012:二重契約②

 ああ、最悪だ。


 こんなことになるなら、この世界に魔法でも魔物でも在ってくれればよかったと心底思う。


 そうすれば、こんな石室に閉じ込められる事もなかった。

 

 この国の秘密警察もどきの眼は節穴じゃない。噂は本物だ。

 アフガニスタンじみた国を百五十年に渡り鎮静化させ続けたその手腕は嘘っぱちでは無いのだ。


 おまけにその首魁を前にすると、腰が引けてくるなんてものじゃない。

 

 当のヴラドは妖しく笑っている。


「全ては仮定の話だ。テリー。君が最新式の火薬の製法を知り、出生は全くの不明で、スリ師より数段手先が器用という仮定だ。私はそう断言するつもりはないが、そんなふうに報告が上がっているからな。職業上、そうせざる負えない。分かるな?」


 僕には否定も肯定も出来やしなかった。


「確かに、そう考えるのが妥当かもしれませんね」


「その通りだ。なら、妥当な推測の上に話を進めようか」


 僕は快く話を促した。


 わざわざ断らずとも、話を渡ることなど叶わない。


 ヴラドは人差し指の関節をぱきりと鳴らし、それから話を切り出した。


「テリー。君はどうして大道芸人なんてやっている?君の能力や知識なら色々と引く手数多だろうにな。発明品で一発当てるだの、犯罪組織の技術屋だの。胡乱な手口でもっと大きく稼ぐことも、逆に手堅くいくことだって出来るはずだ。だが、君は一番碌でもない選択肢を選んでいるように思える。それは何故だ?」


 ヴラドは淡々と言葉を述べた。


 いや、並べたというべきだろう。彼のその声は、スマーフォンの年齢認証を聞いているような気分にさせられる。


 どうしてだろうか。僕はその問いへの答えを持ち合わせてはいなかった。


 お金も名声も勿論欲しかったが、そのためだけとはどうしても思えない。


 多分、もっと純粋な悔しさこそが原動力なのかもしれない。


 前世の自分は満足していたと、勝手に考えていた。唯、そう納得していただけで、諦め切れていなかった。それだけなのかもしれない。

 

 確かなことは分からなかったが、僕は一番マシだと思える答えを返した。


「悔しいからですよ。自分ならもっと上手くやれると自分を見限れなかったからです。僕はいけると信じている。それだけです」


 ヴラドは真顔で僕を見据えた。僕の隅から隅まで物差しを押し当てられている。そんなふうに感じる。


 それから彼は視線を外さずに、懐から一枚の紙を取り出して、僕の方へ紙を押しやった。


『幸運の車輪祭(ホイール・オブ・フォーチュン・フェス)』


 そう大きく銘打たれた羊皮紙には、巨大な車輪を懸命に回すネズミのイラストが描かれていた。


 更にその下には、小さな文字の煽情的な文章で祭りの概要が書かれている。


『最高の一時を貴方へ。芸人達の最大の祭典への御招待。万国から集った腕に覚えのある芸人達が大集合。皇帝陛下も御立席』


 大まかに内容をまとめるとそんな感じだった。実に目の痛くなる光景。面倒ごとの臭いしかしない。


「これは?」


「見ての通りだ。建国記念に開かれる祭りだよ。陛下直々のプロデュースでな、百五十年前の戦争で敢闘したスタンスクに贈るという建前らしい」


「見れば分かります。本音を知りたい」


「私にも陛下の真意は分からない。が、思い当たるものはそう複雑でもない。市井に溜まった不満を建国記念にあやかって更に払拭すること。そして、それに肖かって碌でも無い目的を果たそうとする連中を炙り出すことだ」


「そんな事に僕が何の関係があるっていうのでしょうね?」


 僕はうんざりしたように聞いた。実際、酷くまいっていた。答えは分かりきっていたのだ。


 ヴラドは今一度、僕を見つめ直し、言葉を並べた。


「君にこの祭典に参加して欲しい」


「無料で?名無しの大道芸人に何が支払えるのか教えて欲しいですね。それに、そもそも僕には参加権が無い」


「予想がついてるかもしれないが、君に密偵となって欲しいんだ。君は参加者としてから現場を監視する。代わりに、君の場所代の未払いを見逃し、別途の報酬も払う。勿論、バックアップだって此方がやろう。参加の手配も手品道具の素材の仕入れでも何でもな」


 反吐が出そうな状況だ。


 ヴラドの言ったことは一見、好条件に思える。

 芸人として大成するチャンスを、起こるかどうかも分からない犯罪の監視を手伝うだけで得ることが出来る。

 

