EP Ⅸ Farewell to the Rattlesnake(グッバイ)

「ハワード君、君は指揮艦が欲しいかね?」


ついこの間四等海尉となった海尉のライオネルが暇つぶしに上甲板に出ていると、後ろから現れた艦長が突然尋ねてきた。


「ええと、は、はい。」

ライオネルは何の脈略もない質問に戸惑いつつも、正直に答える。


「それはよかった。君に異動命令だ。おめでとう。これで君も晴れて我ら艦長の仲間入りだぞ。」

その初老の男は、和かに笑って言う。


「へあ⁉︎か、かかか艦長、聞き間違えでなければ、ついこの間昇進したばかりの一端の海尉である私に指揮艦を授けてくださると?」


「そうだ。それ以外に何か聞こえたかね?」 


「の、ノー・サー……」


「よろしい。君のような優秀な海尉を手放すのは惜しいが、どちらにせよ、ようやく儂も提督に昇進できる目処が立ったのでな。それに君にはもっと広い世界を知って欲しい。」


「あ、ありがとうございます……」

ライオネルは、嬉しさと恐怖や緊張が入り混じった複雑な顔をする。


「案ずるな、儂とて一〇代の子供をたった一人で艦に乗せるわけではない。ミス・クロフォードやマイルズ、その他にも幾らか優秀な部下を就けるさ。それじゃあ、出立の用意ができたら、儂に報告してくれ。」

そう言って艦長はライオネルに羊皮紙の封筒を手渡して艦長室へ戻って行った。


Oh My Godなんてこった……」 


「ライ君どしたのー?」


アリスがライオネルが思わず吐いた聞きなれない単語を聞きつけ、上甲板に上がって来た。


「あ、アリス。」


「『あ、アリス。』じゃなくて、どうしたのって聞いてるの。」


「俺、上官なんだけどな……ま、いいや。それより、これ見てくれよ。」


「なにこれ?命令書?何かやらかしたの?」


「そんなわけないだろ、異動命令書だよ。俺の指揮艦さ。」


「うっそぉ!?」

アリスは、『今世紀最大の衝撃』とでも言うように驚く。


「そんなに驚かれると傷つくな……」


「そりゃ驚くに決まってるでしょ、だってライ君が昇進してからまだ二月も経ってないんだよ!?」


「言いたいことはわかるけど、もうちょっと心の内に秘めてくれたら嬉しかったな。」


「そんな事はいいよ。それより早くそれ開けて!」

アリスはソワソワしながらライオネルを急かす。


「言われなくても開くんだから、そんなに急がすなよ。さてと、なになに……?」


ライオネルはゆっくり封筒の蝋を剥がして中の紙を取り出す。


「アルビオン帝国の海軍卿事務代行者たる海軍委員会より、皇帝陛下の海軍海尉ライオネル・ハワードに対し以下のごとく下命する。貴官はここに、陛下の艦船、『スピーディー』の艦長となることを命ず。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−中略−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ここに貴官は直ちに乗艦して指揮をとり、艦長の職務を果たすべきを命ず。当該スループの士官及び乗組員全員をして、全員一致して、あるいは個別に、同艦々長たる貴官に対する正当なる尊敬と服従をもって行動せしむるよう、厳正なる指揮と職務の遂行こそ肝要なり。危機に際しては、適切にこれに対応し、貴官及び部下の一人たりとも、過誤を冒すべからず。」


そこに書いてあった文章は、ライオネルの心を衝撃のあまり固まらせるにさせるには、十分すぎた。

  

