第2話 売布宮

「覚えてくれていましたか」

売布宮と呼ばれた男は、にこりと笑った。

「ところで、どうですか。その後の生活のご様子は」と安藤に尋ねる。


「おかげさまで、なんとか生きていますよ」

売布宮を十年ぶりに見たが、十年前と今の印象は全く変わっていない。最初は新人の刑事かと思ったが、あとで更生局の職員と知った。当時から年齢不詳で二〇代にも見えたし、四〇代にも見えた。あれから十年経っているのだから、十年分の月日が顔に刻まれているはずだが、今もなお、二〇代なのか、四〇代なのかも分からない。とはいえ、あれから十年経っている。まさかまだ二〇代ということはないだろう。


生きている気配のない男、それが売布宮の印象だ。そのため、彼から「再会を祝して、いまからレストランにでも行きませんか」と誘われたときは、売布宮にも食事の必要があるんだなと少し意外に思った。


「ここから歩いて五分くらいですし、もちろん私がおごりますよ。ドレスコードもないですし、料理は、持ち帰ってもいいですから。いかがですか」

今夜の予定はないが、別にレストランに行きたいとも思わない。しかし、売布宮に聞きたいことは、いくつもある。それはこの十年間、いくど考えても答えが出ず、最近では問い続けることこそが答えなのではないかと思うに至った問題について、だ。


売布宮の方では、安藤のその沈黙を肯定と受け取った。

「では行きましょうか。近いので歩きますが、構いませんね」

「ええ、大丈夫です」

売布宮に付き合うことに決め、街灯に照らされた舗装路をレストランに向かって二人で歩き始める。二人の関係を知らない周囲の人からは、友人同士に見えたかもしれない。


レストランに着いた安藤は、店構えを見て少し戸惑った。よく手入れされたエクステリアといい、窓から見える落ち着いたインテリアといい、一目で高級店と分かる。ドレスコードのないレストランというから、安くてうまい合成加工肉ハンバーグが売りのファミレスくらいに考えていたが、どうやら高級フランス料理の店だ。


店内は、ろうそくを模した雰囲気のある照明が揺らめき、人気店なのか、それなりに混んでいた。クロークでコートを預けたあと、席に案内される。十数卓あるテーブル席は満席に近かったにもかかわらず、窓際のかなり良い席に案内された。売布宮は事前にこの席を予約していたのかもしれない。椅子もテーブルも装飾が凝っていて、クッションも厚い。


着席するなり、安藤は売布宮に尋ねた。

「この席を予約していたんですか」

「ええ、ちょっとした用事がありましてね」

「用事があるのに、急に私が来てもよかったんですか」

「ええ。問題ありません。その用事というのは、安藤さんにも関係していますから」

そう言いながら売布宮が笑う。その笑みに嫌な予感を感じ取った。


ややあってソムリエがテーブルにやって来て挨拶と自己紹介をしたあと、ワインのメニューを開く。ワインの説明が必要かどうかを尋ねられた。

「酒は飲まないので、開栓されていないボトル入りのミネラルウォーターをお願いします」と安藤。ソムリエはその注文に戸惑いを覚えたようだったので、そのまま持ち帰るからと説明すると、事情を察して、かしこまりましたとだけ言った。


売布宮もボトル入りのミネラルウォーターを頼み、ソムリエに持ってこさせた。彼は水を飲みながらメニューを眺める。

「会計はこっちの経費で持ちますから、どうぞお好きなものを注文してください」


そうはいうものの、安いレストランでもないので、あまり高いものを選ぶのは気が引ける。少し考えて、前菜、スープ、メイン一品、デザートだけの一番安いコース料理を注文することにした。

メイン料理は、安い培養魚を選び、デザートとセットのコーヒーは、ハーブティーに変えてもらう。夜にカフェインを摂ると眠れなくなるからだ。


そんな安藤に気を遣ったのか、売布宮の注文は、ハーブティーを除いて安藤とまったく同じだった。

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