第18話 海


 は。


 大昔、文明が崩壊するより以前には、〝生命の源〟〝生命の母〟などと呼ばれていたのだ、という。


 この終わった世界を生きる人間は――果たして誰が、そんな昔話を信じられるというのだろう。


「……さっ、着いたぜ、ロースト。が、目的地だ」


 言いながら、オーサンはバイクを停め、砂地に降りる。

 荒れた砂漠と比べれば、砂浜の部分は多少、柔らかな感触だが。


 前方を見据みすえるオーサンは、軽く身震いしていた。


 ――誰が、その光景を見て、そこが〝生命の母〟などと呼ばれていた、と信じられるのだろうか。


 この。



 見渡せる限り、濃い灰色に―――鈍色にびいろに染まった、〝海〟を見て―――



 今は太陽が中天に昇る、真っ昼間。だからこそ辛うじて鈍色で済んでいるのだと、オーサンはしかめっ面をしながら言う。


「今は陽光の反射で、灰色っぽく見えるけどな……一度だけ、夜に見たコトあんだけどよ。この海、真っ黒だったんだぜ……大雑把で無神経って言われてる俺でも、思わず身震いしちまったくらい、見てるだけで引きずり込まれそうな景色だったよ。ああクソ、何度見ても、気の滅入めいるトコだぜ……ったく、世界を終わらせちまったっつう連中は、一体何すりゃにできんだか」


 普段は豪放磊落なオーサンとて、声音が沈む。


 無理もない、目の前に広がる光景は、まさに〝世界の終わり〟――その象徴とでも言わんばかりで、オーサンはボリボリと頭を掻いた。


「俺ぁバカだから、よくわかんねぇけどよ……昔、じーさんから聞いた話じゃ、海のこんなよう分からん状態が、陸地にまで悪影響を及ぼしちまってんだとよ。作物なんかが滅多に実をつけてくれねぇのも、大地から元気を奪っちまってんだ、とか何とかな。全くよ……迷惑な話だぜ、なあ?」


〝はあ〟とため息を吐いたオーサンが、海から目を逸らすように背を向け、ローストに語りかけようとし―――


「ま、海なんて、こんなモンよ。な? 見てもあんまり気持ちよくねぇし、得するモンでもなかったろ。まあいいさ、こういうのも旅の思い出ってヤツだぜ、ガハハ。さあ、そんじゃそろそろ、行くとすっか――」


「――――――海」


「あ、え? ……お、オイオイ、ロースト、何してんだ?」


 オーサンが尋ねる間に、ローストは素足で、砂浜に降り立っていた。集落でもらった白のパンプスは、先ほどまで少女が座っていた座席に、揃えて置かれている。


 こんな海でも見て楽しいものだろうか、とオーサンが首を捻っていると――ローストは素足のまま、迷いもなく、真っ直ぐに。



 ―――海へ向かって、歩き始めた―――



「!? ばっ……待て待てロースト! 遊べるようなトコじゃねぇぞ! 海から吹いてくる風だけでも、暫くノドやられちまうコトもあんのに……触れでもしたら皮膚が爛れちまうからな!? ……ってオイオイ、ダメだっつの、ほら、戻ってこい――」


「――――――――」


「ウ、オッ!? な……ろ、ロースト……?」


 オーサンの制止する声も、まるで聞こえていないのか。

 いつもの無表情から、微かな感情さえも失ってしまったかのように、ふらふらと歩みを進めていた、彼女が。


 ローストの体が―――突如として、白色の輝きを放ち始める。


 それはバイクに乗って砂塵さじんを弾いている時や、集落で砂嵐を退けた時とは、比べ物にならないほどの、強烈な光で。


 明らかに尋常ではない事態を起こす、そんなローストに向けて、オーサンは構わず手を伸ばそうとする、が。


「お、オイ、ロースト、何しようとしてんのか、わかんねぇけど……海は危ねぇんだよ! だから、行くんじゃねぇって……うがっ!?」


 ローストに近づこうとするオーサンの大きな体を、叩き付ける暴風のような衝撃が吹き飛ばす。


 純白の少女の周囲には、いつか見た幾何学的な紋様の円形、大小様々な〝魔法陣〟の如きそれらがいくつも旋回しており――


 キン、キン、と断続的に音を響かせつつ、白光びゃっこうを強めている。


 その光景を、他の誰かが見ていたとしたら―――

 あまりにも異様な事態だ、やはり悪魔の所業にでも映るだろうか。

 されど神々しくさえ見える光景に、純白の天使とでも思うだろうか。


 けれど、ここまで少女と旅を続けてきたオーサンは、違った。


(そういやローストは、前にオアシスをキレーにした後も……賊に襲われて銃弾をはじき返した、あの後なんかも……にしてやがった。実際その日は、眠りも深かったんじゃねぇか……? アリャ、疲れか何かから、きてんじゃねぇか……だとすりゃ、タダで好き放題に使えるモンじゃねぇ。ああ、そりゃそうだ、何で俺ァ、そんな簡単なコトも気にしなかったんだ、チクショウッ!)


 あまりにも普通ではない、気にしたとて考えも及ぶはずもない――けれどそんなことは、オーサンの頭には一切ない。


 今はただ、旅の供として、一緒に過ごしてきた少女が。

 いつの間にかオーサンにとって、かけがえのない存在となっていた、彼女が。


 今や天にも届かんばかりの白光を立ち昇らせる、その光景が。

 ローストの姿が、まるで。



 命をべて燃やす、燈火のようで――――…………



「―――ロースト、戻ってこい! ……おまえがこっちゃねえ!」


 ローストが何をどうしようとしているのかなど、本人にも分かっていないのかもしれない。だからオーサンに、分かるはずもない。


 けれど無意識に、口を突いて出たオーサンの制止に、それでもぼんやりとしたままのローストは、歩みを止めず――


 ついに、触れるだけでも危険だという、灰色の〝海〟に足をけ。


「! ばっ……ばかやろう、早く上がってこい、溶けッちまうぞ!? うぐっ……ロースト、おいっ、ローストォ!」


 近づこうとするほど強く押し返してくるような〝反動〟に、それでもオーサンは嵐に立ち向かうかの如く、足を踏みしめ。


 ローストの剥き出しの細い足が、灰色の〝海〟に膝まで浸かった頃。


 オーサンも、己の足元が焼き付く痛みさえ気にも留めず、両脚で波をかき分けて進み。


 ついに、ローストの体に手が届こうとした―――瞬間。



「ロー、ストッ! ……う、おあっ!? ッ――――!?」



 ひと際、強く―――地に太陽が生まれるような閃光が、ほとばしり。


〝海〟の灰色の水面に、無数の虹が駆け巡るように、七色の光が無規則に伸びていき、水平線まで覆い尽くすと。



 に、目も開けていられないほどの、白光が―――………。



 ……………………………………………………。



 

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