「なんて言うか、手が震えるな、これ。」


「すごいじゃん、おめでと!」


「アリスも一緒に行くんだけどな。」


「そうなの?」


「そうらしいぞ。」


「へぇ〜、艦長が手回ししてくれたのかな?」


「あんまり直接的な表現には気をつけろよ、まあ、多分そうだろうな。にしても、ほんと、これ以上の衝撃なんてもう絶対にないだろうな。」


「ライ君!」


「え?なに?」



チュッ



刹那、ライオネルの唇に暖かくて、柔らかい“何か”の感触が伝わる。彼の視線からは、綺麗に光る朱色の髪と、髪と同じくらい紅潮するアリスの顔が窺えた。


「あ、アリス…………?」


「……………………………………やっちゃった。」


「アリス、い、今何を………」


「あ、えっ、その、あの……」

普段からハキハキとして、活発なアリスはこの時だけは珍しく、しどろもどろになっていた。


「アリス?」


「えーーっとぉ………そのぉー、ライ君の衝撃を更新したいなぁって……思ったから……」

ただでさえ真っ赤なアリスの顔が、一言話す度により紅くなり、終いにはアリスの頭はただの赤い球と大差ない程に真っ赤に染まっていた。


「ちょ、ちょっと待ってくれアリス、まさか、アリスは俺のことが……」


「わ、忘れてっ‼︎」

次にライオネルが見たのは、ライオネルの頭を恥ずかしさのあまり思いっきり自分の頭を叩こうとするアリスの姿だった。




__翌朝


「いやぁハワード君、昨日はいろいろ災難だったねぇ。」


「ミスター・ハワード、今日はミス・クロフォードに気絶させられないでくださいよ!」


「ヒュー、ヒュー、ミスター・ハワード!あんまり人前でイチャつくと水兵どもに妬まれますぜ!」


「ハワード、おらぁ、お前が先に仕掛けるもんだと思ってたんだぞ、おかげで二ポンド約五六七〇〇円の大損だ。次は頼むぞ。出なきゃ、七ポンド約一八九〇〇円は毟り取っちまうぞ!」


次の日からと言うもの、ハワードとアリス、特にハワードは、出歩くたびに冷やかされるようになった。特にライオネルにだが。


「お、おはよう、ライ君……」


「お、おう。おはよう……」


そんなことも相まって、ライオネルとアリスの間は、たった一晩でかなり気まずい間柄となっていた。


「あ、あのさ、アリス。」


「え、なに?」


「その、昨日のあれってもしかしてキs……いや、なんでもない。気にしないでくれ。」


「うん、そうだよ。」


「そっか……そっか!?」


「あの、あんまり大声ださいないで……」


まだまだ早朝の上甲板では、水兵たちがニヤニヤと二人を眺めていた。


「あ、ご、ごめん。お、お前ら!ニヤけてないでさっさっと作業に戻れ‼︎」


これ以上冷やかされてなるものかと言わんばかりにライオネルは声を張り上げる。


「ライ君、今日の夜、どこかその辺のパブで会える……?」

アリスは、昨日ほどではないものの、顔を赤てライオネルに聞く。


「えっと、今日の午後から新しい艦に行く予定だから、向こうの港でもいいか…?」


「き、来てくれるならそれでいいよ……」




それからその日の晩までの記憶はライオネルには残っていなかった。ただ覚えていることは、あっという間に、ラトルスネークだけでなく、新しい艦の水兵からの冷やかしも増えたことだった。



__夜遅く、ポーツマスのパブ『三つの獅子頭』


「えっと、とりあえず来たけど……話したいことって?」


「うん、ありがとうライ君。あ、あのね、昨日私ライ君にキ、キスしたじゃん…?」


「う、うん。」


「多分順番逆だと思うんだけどさ。」


「うん。」

ライオネルの心臓はバクバク高鳴り、アリスにも聞こえているのではないかと思うくらい緊張していた。


「わ、私、ライ君と、えっと…お付き合いしたいなって……………」

アリスの声は、か細く言い、終いにはほとんど消え入るような声になっていた。


が、ライオネルにはアリスが何を言いたいのかがはっきりと伝わった。


「よ、喜んで!」

ライオネルは、アリスとは正反対に、緊張を覆い隠すかのように大声で言った。


ライオネルの返事を聞いた瞬間、アリスはバタンとテーブルに突っ伏した。


「あ、アリス⁉︎」


「かったぁ……」


「え?」


「よかったぁ………私、ライ君にフラれちゃったらどうしよかなって、そればっかり考えてたからさ……何回も告白しようかどうしようか迷ってたんだよね。

でも言ってよかった。これからもよろしくね!」


「お、おう!」

告白したことでアリスの緊張が抜けたのに対し、美少女にキスされた上に翌日に告白されたライオネルは、逆にさらに緊張してしまった。






__スループ艦スピーディー


「おめでとうございます!艦長、ミス・クロフォード!」


間に戻ったアリスとライオネルは、スピーディーの乗員たちの祝福で迎えられた。


「ど、どう言うことだ?まさか、お前たち見ていたのか?」


「まさか。無断で上陸すれば鞭打ちモンですぜ。別に行きは別々に向かっていた二人が、帰って来たら艦長の腕に抱きついてるもんじゃあ、気づかない方がバカでさぁ。」

マイルズが嬉しそうに拍手しながらライオネルの前に出てくる。


「確かに、あからさまだったな……」

ライオネルは早々に付き合っていることがバレ、恥ずかしい思い出いっぱいだった。


「それで、式はいつで?ちゃあんと俺らのことも呼んでくれないと泣いちまいますぜ。」


「う、うるさいうるさい!さっさっと持ち場に戻らないと全員酒抜きにするぞ!」


「うへぇ。」


ライオネルは紅潮して怒鳴りつけるが、その顔はどこか間の抜けた、嬉しそうな顔だった。


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 次回 Speedy's First Mission(苦難の連続)お楽しみに!

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