5.血統

5-1

 一人前と認められ、ツェレンは単独で山歩きをするようになった。あまり遠いところへは一人で行かない、行くならシドゥルグやファーリアイと共に行くことと言われていて、それを律儀に守っていた。


 その日、ツェレンはファーリアイの弟妹たちに連れられて山の中を歩いていた。ツェレンはわずかに不安を感じていた。なぜなら、一人で歩き回る地帯はすでに越え、あまり来たことのない方へどんどん案内されているからだ。

 思わず、前を進む兄弟達に声をかける。


「ねぇ、どこに行くの?」

「それはね、まだヒミツ!」


 ナズとマヘルがくすくすと笑って先に進む。ナズはツェレンが作ったサコッシュを肩に下げ、揺らしている。すっかり気に入ってくれたようで、会えばいつも身につけていた。


 そんな風にはしゃぐ弟妹をルフィン──ファーリアイの弟でトゥアナの双子の兄が「おい、転ぶなよ」と注意をする。


「だいぶ村から離れちゃったけど……大丈夫なの?」

「大丈夫。この辺りは何度も私たちだけで来てますから」


 ツェレンは不安そうに聞いたがトゥアナが落ち着いた様子だった。村から随分離れてしまったので心配したが、彼女はけろりとしていた。トゥアナとルフィンはツェレンの妹より少し年上くらいだと思っていたが、思った以上にしっかりしている。


 いいところへ連れて行ってあげる。ツェレンの刺繍のお礼という名目でファーリアイの弟妹たちがお誘いにやって来た。ファーリアイに行っても構わないかと聞いたら、彼女は了承した。その代わりに「あまり遠くへ行ってはいけませんよ」と弟妹たちを諌めた。結局その約束も彼らは破ってしまった。


 村の外れくらいだろうと思っていたが、だいぶ歩いて来た。森を抜け、木があまり生えていない砂利道を抜け、平原までやってきた。春の平原は緑が眩しく、色とりどりの花が咲いている。ひなげしやクロッカス、プリムラが埋め尽くすように咲き誇っている。美しい光景だった。


 ここで軽食を持ってピクニックしても良さそう。ファーリアイやシドゥルグ様を誘ってみようかしら。そう思案して足を止めていると、先に行っていた下の兄弟たちに呼ばれてそちらへ向かった。

 平原を降り、雑木林の中に入った。ひんやりとした空気が漂い、遠くから水の落ちる音が聞こえた。


「ついた!」


 マヘルが元気よく宣言する。その光景にツェレンは「わぁ……!」と感動する声を上げた。

 林に囲まれたそこは小さな湖だった。岩場の高いところから水が一斉に下へ落ちて滝になっている。透き通った青い水の美しい光景が広がっていた。


「ここ、クルムズの山なの? 山を降りて来たような気がするけど」

「大丈夫。ここは旅人も休憩する場所だからこの辺りの一族はみんな自由に使っていいことになってる」

「時々ここで遊ぶんです。でも、姉さんには秘密なの」

「ファーリアイも?」

「あんまり遠くへ行くなって言うんだもの」


 トゥアナはうんざりしたように言う。その後ろでルフィンとマヘルが服を脱いでバシャンと水の中へ飛び込んだ。ナズも靴を脱いで浅瀬で遊び始めている。トゥアナが岩場に座り、足を水面に浸した。ツェレンも習うように靴を脱いで同じように座った。足を水に浸すと、まだ春の水は冷たく、背中が震えた。


「私たち、まだ一人前って認められてないんです」

「狩りのこと?」

「そう、狩りに連れて行ってもらうのは来年からだから。でも、早く一人前って認められたいな。一人前って認められるとね、短剣をもらえるの」

「短剣?」


 話をしていると、それを聞きつけたのかルフィンが泳いでこちらにやって来て意気揚々と語った。


「一人前って認められると族長から短剣をもらえるんだ。銀色の刃をした特別な短剣なんだぜ。クルムズの戦士はみんなそれを持ってる」


 そういえば、シドゥルグも他の獣人たちも腰に短剣を吊っていた。何度か狩りでその短剣を使って狩りをしているところを見たことがある。美しい銀の刃の短剣だったことを思い出した。


