第16話

「駅まで走るしかないかな……」

「いや、十分以上かかるよ?」

「途中でコンビニとかあれば、傘買えるし」

「近くにあったかなぁ……」


 確か駅の近くにはあった筈だ。つまり、十分近くは濡れたまま走る事になってしまうけれど。


「私、行くね! 今日はありがとう!」


 このまま、ここに居たところで、帰るタイミングを見失うだけだ。

 むしろ、立ち往生してしまうだけになる。


「あっ! しぃ!」


 ロイさんの声を背後に、思い切って私は走り出した。まるで、振り切るかのように。

 だけど、少し走っただけで、もう全身ずぶ濡れだ。

 どこかでタオルでも買って乾くのを待つか、服を買って着替えた方が良さそうだ。終電までには何とかなるだろう。


「しぃ!」


 惨めさに思わず涙が零れ落ちそうになるのを、唇を噛みしめて耐えていれば、ロイさんに名前を呼ばれ、腕を引かれた。


「ロイさん?」

「こっち!」


 私の腕を力強く引くロイさんは、駅とは違う方向へ走って行く。

 何となく安堵してしまった私は、その手を払う事もせず、ただロイさんに引かれるまま着いて行けば、そこはラブホテルだった。

 思わず、入り口で足が立ち止まる。


「風邪ひくから」

「……やらないよ?」

「わかってる! しぃ、震えてるじゃないか」


 ロイさんは心配するかのように声を荒げる。

 言われて、私は全身がガタガタ震えている事に気が付き、頷いてロイさんの後に続いてラブホテルに入る。

 問答無用で宿泊を選ぶロイさんに、思わず反論しようと口を開いたが、先にロイさんの方から言葉が飛び出してきた。


「服乾かすのに、休憩じゃ足りないでしょ。それに、今夜はずっと雨予報だし」


 そんな事を言われては、反論出来ない。

 私は恥ずかしさと緊張で言葉を交わす事もなく、ロイさんの後ろを大人しく歩いて部屋まで行く事しか出来なかった。


「お風呂入れるから」

「えっ!? いや、ロイさん先に!」


 まさかのお風呂で上ずった声が出る私に対し、ロイさんは呆れたような目をした。


「そんな震えて何言ってんの。俺は大丈夫だし。ゆっくり温まってきて」


 優しさが心にしみる。けれど、流されてはいけない。そう思うものの、私はお風呂で念入りに洗ってしまうわけで。

 自分の意思が中途半端で、やっている事と言っている事が全く違う事すら自己嫌悪の対象だ。どうしてこうなってしまうのだろう。

 感情が、考え通りに動いてくれたら良いのに、なんて何度考えたか分からない。

 処女じゃないのだから! 女は度胸! なんて訳の分からない事を頭で反復して自分を奮い立たせ、思い切ってお風呂を出た。


「お腹すかない? 俺が出てくるまでに考えといてー」


 思い切って出た私に、ロイさんは呑気に声をかけてくるけれど、服は何時の間にかバスローブになっている。


「わ……わかった」


 思わず顔を背けて答える。

 お風呂場のドアが閉まった音を確認してから周囲を見渡せば、ロイさんの服が干してある。そこには下着までもしっかりとあり、思わず視界に入らないよう目線を逸らす。

 けれど、私も下着まで濡れている。恥ずかしいから濡れたままの下着を着ているけれど。

しっかり服を絞って干して、下着は急いでドライヤーで乾かそう。そう思ってドライヤーをかけていれば、いきなりロイさんがお風呂場から出て来て、変な声をあげてしまった。


「ぅきゃあ!」

「濡れたまま着てたら身体冷えるよ? とりあえず干しておけば?」


 何事もなかったかのように言うロイさんに、私一人恥ずかしがりながら、下着を隠す。


「可愛い下着。隠さなくて良いのに」

「隠すよ!」


 ふざけた口調で、何て恥ずかしい事を言うのだと、照れた私は声をあげる。


「温かいものでも頼もうよ」


 そう言って手を引かれれば、下着を着る暇なんてなくて。バスローブの前がはだけないように手で押さえていれば、私の下着はロイさんの手によって干された。

 もう、恥ずかしさで何も言えない。むしろ、恥ずかしがっている私がおかしいかのようだ。

 ロイさんがテキパキと注文をすれば、すぐに料理がやってきた。

 お互い身体を温める為にうどん、そしてビールと、つまみのポテト。



「しぃって何か初々しいけど、いくつなの?」


 そんなに初々しいのか。自覚はあるけれど、そう言われると少し馬鹿にされたようで少し口をとがらせる。


「三十三ですー。大人ですー」

「俺のが大人。三十五だもん」


 また新たにロイさんの事が知る事が出来て、頬が緩む。


「しぃってホント素直だなぁ。周りに愛されて生きて来たんだろうね」

「ロイさんは違うの?」


 少し酔った勢いで、私は突っ込んだ事を口にしてしまった。

 それでも微笑んでいるロイさんに、言ってはいけない事を口にしたわけではないと安堵したのだけれど。


「俺の場合、両親や親友はもう居ないし、社会人ともなれば人付き合いなんて希薄でしょ」


 まさかの言葉に胸が痛んだ。

 ゲームを楽しみたいと、ネットに入り浸るかのようにしているロイさんは、どこか孤独をネットで埋めているのかもしれないと言う考えが過った。それは、一人で暮らしている私だって似たような所があるからだ。

 ネットには、常に誰かが居る。その関係も、ブロック一つで終わる程に希薄だけれども。


「そろそろ寝ようか」


 ドキンッと鼓動が跳ね上がる。一体、今日だけでどれだけ心臓に負担がかかっているのだろう。

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