 だが、そう美味い話も無いだろう。


 選りすぐりのプロ集団が、素人まで引き入れるということ自体、異常だ。もしかすると向こうが切羽詰まっていて、捨て石を欲しがっている。その可能性も大いにある。

 

 死んで仕舞えば元も粉も無い。2度目の転生は保証されていない。


「僕であるべき理由を窺っても?優秀な憲兵隊の方達の中に適任がいらっしゃらないので?」


 選択の余地がないことを薄々勘付きながらも、僕は問うた。


 逃げ出す口実が残されていないかを探る為に。


「勿論、人は足りてる。否が応にも優秀な人材だけが残る職場だ。だがな、ウチの連中は面白みに欠けている。ユーモアが足りていないんだ。そういう人種が集まる職場なんだよ」


「人が足りないのは分かりました。それなら、もっと高名で優秀な方に頼むべきでしょう。皇帝の御付きの道化師か誰か…」


「そこが難しい所なんだ。テリー。密偵になるには、優秀であることが第一要素だ。だが、同様に無名でなくてはならない。面が割れておらず、それでいて潔白でなくては。しかし、優秀な芸人というのは、今のご時世、誰も彼も貴族や豪商に召し抱えられ、独自のコネクションを有している。面倒なことに、彼らを密偵に選ぶことはできない。彼らには皇帝以外の主人がいるからだ」


 ヴラドは徹底的に理屈を述べた。


 僕という孤城を囲う堀は埋められ、石垣は爆破され、屋根には火矢を射掛けられつつあった。


「一方の君はどうだ?憲兵が総力を挙げても、君の両親の名前どころか、君が生まれたという山の位置すら分からない。それでいて、路上芸人に過ぎないというのに、確かな技巧と前人未到の知識を持ち合わせ、機転も効き、嘘の出来も悪くない。最後の一つに関しては、改善の余地ありだが、そこは我々が手伝おう。世の中に完璧は存在しないが、君が今のところベストな人材であるのは間違いない」


 聞いた限り、彼の理屈にケチを付けられる点は一つしか思い浮かばなかった。


「出生不明の少年を懐に抱え込むと?天下の憲兵隊が?」


 ヴラドは微笑み、小器用にウィンクしてみせた。


「だからこそ、君を此処に呼び、話を聞いた。私はこれでも人を見る目だけはある。其奴が敵か味方か。使えるか使えないか。吊るすべきか否か。一目でわかる。ここまで長話を重ねれば、尚更だ」


「それで、僕の評価は?」


「至極、真っ当な人間だ。芸人というより学者肌だな。いつか君が真実を語る気になったら、何処で学んだのか教えて欲しいものだ。とはいえ、多少、自惚れている所はあるかも知れないなべらべらと嘘を並べる様は見るに堪えない。上手く行っているものもあるが、悪人になりきれていない。所詮、愛嬌で済ませられるレベルだ。詐欺師になるのは辞めておいた方が良い。だが、優しさの他に美徳はある。例えば、その思い切りの良さだ。私が紙を見せた時点で、粗方事の顛末を察した挙句、覚悟を決めたな。そういう顔をしていた。後は、そうだな。冗談のセンスが壊滅的な所か…」


「それは果たして美徳と言えるのですかね」


「考え方の違いだよ。鋭過ぎる冗句は時に冗談で済まない結果を齎す事がある。はなから刃を持っていなければ、人を傷付けることも無い。そういう意味では、美徳だよ」


「確かに。貴方の御慧眼は本物の様だ。代わりと言っては何ですが、僕の洞察も如何です?」


 この時の僕は、迫り来る厄介事をリストアップする段階に入っていた。


 だが、目の前の嫌味な怪物に対する当て付けを諦める程には出来の良い人格をしていなかった。


 ヴラドはペットの犬に芸を促す様な調子で、僕に会話の手番を渡した。


「貴方は何でも知り得るのかもしれない。それこそ、雀一匹がいつ地に落ちるのかすら、仕組めるのかもしれない。ですが、コレだけは言える。貴方は何も解っちゃいない。誰しもと同様にね」


 一瞬の沈黙の後、乾いた笑い声が響き渡った。冷笑と愉快さの入り混じった奇妙な笑いだった。


「ハーハーハー。良いだろう、一つだけ訂正させて貰う。君の冗句は一級品だ。酷く鋭く、それでいて全く笑えやしない。美徳でもなく、使い勝手の良い特技でも無い。自殺にはもってこいの一級品の荒縄だよ」

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