「あーあ、早く俺も欲しいよ。今すぐにでも連れて行ってくれないかなぁ」

「無理無理、姉さん厳しいもの」


 兄弟はそう話し合う。やがて二人は他の弟妹たちと水泳や飛び込みをして遊び始めた。ツェレンも泳がないかと誘われたが水が冷たすぎるため遠慮した。彼らは水の冷たさも気にならないらしい。


 兄弟たちが遊んでいるのをぼんやりと眺めていると、ふと後ろで落ち葉を踏む音がした。誰か来たのかと振り返ると、そこには獣人が三人、武器を携えて立っていた。

 狼ではなく、熊の獣人だ。いずれも男らしく黒い毛に体が覆われており、ツェレンよりもうんと大きい。武器は太い棍棒で、それを手に持って、こちらをじっと睨みつけている。


 そのただならない様子にツェレンは立ち上がった。ツェレンの様子に気づいたのか、彼らに気付いたのか、湖からすばやくルフィンとトゥアナが出てツェレンの前に立った。


「クルムズの子か、お前らここで何をしている」

「何って、遊んでるだけだ」


 ルフィンが鋭く答える。ルフィンとトゥアナが自分と弟妹を守ろうとしているのが分かった。ここは一番年上である自分が前に出て話すべきではないか。しかし、まだこの土地に来て日が浅い自分より、彼らに任せたほうがいいだろうか……ひりついた空気にツェレンは頭の中で考え続けていた。

 熊獣人の一人は短くため息をつく。


「ここは俺たちイェシル族の縄張りだ」

「まさか! この滝はみんなが使っていいことになってるはずよ」

「だが俺たちの土地だ。遊び場じゃない。さっさとお前たちの山に戻れ」


 熊獣人が冷たく言い放つ。ルフィンが思わず前に出ようとして慌ててツェレンとトゥアナが止めた。


「ルフィン、落ち着いて! 弟たちやツェレン様もいるのよ」

「帰れと言われているのだから、言う通りにしよう?」

「……分かったよ」


 不貞腐れたようにルフィンが答え、脱ぎ捨てたシャツを羽織る。不安そうに成り行きを見ていたマヘルたちに「帰るぞ」と一言声をかけ、来た道を通っていく。兄弟たちは身なりを簡単に整えてルフィンの背中に続いた。ツェレンは立ち去る前に彼ら会釈をして追いかける。すると、後ろからヒソヒソと声が聞こえた。


「あれ、人間か?」

「族長が言ってただろう? クルムズに人間の嫁が来たって」


 やっぱり、この辺りでは人間は珍しいみたいだ。草原では珍しくもなかったけれど、この辺りの山も麓の村も獣人族の村がほとんどで、人はあまり住んでいないらしい。あまりいい気持ちはしなかったが、クルムズでも初めはこんな感じだったのだ。もう慣れるしかないと、ツェレンは自分に言い聞かせた。


 彼らのヒソヒソ声がツェレンの耳に届かないほど小さくなる。ふと、風が吹いた。その風と一緒にツェレンの目の隅で何かが動く。気付いた時には、ルフィンが彼らに飛びかかって殴っていた。


「ルフィン!!」


 ルフィンが吠え、熊獣人が取り囲み彼の体を押さえ込む。辺りは騒然となった。ツェレンが止めるために駆け寄ろうとすると、トゥアナに止められた。


「ツェレン様は危ないからここにいて!」


 トゥアナがそう言い、彼らの中へと突っ込んでいく。ツェレンはそれを他の幼い弟妹たちと見ていることしかできなかった。


 獣人たちの喧嘩は激しいものだった。ルフィンもトゥアナも彼らよりずっと体が小さく華奢だ。しかし、その爪や牙を彼らに遠慮なく突き立て、棍棒や拳もものともしない。

 しかし、このままではあの二人がやられてしまう。止めなくてはいけない。でも、どうやって……。


 そうやって狼狽えている時だった。その場を轟音が鳴り響いた。地響きのようなその声に、その場にいたものたちは動きを止め、その音の方へ目をやった。

 林の向こうから、黒い群れがやってくる。熊獣人が何人もこちらへやって来た。呆気に取られ、ツェレンも喧嘩していたルフィンたちも動けなかった。


「お前たち、そこで何をしている!」


 その中でも一番大きな熊獣人が吠えた。おそらく彼がこのイェシル族の族長なのだろう。

 彼はゆっくりと辺りを見渡し、最後にツェレンを見た。目が合うとツェレンは気まずさに目を逸らしたくなったが、逸らすべきではないと思い会釈をした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る