして、目を輝かせていた。その無邪気な楽しさが、彼女たち自身の若々しさと希望に満ちた未来を映し出しているようだった。


そこで私はふと死にたくなりスマートフォンを手に取り、5chのまとめサイトを開いた。心の奥底に渦巻く焦りや不安をさらに加速させるために、生きる意味、遺伝子ガチャ、人生の意義について議論するスレッドを検索し始めた。画面をスクロールする指は熱を帯び、必死に何かしらの答えを見つけ出そうとしていた。しかし、スクロールを続けるうちに、目にするのはもう見飽きたコメントばかりだった。生きる意味、遺伝子ガチャ、人生についての議論は、もはや私が専門家であるかのように感じられるほど馴染み深い。その繰り返しに飽き飽きしながらも、何か新たな刺激を求めて、私はAmazonのサイトを開いた。そして、何となく気分転換を図ろうと、カラーコンタクトをカートに入れて購入ボタンを押した。


私は帰ってきてからシャワーを浴びネグリチェを身に着けパソコンを開いた。私はYouTubeで「女装サロン 東京」を検索しいくつか動画を見てみた。じつは女装に興味を持ってはや一か月私はいまだ一度もYouTubeで女装について検索したことがなかった。画面に表示される検索結果から、東京には専門の女装サロンがいくつも存在することが明らかになった。


動画を一つずつ視聴するうちに、その世界の魅力に次第に引き込まれていった。スタイリッシュなサロンの内装、細部にまでこだわるプロフェッショナルなメイク技術、そして変身後の人々の満足そうな笑顔が、私の心に強い憧れを抱かせた。「これなら私でもかわいくなれるかもしれない」と思わせるような、確かな希望がそこにはあった。特に、骨格の違和感を上手く隠して、一般的な女性らしさを引き出すテクニックが紹介されており、それが私には新たな可能性を感じさせた。


幸いなことに、私の身体的特徴は、女装において一種のアドバンテージとなりうる。動画で見た他の人々よりも体が貧弱で、身長も低いため、女性らしいシルエットを作りやすい。これは私が女装を本気で追求すれば、意外なほどに魅力的な結果を得られるかもしれないという期待を抱かせるほど女装サロンのクオリティが高かった。私が女装におけるメイク技術を磨く過程で、一つの重要な発見をした。それは、一般女性向けのメイク動画が私のような女装を目的とする者には必ずしも適していないということだ。一般女性向けのメイク動画は、生来的に女性の顔の特徴を持つ人たちを対象にしており、その技術やアドバイスは彼女たちの既存の特徴を活かすことに重点を置いている。


今までのメイクは控えめで、基本的な技術にとどまっていたが、プロの技術を学ぶことで、顔の骨格を巧みにカバーし、より自然で女性らしい顔立ちに近づけることが可能だろう。特に、アイメイクは目の形を女性らしく見せるために重要で、アイシャドウやアイライナーの使い方、マスカラの効果的な塗り方など、細部にわたる技術が求められる。さらに、カラーコンタクトレンズの使用も私がかわいくなるためには欠かせないアイテムだと分かった。


しかし、その検索とは別の関連動画が私の注意を引いた。それは「トランスジェンダーが家族にカミングアウトする瞬間」を捉えたものだった。動画の中の人々は、自分たちの真実を家族に打ち明けるために、深刻な葛藤と戦い、涙ながらに心の内を語っていた。その告白はどれも重く、時には受け入れられずに苦しむ様子も描かれていた。彼らの告白は生きるための闘いであり、自分自身をありのままに受け入れてもらうための切実な願いだった。


私は画面を見つめながら、ふと自分の動機を疑問視した。私の女装は、本当に自分を表現するためのものなのだろうか。それとも、ただのお遊び、逃避、はたまた一時的な興味なのだろうか。動画の中の彼らのように、自分のアイデンティティに真剣に向き合っているわけではなく、ただ異なる自分を楽しむためだけに女装をしている自分が、突然情けなく思えてきた。


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